おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

夢  (第924回)

 これからは文章を短くしようと思う。あまり老眼によくないし、時間も体力も限りが出て来た。早速、本題に入る。もう数週間前になるが、若い人たちと雑談をしていたとき、ちょうどそのころ賛否両論を呼んでいたらしいお笑い芸人か誰かの発言が話題になった。バラエティー番組は全く見ないし、最近は雑誌も読まないので名前は聞いたが忘れた。知らない人だった。

 その芸人さんは、夢など叶うはずがないと言ったらしい。それなのに、有名人らが「夢は必ずかなう」などと保証し、真に受けた人が選に漏れたとき、ひどく傷ついてしまうというような問題提起であったらしい。なるほど。世代を超えて議論するに値すると思った。80年代ぐらいからか、日本のポップスに夢という言葉が頻出するようになったのを覚えている。どこかで何かが変わったのだ。


 案の定というか、突出して年配で理屈っぽい私に話が振られて、どう思うと訊かれた。率直にお答えしました。私がガキのころ、夢というものは叶うものではないという前提で使われる概念であった。日本語でも英語でも二義性のある言葉であり、もう片方はもちろん寝ている間に脳みそが勝手に作り上げる支離滅裂な映像で、いずれもちょっと現実のようで現実じゃねえのだ。

 その時に私が例に挙げた子供のころの俺達の夢とは、パイロットや偉いお医者さんになることであり、女の子ならバレリーナになることであり、よほどの幸運に恵まれなければ実現しないものだった。イチローや福原や浅田が、幼いころから描いていたものは夢などというロマンチックでフワフワしたものではなく、あれは人生設計だ。


 人生設計とは硬い言葉だか、その場ではそれしか思い浮かびませんでした。プラモデルでさえ設計図どおりにできないと大変なショックを受ける。一流のプロ・スポーツ選手などは、それを幼少時から背負い、不断の努力を重ねた結果、天賦の才が結実したものだ。次元の異なるものを安直に一緒くたで語るから、そういうことになる。

 ジョン・レノンが歌った「You may say I'm a dreamer.」という歌詞に出てくる夢は、極めて儚い実現困難な、ゆめ幻のごときものであった。マーチン・ルーサー・キングの夢は壮大であったが、同国から今も伝わって来るニュースに接する限り、いまなお夢のままである。80年代、ロサンゼルスにいたころ、すごく頭の悪そうな白人のティーンエージャー数名に「ジャップ」と囃され、雨あられと石を投げられたのを思い出す。


 やっぱり長文になってきた。失礼。それか”しばらくして思い出した。第16集に出てくる「4年3組 文集 ”ゆめ”」のことである。2年ほどまえに話題にしたときは、このフクベエ少年の作文の冒頭、「ぼくのゆめは ゆめではありません。」は言語矛盾だと一刀両断に斬り捨てて終えた。A≠Aだもんね。

 それに続く「ほんとうにおきることだから ゆめではないのです。」という解説を読むと、彼は私の解釈と同じ意味において「ゆめ」と言っているのが分かる。本当に起きることは夢ではないのだ(これはこれで、正夢という滅多にないが、ごく稀にある珍現象を無視しているが)。ただし、この後半こそ論理矛盾に近く、芸人さんが批判している「叶うに決まっている夢」に近い世界に陥っている。

 
 比べて秘密基地のオッチョ少年は現実的であり、一日に回るパビリオンの数や優先順位などを真剣に検討しているのだから、こちらは人生設計なのだ。実際に両者共通の夢だった万博行きを実現させたのはオッチョであり、「ゆめではありません」と放言したほうの妄想は、「ゆめ」の語義どおり壊れて消えた。真に受けたのはサダキヨで、彼は5年生になってからの転入生だから文集を読んでいなかったのか。

 はるか後年、行かなかったほうがレプリカを作って威張り、行ったほうがそれを見て泣き笑いするというのも物語の妙である。禍福は糾える縄のごとし。オッチョはさらに法王の暗殺ごっこだの、円盤でウィルスをまき散らすだの、万博にまつわる”ともだち”の騒動に、ことどこく巻き込まれている。夢の未来都市は、やっぱり実現しなかった。


 河合隼雄ユングの研究所で夢の分析を受けていたころ、毎日、意識してそういうことばかりしていると、かなり詳しく夢を覚えるようになり、その作業を終えると途端にもとに戻ると書いてみえたのが印象的である。実際、自分でも時々、試す。確かにそういう傾向はある。逆に言えば、それほどまでに私たちは夢をあっさり忘れるらしい。そして覚えている夢はろくなものがない。夢とは記憶やら潜在意識やらのゴミの一掃処分なのだろうか。

 吉行淳之介は、これが悔しかったらしく、枕元にテープ・レコーダを起きたらすぐ、先ほどまで見ていた夢について語り、それを録音して後で聴いていた時期があったと書いている。目覚めたばかりの自分の声は妙に間延びしていて云々という感想しか覚えておらず、夢の中身まで書いてはいなかったように思う。たぶん正直に書けない内容だったに違いない。

 漱石の「夢十夜」はファンタジックかもしれないが、夢にしては輪郭が明確過ぎる。アンドロイドは夢を見るだろうか。電気羊とはいかなるものか知らないが、ディックがみた夢かもしれない。さて、一巡りして冒頭に戻り、相変わらず私は夢など叶うもんかと思っているが、この意味での夢は多いに越したことはない。無料で無害で楽しい。ただし人生を賭けるのは慎重にどうぞ。



(この稿おわり)


 ロマンティックな夢ね 丸い素敵な夢ね
 リズムに乗せて 運んでくるのよ

      「シャボン玉ホリデー」 ザ・ピーナッツ 史上最強の双子歌手



 


実はこのわたくし、桜の花より新緑が好きでございます。
(2015年3月31日撮影)













































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