おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

2015年のハロハロ  (第968回)

 2015年もあと数時間を残すのみ。今日は映画から離れて雑談です。どうやら幸い、西暦は終わりそうになく、使徒も出現しそうにない。以前「20世紀少年」と「新世紀エヴァンゲリオン」の共通点として、両作者と私が同い年であることと、2015年が厄年であることを挙げたが、まだある。まず、2015年については、庵野さんがオフィシャルサイトで、「ジェッターマルスと同じ」にしたと述べてみえる。

 このジェッターマルスを私は知らない。先日、一回り年下の男性とアニメの話をしたのだが、年齢と出身地(東京と静岡)がこの程度違うだけで、ほとんど話が通じない。これでは、子孫のためと称して書いてきたこのブログも、アホな先祖の落書きくらいの意味しか持たないかもしれない。手遅れである。ジェッターマルス鉄腕アトムのリメイクだそうで、やはり我らの年代はアトムの子であった。


 それに両作品はキリスト教の影響がある。使徒といい福音といい、特にエヴァにおいて顕著だが、20世紀少年も教会や聖書が出てくる。我らが子供のころ聖書物語が多くの家庭で読まれていたし、この宗教は何だか憧れの西洋文化の象徴みたいな有難い存在であった。

 まだある。両作品の主要登場人物は、ほとんど下の名がカタカナだ。書くとき楽です。浦沢さんは、意識的にカタカナ名を並べたとアエラの臨時増刊で語っている。この増刊号は主に日本のフォーク・ソングをテーマにしたもので、2006年の発行であるため、加藤和彦忌野清志郎も存命である。


 この雑誌に、遠藤賢司浦沢直樹の対談が掲載されている。これに上記のカタカナ表記の話題が出てきて、特に主人公はロックならケンヂしかいないと、モデルの相手を目の前にして語っていなさる。これに対する遠藤先輩の質問とコメントが可笑しい。質問はシンプルなもので、沢田研二じゃなかったんですか?という謙虚なものである。浦沢さんは、やむなくもう一度、遠藤賢司からとったと説明する羽目になった。

 ケンヂ少年の好きなGSの話題に逸れる。沢田研二がリード・ボーカルを務めていたザ・タイガースの歌の中で、私が一番好きだったのが「モナリザの微笑」という作品であった。どうやら出て行ってしまった娘を待ち焦がれながら、外は雨、男は涙という歌詞で、「壁に飾ったモナリザも なぜか今夜は 素敵な笑顔わすれてる」というのが曲名の由来になっている。

 1974年、私は中学2年生で、教室の後ろの壁におそらく原寸大に近いと思われるサイズの「モナリザ」の模写が飾ってあったのを覚えている。その絵は一年分のカレンダーだったので、暮れまで貼ってあった。これが見るときの気分によって、本当に微笑んでいないと感じたときには、さすがの私もさすがはダヴィンチだと思ったものです。


 次に遠藤さんは、この対談に先立ち一気に「20世紀少年」を読破したというから努力の人なのだ。感想も「とてもいい漫画、とてもいい読み物だと思いました」と好評であった。もっとも、そのあとで初対面ですぐケンヂの顔は浦沢さんだと分かったと断定している。言われたほうは無言。漫画には「バカづら」と明記されているのだが。

 Aマイナー論も面白い。浦沢さんは、Aマイナーのコードが好きで、そこからGやFに流れて行く感じが、とても気持ちいいという発言をしていなさる。「ボブ・レノン」(この対談では「ケンヂの歌」と呼ばれている)のコード進行は第8集に出てくるが、「地球の上に夜が来る」の部分と、最後のストロークの連発に、「Am→G→F」が出てくる。ちなみに、ここでの歌詞はごく一部、別バージョンと異なる。

 これに対し遠藤賢司氏は、「Aマイナーが世の中を動かして」おり、「宇宙の始まり、ビッグバンの音だと思っている」と語る。こういう思想は古今東西に例を見ないのではないか。ちなみに、この遠藤少年もホウキ・ギターの演奏歴があるそうで、最初の曲目は「スーダラ節」というから凄い。この曲もAマイナーからFに流れる。お二人にはカレーライス以外にも、いろいろ共通点があったのだ。


 今回の最後の話題は、愛読者にも良く知られたエピソードのようで、ときどきネットで見かけるし、過去も触れた。上記の第8集に該当の箇所がある。ケンヂを載せた巨大ロボットと、ニセモノ太陽の塔が対峙した絵を編集担当に渡したあとで、テレビの臨時ニュースが流れ、アメリカの同時多発テロを伝えた。

 この直前まで、作者の構想ではロボットと塔が格闘し、「新宿の摩天楼」を破壊しつくしたとき、20世紀が終わるという筋書きであったらしい。しかし、大勢が亡くなったに違いない事件の直後に、よく似た漫画を世に出すわけにはいかないということになった。


 あの「ケンヂの歌」も、このあとで作ったそうだ。となると最初に第4集に出て来た血の大みそかの商店街での年越しライブは、その時点で歌詞ができていなかったことになる。かくしてストーリー展開が変わり、爆発の場面も描かれることなく終わった。曲の初出はカンナの壊れかけたウォークマンから流れ、蝶野刑事が涙をこぼす静かな場面である。

 それにしても、20世紀の後半は先進国にとって、インフラ型の経済発展の時代だったと言ってよいと思うが、この漫画のテロリストと現実のテロリストが同様の発想で、世紀の切り替わり時に、そのシンボルたる高層ビル群を破壊する計画を立てたというのも強烈な偶然だ。

 ケンヂがパクったと語っているボブ・ディランジョン・レノンは、もしかするとそのメロディや歌詞の剽窃ではなく、むかし「プロテスト・ソング」などと呼ばれていた作品の数々を世に送り出した二人の精神を継いでのものかもしれない。平和の象徴がカレーやコロッケになったのは、コンビニ店長だからだろう。それでは皆さま、良いお年を。




(この稿おわり)





京都 上賀茂神社の境内にて
(2015年12月28日撮影)











 こどもみたいに 笑うあなたが     (C→Am→F→C)
 急に黙って セクシィ

         「セクシィ」   下田逸郎









































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