おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

怪談噺  (第947回)

 漫画「20世紀少年」で幽霊や、オバケが散々話題になっているのだが、考えてみれば今どきの若者には余り実感の湧かない話題ではないのだろうか。ああいう古典的、伝統的なオバケ、幽霊の類は最近とんと登場しないではないか。幽霊はどこへ行った?

 幽霊というのは、ノッペラボウのような妖怪(元々フィクション)とは異なり、生前は人類である。それが化けて出るから怖いのだ。私が小学生のころ、夏の夜のテレビ番組では、必ずと言ってよいほど、幽霊を主人公とする怪談ドラマをやっていたものだ。オッチョやケンヂもあれを見て育ったからこそ、首吊り坂が怖かったのである。


 夏場に怪談番組をやる理由は「涼しくなるから」というのが、周囲の大人の説明であった。間違いだろう。なんぼ怖かろうと涼しくなるはずがない。ただ単に、その間だけテレビに夢中になるので、多少なりとも暑さを忘れるだけだ。

 スピリッツの連載中に読んでいた人たちは大半が私よりずっと若いだろうし、エアコンのない生活を知らない人が殆どだったのではないか。私が初めてクーラーのある部屋に寝たのは三十代に入ってから。そのころはもうとっくにテレビの怪談ドラマなどなくなっていた。あれを知らない世代は首吊り坂の屋敷や理科室の幽霊の場面、どれほどの感慨をもって読んだのだろう。たぶん読み流しているはずだ。リアリティねえからねえ。


 三遊亭圓朝の代表作「怪談牡丹灯籠」は、今やネットの青空文庫で読める世の中になった。最初の段落に、湯島天神本郷三丁目という地名が出てくる。江戸明治に語り継がれた怪談は、元の物語や別バージョンが他の地域にあるものも含め、当然ながら江戸が舞台になっているものが多い。

 お岩さん。以下は水木しげる著「日本妖怪大辞典」という、この方ならではの力作の助けを借りる。岩は実在した人物であるらしい。歌舞伎の「東海道四谷怪談」で有名人になられた。お岩さんの実家は田宮家といって、家康に連れられて駿府から江戸に引っ越してきた御家人である。静岡には田宮という名字が今も多く、私の同級生にもいたし、プラモデルでもお馴染みである。旦那の伊右衛門は、なぜかペットボトルのお茶になっている。


 
 
 写真はボストン美術館のサイトから無断で借用した。そもそも、ボストン美術館は誰の許しを得て、日本の文化財を飾って金儲けをしているのだ。確か私が初めてロダンの「考える人」を観たのもボストン美術館だったと思うが、あれもアメリカ産ではあるまい?

 ともあれ、北斎の「さらやしき」である。彼の「お岩さん」の提灯も凄いが、こちらも独創的この上なく、髪型といい溜息(?)といい恐ろしく不気味なのだが、なぜか表情だけは愛嬌があって、関係者以外には危害を加えないような気がする。


 番町皿屋敷のお菊さんも気の毒な身の上であった。あれでは化けて出よう。現在、番町というのは、本郷や四ツ谷と同様、私が日常的にウロウロしている都心にあり、麹町から市ヶ谷にかけての地名である。

 お菊さんは何度、数えても十枚あるはずの皿が一枚足りない。北斎の絵は、最後に成仏するときの彼女を描いたものかもしれないな。ジジババのババは、「バッヂが一個、足りない」と言っていたから、さしずめ化けて出るとしたらお菊さんスタイルだろう。






(この稿おわり)








宮古沖の岩サンゴ  (2015年7月18日撮影)









 Her face, at first just ghostly, turned a whiter shade of pale.

           ”A Whiter Shade Of Pale”  Procol Harum


 もともと幽霊のような彼女の顔色が
 ますます青白い陰をみせたのは...














































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