おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

神様の万引き  (第981回)

 前回は書きたい放題で書きつくしたので、娯楽に戻る。政府刊行物の中に、法務省が取りまとめている「犯罪白書」という物騒な名前の資料がございます。最新の統計結果によれば、まず法律別でみると親玉の刑法が、二位以下(道交法など)の全部をひっくるめた数よりも多い。そのうちで一番多いのが窃盗すなわち泥棒である。窃盗の「手口別」というデータもあり、一位が「自転車盗」、二位が「万引き」になっている。

 自転車泥棒は目立つ。盗品が大きいし、特に都市部では置き場所(駐輪場等)が決まっているうえ、防犯登録をしていれば足もつく。万引きはこれらの条件が正反対といっていいほど揃っていない。しかも、上記の順位は「認知数」であって、万引きの場合は自首も少なかろうし、店が現行犯で捕まえたくても人員や設備が必要で簡単ではない。表面化していない件数は、きっと何倍か何十倍かあるのだろう。

 
 詳しい経緯は忘れてしまったが、ジャン・バルジャンが盗んだのはパンだから強盗とは思えず、たぶん万引きか置き引きなのだろう。わたしはこれまで一度だけ、万引きの現場を偶然見たことがある。ちょっと特殊な場所で、ニュー・ヨークの路上であった。道端に広げた軽食や駄菓子を一人で売っていた男が目を離した隙に、小学生ぐらいの男の子が大きめの菓子類をこっそりつかんで逃げた。

 近くにいた大人が気付き、店長にさっそく伝えていたが、少なくとも通り過ぎながら私が見ていた間、売り主は追いかけようとしなかった。大勢の歩行者がいて、すでに見えない逃亡者を探していたら、その間に商品がどういう悲劇にあうか分からないし、少なくとも売上はない。諦めたのだろう。しかし、日本では小売店業界が店によっては経営危機の心配も出るほど、その被害には困り抜いているらしい。

 
 さて、映画にも神様の降臨場面が登場する。彼の神殿の所在地は、至って古典的で橋の下。簡素な屋内には、ボウリングのピンと本が並んでいる。なぜかバナナと壁時計もある。演ずるのは中村嘉葎雄。通常、歌舞伎役者が映画やテレビ・ドラマなどに出るときは、主役級の二枚目と相場が決まっているように思うのだが、このたびはホームレスである。

 しかし、複数の信者もいる神様役なのだから、滅多にない機会ということなのだろうか。中村獅童と名字が同じなのは血縁があるからです。この血脈には、古来のカブキ者の遺伝子が託されているのかもしれない。


 映画の神様も、悪夢で目が覚める。ホームレス仲間に神様として崇拝されている理由は、「神様の言うことはよく当たる」というもので、ジャンルとしてはギリシャ神話でいうと「デルフォイの信託」や、わが卑弥呼のようなシャーマン的な有難さであるようだ。されどその神託内容からして、さほどの金銭的な御利益はなさそうであり、むしろ素朴に予言者として敬われている。

 しかし、この暮らしも世を忍ぶ仮のお姿であり、一時停止しているボウリング場の経営再建およびこの競技のリバイバルという壮大な夢を描いている。されど時代に恵まれず、ろくな夢を見ない日々が来てしまい、そして神様は立った。ここで改めて特筆すべきは、ケンヂより遥かに早くドンキーと神様とお姉ちゃんが決起しているのだ。


 しかも神様の場合、どう考えても「関係ない人が巻き込まれた」ケースであろう(原っぱの地上げ騒動は故意ではない)。それなのに、この物語において神様はひたすら困っている者の味方である。

 お守り的な現世利益はもたらさなくても、このあと多くの登場人物を救い、匿い、ときには炊きつける。「あのお兄ちゃんにお呼びがかかっちまったか。正夢だ。」と感想を述べておられるけれども、以下、明記するが、お呼びの第一弾をかけたのは神様ご自身である。


 地球が終わる夢に加えて、別途、うだつの上がらない兄ちゃんのケンヂが、地球を救うべく立ち上がる悪夢も見ていたらしい。その前兆ともいうべき出来事が起きた。ホームレスの一人が、「俺んち」の中に勝手に侵入した男を見つけた。さらに迷惑なことに血まみれの重傷である。確かに、このなりでは商店街を歩けないから、避難場所に選ばれても仕方がない。

 時は来たれり。犬猿雉のごとく三名の子分を連れて、神様は御自らキング・マートに向かった。しかし、なかなかケンヂ店長は一行の不穏な様子に気付いてくれず(直前にユキジの説教を食らっていたからだろう)、最初に窃盗団の襲来を察知したのは、万引きに詳しいお母ちゃんであった。


 ようやくケンヂが靴をちゃんと履いたのを確認したのだろう、神様は「万引きだ」と怒鳴っている。万引きとは所有権者に布告して行うものではないと考えるが、本件の場合は釣り餌に過ぎないのだ。ちゃんとケンヂが追いかけてくるように、三人の実行犯は両手に一つずつ、計6個の大きなコンビニ弁当を見せびらかすように引っ掴んで逃げ出した。神様自身はつつましく小物を頂戴している。

 ケンヂは若き日に音楽専門だったため、脚力が弱い。粗食のはずのホームレスたちにも追い付けず、ようやく平和の象徴ハトを蹴散らしながら、最終目的地にまで連れて行かれた。しかも、からかわれたうえに強制連行である。腹を刺されて横たわっている男はケンヂを認識し、こんなバカヅラが偉大な予言者なのかという失礼なご挨拶で迎えた。


 この俳優さんは遠藤憲一という主人公の兄のようなお名前で、今年の大河「真田丸」の第一回に、ちょこっとだが早速あの鋭い眼光で顔見世をしている。謙信の養子となって後を継いだ上杉景勝の役だ。「20世紀少年」においては、氏名不詳のうえ出てきてすぐにお亡くなりになってしまうのだが、重大な伝言をもたらした。マラトンの使者のごとし。

 彼によれば、「木戸を落とす前」のやり取りで目が覚め、命がけで逃げて来たのだという。重大な伝言とは、”ともだち”が本気で世界を滅ぼそうとしていることと、そのシナリオ・ライターがケンヂであるという凶報であった。


 ケンヂは基地でヨシツネに質問されたのを受けて、アドリブで決めた「さんふらんしすこの次はロンドン」であることを思い出すが、これが実証されるのはもう少しあとのこと。それよりも物証が決め手となり、すなわち先日掘り出した絵とそっくりの「レーザーぢゅう」(試作品)を突きつけられたのであった。

 さらに男はドンキーが持っていたという手紙を投げ渡し、「おまえしかいない。地球を救え。」と初対面なのに無理を言った。男はその次に、カンナに関する注意事項を途中まで述べたところで息絶えてしまい、神様の指示で水葬に付された。脅迫の文言で有名だが「すまき」ともいう。

 かくて地球救助リレーのバトンは、ケンヂの手に渡ったのだ。なお、ずっと前にも書いたことだが、状況証拠からして男を刺したのは、この少し前のシーンで教祖ピエール一文字を「絶交」したマサオであろう。「手口」が同じだし、ドンキー事件の共犯者だから、組織内の近い位置にいたはずだ。


 映画のピエール師は、竹中直人が全身白づくめで怪しげに且つ嬉し気に演じている。師も出てきてすぐにお亡くなりになってしまう。おそらく野球場と思われる布教会場に「10万人の指パッチン」という横断幕が張られているが、近年野球を観に行った神宮球場、西武所沢、横浜スタジアム、東京ドームのどれとも違ってやや小さいし、とても十万人も入りそうな外見ではない。誇大広告であろう。

 帰路、ケンヂはドンキーの遺言を読みながら途方に暮れつつ、俺にどうしろというのだと自問自答している。コンビニに戻り、売り物の新聞で確認したところ矢張りロンドン被災の速報。「気を付けろ」と警告されてカンナが気になるケンヂは、まず生みの親である姉ちゃんの部屋の捜索をすることにした。






(この稿おわり)







鎮西八郎、源為朝義経の叔父さん。
(2016年元日撮影、諏方神社にて)







 おお 神様 神様 助けて パパヤ   「老人と子供のポルカ

 I don't believe in Zimmerman.  ”God”  John Lennon

 (いずれもボウリング・ブーム最中の1970年の歌)


















































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