おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

俺の友達  (第961回)

 寄り道を終えて、映画に戻ります。謎の男が角田氏に「そいつは俺の友達だった」と語り、そこで時間が過去に跳ぶ。どうやら季節は夏、場所は神社の境内のようだ。ケンヂ少年は、トレードマークの白い野球帽をかぶっている。高校野球部の練習用みたいな無地の白帽。後年、カンナが相続した。

 この物語に登場する少年たちは、揃って東京の生まれ育ちだから、多分みんな巨人ファン。さすがナガシマ。大リーグボール。長島選手のサイン入りのボールとバット。ショーグン自慢の背番号。かつて他球団を地元に持つ都市以外に住む子供は、大抵ジャイアンツのファンであり、稀にアンチ巨人というのがいて自己主張が強い。


 この映画の場面でケンヂが対峙しているのは、 史上最凶のツインズ、ヤン坊マー坊である。よくまあ、こんなそっくりさんの子役を二人も見つけてきたものだ。しかも充分憎々しい。悪党はこうでなければいかん。極道映画や時代劇やプロレスが廃れて、悪役らしい悪役が減ってきた。八名信夫が、人の心の痛みがわからない奴に悪役はできないと喝破していたのを覚えている。

 映画のケンヂ少年こそ、囚人が語る「俺の友達」だった奴だ。彼は、人間てのはな、一生に一度どうしても、やらなきゃいけない時があるんだと吠えた。そのあと顔から流れる汗をほとばしらせつつ、単騎双子に立ち向かう。ところで、この映画は漫画のいくつかの場面や台詞を組み合わせて、一つのシーンを構成しているところが何か所もある。


 ここでもそうで、まず武運拙くユキジ待望の白馬に乗った王子様にはなれず、ドン・キホーテとなってユキジともどもヤン坊マー坊に敗退した公園でのタッグ・マッチ。あの公園はフェンスや車止めの形状からして、フクベエと山根がナショナル・キッドの不逞な態度に腹を立て、見捨てて去った運命の別れ道だった可能性がある。

 次に、「人には一生に一度、どうしてもやらなきゃならない時がある」というのは、血の大みそかで幼いカンナを説得した際の名言だったが、結局”ともだち”が複数だったため、二回やらなきゃいけないことになった。

 もう一つ、原っぱの秘密基地を双子が奇襲に成功せり、この時もケンヂは一人で立ち向かっている。この漫画の仲間たちは意外と一人ぼっちで戦うことが多い。映画のオッチョが回想しているのは、この最後のシーンだ。助太刀に駆けつけた時に見ている。


 ところで、この「はてなブログ」のトップ・ページ右上にある「プロフィール」をクリックし、さらに次の階層の左下「プロフィールをもっと見る」を開くと、右下に管理人の名として私の氏名が出てくる。そして、フレンド(0)と明記されている。私には、友達がいない。俺はサダキヨか、ショーグンか。

 漫画のショーグンは、故郷に俺の友達なんていない、友なんて何の意味もないとタイ語で語っていたものだ。しかし、秘密基地に再結集した本当の仲間を見て、見解を改めたらしい。映画は1969年頃のケンヂから、時空を超えて1997年のコンビニ店長ケンヂが、本社の営業担当に叱られている場面に切り替わる。

 最後に、おまけ。通常は複数形と書いた「スランバー」を、単数で使っている歌を思い出した。私が一番気に入っているS&Gの曲で、タイトルも良い。俺はロックだぜ。






(この稿おわり)







大和撫子
(2015年9月19日撮影)






 I have no need of friendship.
 Friendship causes pain.
 It's laughter and it's loving I disdain.

 I won't disturb the slumber of feelings that have died.
 If I never loved, I never would have cried.
 I am a rock.
 I am an island.

          ”I Am a Rock”  Simon & Garfunkel




























































.