おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

過去のおわり  (20世紀少年 第908回)

 前々回と前回の続き。アルフレードの葬儀に参加したトトを迎えた村の人々の反応が興味深い。男たちは穏やかに黙って彼と目を合わせるばかり。他方でトトの母親や、アルフレードの妻のアンナおばさんや、エレナは堰を切ったようにトトを語り、アルフレードを語り、トトとアルフレードの仲を語る。アンナおばさんは形見があるからローマに帰る前に寄ってとまで言う。

 トトはアルフレードの葬儀の列に加わった。行列と霊柩車は、ニュー・シネマ・パラダイスの前でしばし停まる。最後のお別れのときなのだ。アルフレードと一緒にシネマ・パラダイスで働いていた50リラさえ持っていなかった男、アルフレードと一緒に教会で小学校の卒業試験を受けたセリフを覚えるのが好きな男、映画館で仲良くなった二人、それからミラノからきた館長もいる。


 トトはいつ閉館したのかと訊いた。館長は6年前だと答える。ずいぶん昔だ。そのあとずっと廃墟のままだったのか。間もなく公営の駐車場になるというが、それにしても長すぎる年月ではないか。感傷的に想像するなら、この建物はアルフレードの命ある限り保存されていたのかもしれない。

 棺を担いで歩くトトが、ふと気付いて目で挨拶する先に、年老いた小さな女が一人で立っている。遠景ということもあって、私には彼女が誰なのか分からない。親族とエレナ以外で、アルフレードとトトを知っており、この場で十字を切る程度には関わりのあった女。私には今のところ一人しか心当たりがない。その椿姫は映画館でも春をひさいでいた。


 アルフレードが懸念したとおり、トトにはこの村に、あるいはこの村で会った女に思い残すことがあったようだ。妹は別人のようになったと母に語りながら、一方で彼はこの村では何も変わっていないと言う。この村を見る彼の目が変わっていないだけなのかもしれないが、それはトトにとっては同じことなのだろう。

 トトはエレナにすがろうとしたが、彼女は峻拒した。ここまで二人に悲しい思いをさせた男のおかげで、それぞれ相当よい暮らしをしていながら、いま勢いに任せてよりを戻して何になる。

 アルフレードは何のために、命の恩人、カンニングの恩人を追い出したのかのか。しかもこの村からだけではなく、自分の人生からも。今回のトトは自らの意志で去らなくてはならないのだ。百日目の兵士になる前に。トトの青春はこうして終わった。

 
 土曜日。インプロ―ジョンの技術を用いて、ニュー・シネマ・パラダイスは爆破された。トトはようやく過去のものとなった映画館の最期を穏やかに見送る。お年寄りはみな沈痛な面持ちだが、新しい世代の象徴であるエレナの愛娘は、この爆発騒ぎをながめてはしゃいでいる。相変わらず広場は俺のものだと主張する男を見送るトトは、すでにこれまで以上の落ち着きを得たようだ。

 アルフレードの形見をローマに持ち帰ったトトは、映写技師に継ぎ目を確認してから写せと命じて試写室に陣取った。このフィルム・プリントはアルフレードが、「おまえにやる。ただし、しばらく預かる」とトトに語って没収した断片でできており、村では幻のヴァージョン集である。映写はすぐに始まった。彼の手にかかったフィルムの継ぎ目に問題があろうか。しかも丁寧に新聞紙で巻かれていたのだ。


 私は長靴のイタリア半島に行ったことはあるが、シチリア島は未踏の地である。印象としては「ゴッド・ファーザー」やマフィアの話から受けた影響で、家族や組織の結束が固い。昔は貧しさの故もあったのか。広場には夜中に日雇いを集めるシーンもあった。港湾荷役の仕事だろうか。共産主義者まで出た。

 きっと、みんなお互い頼り合いながら暮らしていたのだろう。おかげでアルフレードも長命したのだろう。トトはその共同体の中から、ただ一人、まるで追い出されたかのように都会に出た。

 ここまでよく頑張ったものだが、女を代えてばかりで子もなさず、成功したと言いつつ彼は足元がいつもぐらついているような人生だったのかもしれない。メルセデスに乗っていても、不良のようなカップルさえ、うらやましく見えたのかもしれない。


 でも最後に形見の映画を観ているトトは実に楽しそうだ。試写室や放送室は、独り占めすると気分が高揚するのだろうか。「新作」に暴力場面などない。タイトルも字幕もない。すべてが男と女の楽園ばかりである。

 映画の全盛期にシチリアの小さな村で映写技師を務めた男が、最初で最後ただ一つ残したこの映画作品の意味を知るのは、ぜいたくなことにトトだけである。このあと彼の作風がどのように変わるのか、そもそも、これまでの作風を知らない私たちには知りようもない。

 仮にこの自分だったら、どんな映画を撮影するだろうなと、先日、寝っ転がりながら考えた。平凡な結論が出るには出た。「ニュー・シネマ・パラダイス」を撮れるのはトトしかいない。ただし、今度は本名で撮ろう。



(この稿おわり)





イタリアの街角  (2006年5月27日撮影)
































 



 Oh, Angie, don't you weep.
 All your kisses still taste sweet.
 I hate that sadness in your eyes.
 But Angie, Angie, ain't it time we say goodbye?

    ”Angie”   The Rolling Stones










































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