おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Initiation Love  (第946回)

 乾くるみ著「イニシエーション・ラブ」は、はたして恋愛小説なのかミステリなのか知らないが、いずれにしても滅多に私はこの手の本を読まない。しかし、今回は親類にぜひと勧められたので本日(この下書きを書いた日に)読みました。漫画の感想文とは関係ないです。例によって未読の方はご遠慮ください。容赦なく中身に触れますので。

 この本を推薦した我が親族は、作者・乾さんとは高校の同窓生・同学年であり、半年ほど前の同窓会で会ったそうだ。ちなみに二人は、私とも同窓で3学年下。母校はこの夏の甲子園に出まっせ。この小説の舞台は前半(昔のレコードらしく、サイドAになっている)が静岡市で、後半(サイドB)が主に東京二十三区だから、おおむね我が人生の前半・後半と同じ場所である。


 そんな訳で、物語に出て来る地名や、レストラン以外の店の殆どは知っている。これは小説や映画を楽しむ上で大きい。「ゴールデンスランバー」は仙台市をほとんど知らない私にとって、土着的な親しみは湧かないのだ。サイドAで主人公の二人が最初に入るマクドナルドは、その道筋からして私が生まれて初めて行ったマックかもしれない。

 また、二人がクリスマス・イブを過ごすホテルは、私ともあろうものが披露宴を開催したところです。他にもいろいろ書きたいプライバシーがあるのだが、誰かを傷つける恐れが大きいため、泣く泣く黙る。なるほど、世の中にこれほどフィクションが氾濫しているのは、そういう事情もあるに違いない。


 文庫本の裏表紙には、「必ず二回読みたくなる」と書いてあるが、今のところは映画を観てから考えようかなと思う程度か。すっかりおなじみの最後の大どんでん返しといった惹句は、本書の場合さらに詳しく「最後から二行目(絶対に読まないで!)で、本書は全く違った物語に変貌する」となっている。そうか?

 確かに最後から二行目は早めに読まない方が良いとは思うが、別にこの行だけでストーリーがひっくり返るわけでもなく、作者はむしろこの一行が不自然過ぎないように、あちこちで種まきをしている。この売り文句は間違いなく作家ではなく、たくさん売りたい別の人が考えたのだろう。


 また意地悪なことばかり書きそうなので出直す。時代設定は1980年代の後半。先日、仕事で会った若い人に、話の展開で「バブル景気というのがあったのをご存じですか」と真面目に訊いた。お相手の年齢からして「聞いたことはあります」という程度の返事は覚悟していたのだが、「教科書で読みました」と言われてしまった。まあ、歴史的なバカ騒ぎではあったが。

 1985年がプラザ合意。私はその翌年にインターネットもメールもない時代のアメリカに行き、紅白歌合戦は日本からビデオで送ってもらった人の家で観るという5年間を過ごしたため、ワンレンとかボディコンとか男女7人何とかは、耳にしたことはあっても現物を全く知らない。夏物語と秋物語があったことも本書で初めて知ったよ。しかし海の向こうにも、クリスマス・イブの騒ぎは聞こえて来た。聖夜を性夜にした肉食系男女が、わしらの世代である。サイドBでは、その翌日も忙しい。


 サイドAの静岡の夏物語は、6人の合コンで始まるが、女の影には、その場にはいない男がいる。夏をあきらめて秋を迎えつつある東京の飲み会では、会社と社宅が同じである男3人と舞台女優3人が出てくるが、こちらは男の影に女あり。多分ちゃんと実質7人で統一しているのだろう。でも、TVドラマの筋を知らないので余り自信はないが。

 小説は映画化が決まる前に読むべきであった。本筋に関わる私の違和感(また、これだ)は、かなり早い段階でやってきてしまった。松田の息子と前田のあっちゃんが、この二人を演ずるのかという疑問である。はたして上述のごとく、サイドBに入ってからは男の言動やら、アインシュタインやら学科の専攻やら、ひさしぶりに電話口に出た女の声音やら、もう手の内はすっかり見せっぱなしになっているから配役もそういうものかと思うようになる。


 それから、上記の海外駐在に伴う事情のため半分ぐらいしか知らないのだが、当時のヒットソングの曲名が各章のタイトルになっている。それも出鱈目に並んでいるのではなく、「愛のメモリー」は女が「初めての相手がたっくん。二度目も...」と過去を語る場面が出てくる。「木綿のハンカチチーフ」は、最後の歌詞まで聴かないと意味のない歌であった。

 この程度で悪女といわれては、彼女もかなわんだろう。というより、それでは世界中に悪の水準が低い悪女だらけになってしまう。なぜか女は(全員とは申し上げませんが)、次の男ができるまでのブランクを嫌うため、本当は終わっている相手をしばらく保管しておくので、いきおい二股をかけるような重なりの時期が生ずる。その準備もないままに相手が去ってしまうと、中島みゆき風に言えば、「振られたての女ぐらい、落としやすいものはないんだってね」という結果を招きやすい。


 あまり自宅に来てほしくない様子、指輪を失くした、入院したのは便秘のせい等々、女の嘘としては可愛いほうの部類に入るのではないか。かといって可哀想でもない。鈴木は(今日は日本語なので、やれ複数がどうのこうのと悩まずにすむ)、女の隠し事を知らずにいるが、私も含めて男とはそういう存在である。知らん方が良い。最後は4人とも一応、落ち着いたんだから良かったのではないか。なお、しばらく使わないと痛むことがあるらしいので、あれは演技ではなかろう。たぶん。

 巻末で解説者が、静岡の鈴木姓について詳しい統計を示している。地元の人間にとっては、むしろ小説の最初の最初に出てくる望月という名字からして静岡的である。クラスに必ずと言っていいほど居た。女の姓である成岡も静岡にあり、私にも同姓の先輩がいる。昔の静岡か、何もかもが懐かしい。晩夏、静波の海水浴場で、よく糸クラゲに刺されたものだ。




(この稿おわり)






ふたりの夏物語 (2015年7月17日撮影)















 背中を丸めながら
 指のリング 抜き取ったね
 俺に返すつもりならば
 捨ててくれ

      「ルビーの指輪」  寺尾聡









































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