おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

UFO (20世紀少年 第704回)

 第21集第5話の始まり。題名は「宇宙人現る」。予言はついに的中したのか。そもそも、そんな予言はあったのだろうか。われわれは全て宇宙に住む人類であるから宇宙人であるが。子供の遊びも昭和の昔に戻ったようで、二人の男の子がキャッチ・ボールをしている。気の小さいほうの子が暴投したため、たった一つしかないボールが排水口の中に飛び込んでしまった。

 少年時代のケンヂとオッチョは二人でボールを取に行って怖い目に遭っているが、ここでは気の強いほうの子が責任を相手に取らせて、ふんぞり返って待っている。こわごわボールを取に向かう少年の背中の上、見上げるもう一人の少年の視線の先に、何かが見えた。それは急に大きくなった。下降してきたのである。空飛ぶ円盤が。


 未確認飛行物体は、何かを「プシュッ」と放出した。それはどうやら赤い液体で、少年たちの頭上に降り注いだ。明らかに狙ったものと思われる。二人は「血だ」と恐れおののいているが、恐怖はそれだけではなかった。水以外のものが出て来るはずがない排水口から、不気味なシルエットの人型が出てきたのだ。空飛ぶ円盤とくれば宇宙人である。子供たちの「宇宙人だ」という絶叫が町中に響き渡る。

 ケンヂは北の検問所で芹沢らに宇宙人扱いされているのだが、やっと東京に戻ったのにまた宇宙人扱いかとぼやいている。彼の理解では赤い液体は「予行演習してやがる」であり、今回は赤ペンキだったが「この次に”ともだち”は...」と懸念を表明。街中はサイレンが鳴り響き、この世の終わりだ、ついに来たと早くも騒ぎが始まっている。”ともだち”のねらい、まずは心理戦からのようだ。


 子供からお年寄りにまで「UFO」やサウスポーという英語が知れ渡ったのはピンク・レディーの功績であろう。二人の全盛期は松田聖子ほか彼女らに続くアイドル達と比べて短かったかもしれないが、その絶頂時の騒動の激しさにおいてはたぶん類を見ないものだったという印象がある。身びいきかもしれないけれど。ミーとケイは私と同じ静岡市の出身で、3学年上。彼女たちが卒業した中学校は、同窓ではないが実家から歩いていける。

 もっとも、「UFO」や「サウスポー」のころは、彼女たちもすでに子供向けのデュオになってしまっていた。振付が子供たちに大人気を博したため、さすがの阿久悠もあまり隠微な歌詞を書くわけにもいかなくなったのだろう。最高傑作「渚のシンドバッド」までは、われら男子高生の鑑賞に堪える作品群だった。「わたしたち これから いいところ」とは何か。「今日もまた誰か 乙女のピンチ」とは何か。男と女の歌には余韻がなくちゃいけない。

 何回か疑念を呈してきたが、なぜ宇宙人がわざわざ円盤型の乗り物ばかり選ばなければならないのか、私には得心が行かない。でも、もうすっかり日本人の常識になってしまっているのだろう。なんせ名前と外見が似ている即席ヤキソバまで売られており、しかも美味しいのだ。どうこう言うのはもう止めよう。


 ところで先日、書き忘れたことがある。ケンヂは大阪万博の賞賛話を散々聞かせた後で、でも俺は行けなかったと言って蝶々君を驚かせている。このときのケンヂの表現は「行きたくて、行きたくて、行きたくて」であり、これは第20集で”ともだち”がカンナに伝えた言葉とそっくりそのままである。ケンヂの嘆きには感情がこもっている。

 では”ともだち”はどうか。ニセモノで悪人なんだから、どうせ嘘だと一刀両断にしてよいものか。後の展開からして彼は東京のニセモノ万博に「こだわり」を持っていなかったようだが、だからと言って本物の大阪万博に関心がなかったと即断できるものでもあるまい。理科の成績だけは良かったドンキーが自転車を駆ってまで行こうとした大阪万博に、理科の実験大好きなカツマタ君が興味を示さないということがあろうか。



(この稿おわり)





葛飾北斎 冨嶽三十六景 「駿州江尻」 (現在の静岡市清水区










 でも私は確かめたいわ その素顔を一度は見たい...

              「UFO」 ピンク・レディー
























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