おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

1995年  (第1167回)

 本日は、前回の話題に挙げた「オウム世代」の続きのようなものです。漫画「20世紀少年」の幼馴染たちは、浦沢さんの実年齢でもあり、私の一学年上。この世代も物心ついて半世紀、こういう機会でも使って、これまでの人生や、時代の流れを振り返りつつ、これからのことも考えてみる。楽しい文章ではないですから、ご留意ください。

 漫画は主に、過去・現在・未来の三つの時代区分が舞台になっている。過去は主人公たちの少年時代で、高度経済成長、大阪万博、そして中学生のころオイル・ショックがきた。現代は漫画連載時と重なっており、1990年代の終わりごろから、2000年代に入ったころまで。未来はここでは省きます。


 何年か前に、新聞か雑誌の記事に(もう、ここに書いたかもしれない)、高度成長や安定成長の時代には、大規模な自然災害がなかったという趣旨のことが書かれていて、それもそうだなあと思いました。政府の資料で調べてみます。

 内閣府が出している「防災白書」の平成29年版に、「附属資料6 我が国における昭和20年以降の主な自然災害の状況」という表がある。
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/hakusho/h29/honbun/3b_6s_06_00.html


 ここでは、災害の規模を死者・行方不明者の数で測るという無粋な方法をお許し願いたい。自然災害も多種多様なので、政府統計も同様なのだが、他に単純比較する方法が無い。

 ちなみに、東日本大震災のとき、ビートたけしは、ニ万人が亡くなった一つの災害ではなく、一つの命が突然の災害で喪われた出来事が、二万回起きたのだといっていた。至言である。ここでは、それを忘れずにおきつつ、日本災害史の資料をみる。

 
 高度経済成長が始まる前や、始まったばかりのころは、ご覧のとおりで地震や台風による千人単位の犠牲者が出た災害の連発だ。これは子供向けの雑誌などにもよく出ていた。

 私の場合、田舎の静岡の狩野川台風、かつて住んだことがある三重県伊勢湾台風、親戚がいる岐阜の濃尾地震の際の、生々しい話を聴いたり、写真をみる機会が多かった。まだ気象予測や耐震構造が弱かったこともある。


 ケンヂたちが生まれた昭和三十四年(1959年)に、伊勢湾台風で5千人を超える犠牲者が出た。そのあとは前出の記事のとおりで、次の千人台の災害は1995年の阪神・淡路大震災だった。個人的にショックが大きかった雲仙普賢岳の爆発が、1990年のことだ。

 災害と景況の間での因果関係の有無は分からないが、1960年代から80年代にかけての、高度成長・安定成長・バブル経済の時代は、確かにこの表を見る限り、記事が主張するとおりの災害発生状況だ。


 近年、これが大きく変わって来たのは周知のとおり。東日本大震災以来、ここ東京でも中小零細の地震が増え、なかなか絶えない。今年も(今月のことだ)西日本豪雨があり、体温を超える猛暑が続き(これも今月のことだ)、もはや異常気象が異常ではなくなってしまった。

 気温や降水量の観測記録更新が続いている。噴火や竜巻の報道も多く、新しい島までできた。日本列島は活動期に入っている。いつまで、どこまで行くのか天のみぞ知る。


 1995年は、1月17日に阪神・淡路大震災があり、3月20日地下鉄サリン事件が起きた。これが偶然なのかどうか私には知りようもないが、それについては次回に考えてみる。考えることはできる。そして、1995年は自分の仕事の関係でも、重要なエポックになった。

 労働経済学の用語で、「生産年齢人口」という尺度がある。総務省の定義によれば、15歳以上、65歳未満の人口。簡単にいうと義務教育が終わり、老齢年金が始まるまでの年齢層であり、働き手またはその予備軍といったところだ。この生産年齢人口が1995年にピークアウトし、以後、減少する一方だ。


 この年代は、同時に消費者の中核でもある。売り手も買い手も減り始めたのが1990年代であり、現在の人口構成からして、今後も何十年という単位で減り続ける。

 この動かしようのない不利な条件下で、経済成長は無理だと思うし、それでも無理すれば悲惨な結果を招くと思うのだが、現政府が実験中につき(われわれを用いた人体実験でもあります)、明るい未来を期待しよう。


 振り向けば、バブル景気がはじけた時点で、日本の経済先進国時代は終わった。それ以降は、過去の蓄積がものをいい、表面的には快適な物質文明を享受し続けております。

 戦争も革命も飢饉もなく、古今東西めずらしい程の安定と平和の時代に生きながら、サリン事件は起き、今なお後継団体の信者は増えていると報道されている。カルト集団は、近ごろネットで増殖しているらしく、目に見えなくなった。他にも多数あるのだろう。


 前回、私はオウムの真相なんて分かるものかと大言しました。他方で、お馴染みの江川紹子氏は、真相は充分に究明されていると、処刑後に語っている。これは真相という言葉にどういう意味を持たせるかによる。

 事実関係ということなら、すなわち、いつどこで、だれが何をどうやったかに関して、これ以上、調べられない程までに調べたという意味においては江川さんの仰る通りなのだろう。そうでなければ、極刑の判決など容易に出せるものではない。


 私が分からないと言っているのは、5W1Hの残りの一つ、「なぜ」についてです。これについての分析は、知る限り、表層的なものばかりで、世間知らずのエリートが上手く社会に対応できないまま洗脳された、というようなものが多いのだろう。

 だが、そもそも、あんな連中をエリートというのか。あの程度の学歴や技能の持ち主なら、私の周囲や過去の知人たちにも、掃いて捨てるほどいる(失礼かな)。


 そして、その程度の知力の持ち主なら(つまり、われら普通の人たち)、当時も今も連綿と生まれ育っており、そして信者が減らない。尊師は特殊な人物だったらしいが、かといって信者以外の人からすれば、不世出の偉人ではない。

 手法は変わるだろうが、似たような発想で、とんでもない行動を起こす連中は、日本を問わず、この時代どこにでも集まり出る可能性がある。そして「反政府」とも限らない。己の来世のため、現世で他者を踏みつけるのは人間だけだろうな。




(つづく)









スパイダーさん
(学名コガネグモ、2018年7月7日撮影)







 I believe in the Kingdom come.

 But I still haven't found what I'm looking for. - U2











































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