おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

箱根のドンキー  (20世紀少年 第221回)

 自宅が上野に近いので、上野公園の滝廉太郎の像のそばを時々通り過ぎる。彼が作曲した代表作の一つ、「箱根八里」は、小学校2年生か3年生のときに、教師の命令で覚えさせられた。文語の歌詞の意味は当時、ほとんど分からなかったが今なら読める。箱根の山は天下の嶮であり、函谷関もものとしない峻険である。この万丈の山越えに、一人の少年が自転車で挑んだ。

 ドンキーがケンヂたちの仲間に加わったきっかけである「ジャリ穴事件」は、第1巻に出てくるが何年のことか書いてない。ただし、1969年7月のアポロ11号月着陸の際、すでにドンキーはケンヂと親しいし、第4巻第4話に出てくるヤン坊マー坊の秘密基地襲撃事件は1969年夏の出来事で、ドンキーも双子と戦っているから、この年かそれ以前にドンキーは仲間入りしたのだ。


 翌1970年の夏、秘密基地で万博を語る少年たちの中にドンキーの姿はない。第7巻の65ページ目に、「そういえばドンキーはどうするって?」というオッチョの質問に答えて、ケンヂが「やっぱ金かかるからいけないってさ」と言っている。このケンヂの発言も、自らの未来を予言するがごとしだ。

 マルオが、オッチョの親戚のうちに泊まるじゃないかと言っているので、彼らはドンキーを誘っていたのだ。でも新幹線代も出ない。ヨシツネとケンヂは、ドンキーがさぞや月の石を見たがっているだろうなと同情を禁じ得ずに語り、少年たちは、しばし無言のままだ。

 67ページ目に、「こんにちは」の歌を歌いながら歩くケンヂと、同行するオッチョの姿が出てくる。1970年の夏は、いろんな事件が起きる大事な季節だ。大阪万博、ジジババの店でバッヂの盗難(この事件が1970年で間違いないかどうかは追って検証します)、サダキヨの引越、首吊り坂の肝試し。20世紀少年は小学校5年生。


 先走るが「21世紀少年」の上巻、第2話「夢の中の大人」には重要な話が出てくる。詳細は後に触れるとして、マルオがジジババのくじを当てた日は、バッヂが一つ足りないことにババが気付いたのと同じ日である。この日、ケンヂはジジババの店でアイスを買おうとしない。オッチョが金を貸そうかと申し出るが、「一昨日借りたからいい」と不思議な断り方をしている。

 店に近寄らない本当の理由はともかく、ヨシツネによると、ケンヂは買い食いが過ぎて母親に叱られ、ジジババの店での買い食いを厳禁されたらしい。だが第7巻67ページ目のケンヂとオッチョはアイスを食いながら歩いているので、その前のことになる。上記の「一昨日借りた」のは、この第7巻の日のことかもしれない。まあ、毎日のようにアイスを食べている様子ではあるが...。


 路上、二人はいつになく憂い顔のドンキーと会った。彼はケンヂを捜していたんだ、頼みごとがあるのだと言う。ケンヂは、アイスならオッチョにおごってもらえと陽気だが大外れで、ドンキーはどうしても万博に行きたい、月の石を見たい、ついてはケンヂの自転車を貸してくれと頼む。大阪まで自転車で行こうというのだ。

 自転車ならマルオもヨシツネもオッチョも持っている。だが、ドンキーの人選に間違いはなかった。ケンヂの反応は、いかにもこの人らしい。「俺の愛車は三段変速なんだけど、ヘタな五段変速なんか目じゃない超高性能だ。大阪なんか楽勝だ。むこうで、万博会場で会おうぜ」。

 こう言われれば、ドンキーもこれで難行を達成できるかもしれないという気分になろうというものではないか。ちなみに、五段変速は当時の子供の憧れであった。私は中学生になるまで五段変則には乗れなかった。


 お礼を述べるドンキーに向けたケンヂの笑顔を、その横でオッチョも嬉しそうに見ている。しかし、後年、ショーグンが角田氏に語ったところによれば、ドンキーが借りたケンヂの三段変速、おそらくジャリ穴に彼が乗り付けたあの自転車は、箱根の山越えで壊れてしまい、ドンキーは大阪行きを断念せざるを得なくなった。

 一般に、自転車が乗れなくなる事態とは、タイヤのパンクだろう。しかし、ショーグンは「自転車が壊れ」たと語っており、普通、パンクを故障とは呼ばないと思う。それにパンクだけなら、少しの金があれば直せる。チェーンでも切れたか。自転しなくなった自転車を転がして、ドンキーは箱根から東京まで戻ってきたに違いない。心身ともに、さぞかし辛かったろう。

 そのレンタサイクルを修理してケンヂに返却しにいったとき、傷心の少年二人はどんな会話を交わしたのだろうか。誰か僕をバーチャル・アトラクションに流してくれないかな。


 現在、JRの御殿場線が走るルートで箱根山を迂回する方法もあったのだが、ドンキーは正攻法を採り、天下の嶮を真正面から攻めたのだ。万博会場で会う約束を果たすことはできなかったが、その敢闘精神は特筆に値する。しかし仮にドンキーが大阪に辿り着いたとしても、ケンヂに会うことはできなかったのだ。その話は次回にて。



(この稿おわり)
 


誰の絵だったか忘れたが西洋人。
(2011年12月24日、国立西洋美術館にて)