おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

月はどっちに出ている  (第967回)

 玄関先にいる喪服姿のケンヂの背中に向けた「塩、忘れるな」という母ちゃんの声が聞こえる。お清めの塩や砂は、もともと神道のものだったらしいが、これと仏教をゴッチャにしてきた我が民族は、何式の葬儀だろうと粒々で清める習性がある。最近のお葬式では、弁当のお手拭きに似た小さな大量生産の袋に入った塩を渡されることが多くて風情に欠けます。

 ケンヂは慣れない革靴を履こうとしているうちに、靴箱の奥に手紙が落ちているのを見つけた。これからお通夜に行こうとしている相手のドンキーが差出人であった。生前に自宅から出したらしい。封書の住所は東京都練馬区だから、新宿区から引越したという設定かな。


 この住所の中に団地名が記されている。かつて団地はマイホームを買いあぐねている一家にとって垂涎の的であり、その抽選結果はテレビのニュースになるほどであった。ドンキーは「あたり」を引いたのだろうか。なお、直前のシーンに団地妻のポスターが出てきて、ここで団地の住所が登場し、このあとケンヂが亡きドンキーの奥様を訪ねてその団地に伺う場面があるのだが、相互の関係はあるまい。

 何回か前にかぐや姫の「あの人の手紙」の歌詞を引用した。あの歌詞に出てくる「あのひと」は幽霊なのか、「わたし」の白昼夢や妄想なのかと昔はよく話題に出ていたものである。そういう風に読んだってかまわないが、でも普通に考えれば曲名がこうなのだから、突然帰って来たのは「あの人の手紙」のはずだ。生前、出したのが届いたのだろう。


 ドンキーの手紙は、相談したいことがあるという要件で、このマークに覚えはないかと書かれている。同封されていたのは、例の目玉マークが描かれた紙であった。ドンキーが描いたのかな。彼は子供のころ、間違いなく一度、これを描いている。「俺たちの旗」の制作時にである。

 その旗は、この通夜が終わった後で同級生たちが掘り出したカンカラの中から出て来た。基地の解散式のときに、あれも詰めようとドンキー少年が指さす彼方に翻っていた旗である。映画には出て来ないが、漫画によれば基地がようやく戦闘拠点の役割を果たしたあの夏の日、ドンキーがおっとり刀のごとく戦場に持参したものである。大きな生地が容易に手に入るような家ではなさそうだが、まさか鼻水タオルを縫い繋いだものではあるまいな。


 お通夜会場の立て看板によれば、ドンキーが亡くなったのは10月の半ばであった。漫画ではマルオの冗談や、生徒たちの態度の悪さや、なまぐさ坊主の喰いっぷりや、同級生たちが「香典の分」を取り返そうとする浅ましい食欲にケンヂは怒ってばかりなのだが、映画では通夜がしめやかに営まれている。

 最近のケンヂは行く先々で、目玉のマークを見かけるようになり、まるで巨大な眼に監視されているような気分なのだろうか。この会場にも持ち込んで、仲間に誰が書いたのかと問うている。モンちゃんはマークに覚えがあったようだが、デザイナーは依然として不明のままであった。その後の展開は漫画と同様。


 ただし、ヨシツネによると映画のドンキーは、先日の同窓会を「ドタキャン」した当日に亡くなったらしい。私はこのアレンジが余り好きではない。漫画のドンキーは少なくともその少年時代、どちらかと言えば孤高の少年だった。基地の中にいる絵もなかったし、万博にも単独行で挑戦している。同窓会に来るようなタイプには思えない。まあ好き好きだけれど。それにドンキーは同窓会のような騒々しい場所ではなく、ケンヂに今度時間を作って話したいことがあると言っていたのだ。

 夜の理科室の話題も出てくる。例の「5人目」はケロヨンになっている。校舎の3階か4階にあったらしい理科室の窓から飛び降りるドンキーの姿を、下のモンちゃんたちが見上げているようなアングルで描かれた絵は、本作品でも屈指の一枚だ。あの高さから飛び降りたら、下手をすれば命に関わる。追い詰めた連中には、殺意に近いものがあったと云っても過言ではあるまい。


 映画の理科室行きでは、夜空に満月が浮かんでいる。漫画では第14集のヴァーチャル・アトラクションで、ドンキー少年が校舎の窓から三日月を眺めながら、遠く月面に立っているはずの星条旗に思いをはせている。彼が旗にこだわったのは錦の御旗のような政治性によるものではなく、いずれ自らも旗を立てて宇宙人が攻めて来たら地球を守るためであった。サダキヨの交信が成功してもドンキーに撃退されるおそれがあったのだ。

 天体望遠鏡で夜空を眺めていた元少年として勝手を申せば、満月というのは余り魅力的ではない。何がスーパームーンだ。セーラームーンのほうがまだしもロマンチックです。それから、ルナ排卵というのも勘弁してほしい。不妊治療等でお悩みの方々には非礼かもしれないが、西洋語のルナは確かに月を意味するものの、辞書の解説はもっぱらその派生語の「lunatic」について詳しい。古来、月を恐れた民族もいたのである。狼男などは自動的に変身してしまうので大変だったのだ。


 望遠鏡でみると満月は、光条という満月ならではの現象を眺めることはできるが、真っ正面から日光が当たっているため、表面の景色は変化に乏しい。月の海の黒曜石のような滑らかさや、クレーターが月面に落とす影のくっきりとした凹凸の魅力は満月だと味わえない。十三夜や十七夜を愛でたのは日本人だけだろうか。ご先祖も素敵な発想をしたものではないか。

 ともあれ、われらがお月見を楽しめるのも、この大地にいる限り、形は変わりゆくが(満月はほんの一瞬の現象であって、一晩中満月ではない)、概ねサイズも色も同じようなものだから安心して鑑賞できる。しかし宇宙に行ったらそうはいかない。場合によっては地球を探すことになる。


 ドンキー少年が神社の階段に立ちはだかり、人類が月に立った時刻を秒単位までそらんじているのは、アポロ11号の月着陸船イーグル号が着陸したとき、NASA管制官と思しき男がライブ放映中に、記録のためなのか着地の時刻を読み上げており、それを我が国の実況で日本時間に変えてアナウンサーが喋ったためだ。ドンキーがケンヂの家で見た映像は、いまもインターネットで見聞きすることができる。

 NASAの音声には、着陸時に「The Eagle has landed.」というヒギンズの小説名を借用しているセリフも録音されている。ドンキーもあの時は、その脚力と運動神経で鷲のごとく舞い降りた。ただし、自主的に飛び降りたから何とかなったのだ。


 さて、向うが鷲なら、こっちは隼である。猛禽類のうちワシやタカの仲間は、身近なトンビが好例で、翼の先がギザギザである。もう一つのハヤブサの仲間は、翼の先が尖っている。むかし一番速く飛ぶ鳥と教わったが(名前も速そうだし)、これはハヤブサが急降下するときに体重をかけたときのスピードで、水平にとぶときはウミツバメの仲間のほうが速いと聞いた。

 そんなことより、小惑星探査機の「はやぶさ」である。第2号がスイングバイをやったと先日ニュースで騒いでいたが、あれはすでに初代がやっているし、アポロ13号は月の裏で離れ業を演じて生還、かつてアメリカの観測船は土星の重力を利用してハレーすい星に接近し、世界中の天文ファンを驚かせた。

 
 われらは何故か、あの「はやぶさ」号に一方ならぬ感情移入をし、映画も三つばかり作ってしまった。両陛下までお言葉を残され、国民的宇宙船になった。ハン・ソロの星間連絡船と同じ名前のこの船は、故障に次ぐ故障、通信も途絶えてしまい3年も遅刻したが、たまげたことに戻って来た。

 映画の一つでは、ちょっと皮肉られているNASAも、このリエントリーには好奇心とプライドを燃やしたらしく、夜空に観測機を飛ばして撮影に挑戦した。飛んだのはDC-8、その昔、「DC8型機」という名で報道されていた航空機である。さすがはNASA、この画像もきれいに残っている。


 奴は時を選び、夜になって大気圏に再突入してきた。高圧で空中分解し、それそれの破片が摩擦熱で炎上しながら燃え尽きる何秒かの間に、はやぶさ号はアステロイドイトカワから運んできた砂粒を載せた宝箱を空中に放出している。

 これが無事、オーストラリアの大地に、ヒギンズの落下傘部隊のごとくパラシュートを拡げて着陸した。二三年前だったか、この芥子粒を一つ一つ、研究機関に届ける仕事をする技術者たちを報道したドキュメンタリーを観た覚えがある。昨今、あれほど楽しそうに働いている人たちを見る機会は少ない。

 物語ではドンキー少年のはしゃぎっぷりに異論を唱える少年が登場する。ただし、幽霊と逆で、脚だけの出演なので、誰なのか分からない。月の周りをグルグル回っていただけのコリンズ中佐が可哀想だと言う。秘密基地の周りをウロウロしているだけで、仲間に入れない自分を投影しているのだろうが、余計なお世話だし、コリンズに失礼であろう。彼だって彼の仕事をしていたのだ。





(この稿おわり)







お清めの砂  (2015年12月28日、京都・上賀茂神社にて撮影)









NASAの公式ウェブサイトより拝借。
アポロ11号の着陸船イーグルと遥かなる地球。
1969年7月20日、月の周回軌道にてコリンズ中佐撮影。







 The lunatic is in my head.

    ”Brain Damage”  Pink Floyd - ”The Dark Side of the Moon”
















































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