第8巻の49ページ目の最後で、血の大みそかについてのショーグンと神様の回想が終わる。神様の持つトランシーバーに向かって、「ケンヂおじちゃん」と叫んだまま口をつぐんでしまった3歳のカンナは、次の50ページ目で17歳になっており、”ともだち”記念館の広場に、蝶野刑事と二人で立っている。
かすかな陽光が雲に照り映えているのは夕方なのか、明け方か。蝶野刑事が驚きの顔で、「で、ケンヂおじちゃんはどうなったの?」とカンナの横顔を覗いているところをみると、カンナも血の大みそかの歴史的事実を刑事に語って聞かせたのだろう。二人の間に信頼関係が醸成されつつあるのが分かる。
この付近で大爆発が起き、大急ぎで辺り一帯が埋め立てられたとカンナが言うと、刑事はそれなら教科書にも書いてあると遮り、改めてケンヂのその後について訊いている。カンナが彼に黙って差し出したのは、例のカセット・テープ・レコーダーだった。ケースが壊れていて、テープで応急処置がしてある。蝶野刑事の耳に聴こえてきた演奏は、2000年12月31日の路上ライブ録音。
その日、第5巻によれば、地下水道にいたケンヂは、モンちゃんとの電話連絡が途切れてしまい、山形のカンナに電話してくるとユキジに言い残して地上に出るのだが、家出した孫を探して大忙しなのであろう、山形には電話が繋がらず、やむなくその足でギターを抱えて一番街商店街に路上ライブに出かけた。そこで彼が新曲ができたと前置きして録音したのが、蝶野刑事がここで聴いている「ボブ・レノン」だった。
第7巻でショーグンが角田氏に、「俺の幼なじみは、どんなに切羽詰まっも、歌を作っていた。そいつはどんな最悪の事態でも、曲を書き続け、ギターをかきならし歌った。誰も聞いてくれなくても、いつか誰かがこの曲をわかってくれるってな」と語っている。2000年の大みそかの時点で、最悪の事態とは、巨大ロボットの出現に他ならない。ケンヂの行動は、オッチョの語るとおりであった。
この新曲の録音が終わったときの様子は、第8巻の58ページから59ページ目に描かれている。かつて小欄に書いた覚えがあるが、第5巻の88ページ目に載っている、血の大みそかの最後の演奏は、これと異なる終わり方をしている。ケンヂは、「ボブ・レノン」を収録したあとで、別の曲を演奏したのだろう。
最後の演奏は、聴いていた二人の若者に拍手してもらえたのだが、彼らと別れた直後に何とケンヂはカンナに会った。第5巻は驚いているケンヂの顔で終わっているのだが、その続きが第11巻の23ページに出てくる。詳しくは第11巻のところで述べるとして、叔父と姪は、しばらく商店街で話をしている。その思い出がカンナをして再起せしめた。
ちなみに、第9巻と第22巻に出てくるウッドストックの話と、ケンヂが「何かが決壊するんだ」とカンナに語りかけるエピソードは、カンナの服装からして血の大みそかではなく、また、○龍で一緒にラーメンを食べた後で山形に行けと伝えた2000年晩秋の日でもない。同じころの別の日だろう。
15年前の「新曲」を聴き終えた蝶野刑事は、「歌...ヘタだな...」とだけ言って涙をこぼす。カンナのおじさんが、これを最後に彼女の人生から消え失せたことが、彼にも分かったのだろう。それもカンナに伝わった様子だな。二人の目の前にある新宿の高層ビル街に曙光が差した。地球の上に朝が来る。
(この稿おわり)
夜明け(2010年12月5日撮影)