おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ラーメン大好き小池さん  (第925回)

 
 たまには昔のように、のんびり漫画の感想文を書いてみたくなった。この作品にはご存じのように、藤子不二雄の影響が随所にみられる。何より、ハットリ君。登場人物ではウジコウジオ氏。「せぇるすまん」もそうかもしれないと考えた。ただし、アタッシュケースのほうは、1995年にカルトが本当にカスミガセキの駅に置いたが、このときは幸い大災害には至らなかった。けしからんことに地上最強の食中毒菌ボツリヌスをまき散らそうとしたらしい。 

 本日のタイトルにある小池さんは、藤子不二雄の作品群における重要な脇役として知られる。通りがかりの人物ではなく、主人公を難なく通りがかりの人物にしてしまうという不思議な能力を持ったお方であった。「20世紀少年」にはその名も類似品も出ていないように思う。わずかに映画のほうで小池さんが熱演していたが。


 今日は最初、「鳥の歌いまは絶え」というSF小説の古典的名作のタイトルを拝借しようかとも思ったのだが、これから述べる事情からして失礼でもあり不適切でもあると考え直して取りやめにした。先ずは本題のきっかけ。最近はテレビをほとんど観ず、たまにつけても映画かスポーツのライブくらいだけなのだが、スイッチを入れた瞬間だけは意図していなかったものが映るのは仕方が無い。

 そのときは朝のニュースをやっていて、私にとって意外なことに十年以上ぶりに観たのだが、つんくが映っていた。彼の母校の入学式か何かの映像で、あの饒舌な人物が静かに微笑んでいる。病気の手術で声帯の摘出手術を受けたという報であった。


 プロの歌手が声を喪うということが、どれほどのショックなのか私には想像もつかない。ただし、周囲で似たようなことが起きたことがある。友人にプロ(正確にいえば元プロで、その後は指導者になった)のクラシック歌手がいて、ときどき飲み食いする仲であった。数年前に癌を発症し、気の毒なことに脳や脊髄に転移して半身不随になった。自慢の声帯も麻痺して、かすれ声しか出なくなった。

 最後に入院先の病床を見舞ったとき、当人の知性は従来のままであったが、もう寝たきりで車いすさえ使えない状態だった。それでも、とにかく現役に戻るのだと張り切っていたのだ。これなら、まだまだ大丈夫だなと思って別れたのが最後になった。たまたまお墓が近所にあるので時々お参りする。あのときベッドの脇にCDプレイヤーが置いてあって、療養中もピアノ音楽を聴いていた。何これと訊くと「知らないのか」という。グレン・グールドの「マタイ受難曲」というらしい。


 以前、小欄でZARDシャ乱Qのころまでは、歌詞の意味が分かったのにと初老の繰言を書いた覚えがある。この二つのバンドの名を挙げたのは、ちょっとした経緯があってのこと。1996年に当時まだ中央政府の建物にさえ固定電話も水洗トイレも殆どないような国に長期駐在することになった。

 そのころはまだ、私の生活においてインターネットは無縁の存在であり、現在のように何時でも何処でも音楽が聴ける時代が来るなどとは夢にも思わなかった。やむなく出発前に時間をやりくりしてタワー・レコードかどこかに行き、CDを二枚買い求めて赴任先に持って行った。

 殆ど選ぶ時間もない衝動買いであったが、それがZARDシャ乱Qベスト・アルバムで、結局、3年8か月も聴き続けたことになる。いずれも長男に生前譲渡したので手元にはもうないが、その頃までの流行りの歌は、そのとき居た場所や付き合っていた人々の追憶と共にある。


 なお、正直に正確を期して申し上げれば、その前年の(またしても)1995年、われら一般人の間で既にインターネットという言葉がしきりに話題に出るようになったのを覚えている。当時の職場のメンバーと喋ったのを覚えているし、親から「インターネットというのは電気屋さんに行けば買えるのか」と訊かれ、否定も説明もできず「まあね」などと応えていた時代である。

 このころ、学生だった1980年にアルビン・トフラーが提唱した「第三の波」の第一波が来たのかもしれない。この本は横にしても立つほどに分厚い文庫本で発売され、今も実家の本棚で日焼けしている。この時代の様子は「20世紀少年」にも、ちょこっと出てくる。第2集第6話の「神様」で初登場の神様は、弁当を万引きすべくケンヂのキング・マートにお邪魔して、不審顔のお母ちゃんの目の前で新聞の立ち読みをした。

 このときの神様は「おっ、95のあとは98か。ビル・ゲイツやるね〜」と感心しているのだが、この「Windows95」が電気屋さんで売っているっちゃ売ってるインターネットの伝道者になった。神様の立ち読みは1997年のことだが、すでに販売予告が出ていた98の情報をキャッチしていたとは、さすが後年、株式投資で大金持ちとなっただけのことはあり、意外と努力の神なのかもしれない。


 ラーメン大好き小池さんの歌は、先述のシャ乱Qベスト・アルバムにも入っていた初期の代表作である。ただし、ニュースでは流石に歌詞の内容が大らか過ぎたか取り上げてもらえず、代りに「いい男になったつもりが」という、つんくの歌声が流れた。

 あきれたのはテロップで「いい男性」と書かれており、「おとこ」というフリガナが乗っかっている。公共放送が朝一番で国の言葉を乱してどうするのだ。この曲を何とかヒット・チャートの上位に登らせようと願い、シャ乱Qのメンバーは自ら書いたリクエストの手紙をラジオ局に送り続けたのだが知らないのか。


 小池さんの歌は最後まで聞くと、その歌詞から「オバケのQ太郎」の登場人物たる小池さんであることが分かる。1960年代のマンガ・アニメだから、まだカップ・ヌードルは登場していない。小池さんのラーメンは、マルオが好きだったチキン・ラーメンか、ちびまるこちゃんに出て来た「まるちゃん、まるちゃんて、私はラーメンか」のマルちゃんか、今も私の好物である出前一丁のいずれかであろう。

 小池さんが出てこなかろうと「20世紀少年」は、カンナも私も好みの「メン、かため」で名高い〇龍または七龍のラーメンが随所に登場してきたものである。ケンヂとカンナの場面を除くと物騒な会話や銃撃戦を背景に、ユキジとカンナ、神様とユキジ、チャイポンと王曉鋒、蝶野刑事とルチアーノ神父らに愛された。2014年には、ケンヂの誕生日プレゼントにもなっている。


 つんくの名に♂マークがついてからの彼の活動はよく知らない。20世紀で私の知識は止まっている。モーニング何とかにしろ、AKB何とかにしろ、主だったメンバーの顔写真と名字を覚えた頃になると「卒業」してしまうのは何故か。ともあれテレビのニュースではけっこう元気そうだったので、彼もいずれは何らかのやり方で音楽に戻って来るに違いない。

 あの騒々しい印象と異なり、シャ乱Qのメロディーは短調主体の美しいものが多く、切ない歌詞は当時、多くの娘たちの心をとらえたものだ。つんくは大阪の出身で、私との共通点が一つある。今はなき近鉄バファロウズのファンであった。復帰を待とう。



(この稿おわり)



春風薫る野外の球場で、久しぶりに野球を観てきました。
(2015年4月21日撮影。横浜スタジアムにて横浜・阪神の熱戦)





 今夜の風のかをりは あのころと同じで
 次の恋でもしてりゃ、ああ、辛くないのに

            「シングルベッド」  シャ乱Q (1994年)



































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