おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あれから20年  (第923回)

 今日は長閑に桜の写真などで始めるのだが、春に浮かれているのではなくて、話題があまり明るくないため中和剤みたいに花を散りばめてみる。今年の東京は気候のせいか、それとも私が鈍かっただけなのか、あっという間に桜が咲いて、すぐに散り始めている感じ。

 2015年。西暦が終わるという予言。なぜこの年を選んだのかと考えあぐねているうちに、現実が漫画に追いついてしまったな。相変わらずこれといった名案も思い浮かばないが、ともあれ今年はあれから20年経つのだ。阪神・淡路大震災と、地下鉄サリンを含むオウム真理教の一連の事件があった1995年から。


 かつてピーター・ドラッカーの向かいだったか隣だったかに住んでいたという同朋のお話しを直接うかがったことがある。ドラッカー先生は日本の経済・社会に高い関心をお持ちだったが、バブル景気が終わって間もなくカルト教団が引き起こした狂気の沙汰について多大なる危機感をお示しになり、日本はこれで凋落するのではないかとまで危惧したらしい。
 
 他方、おそらく戦後(この言葉も古びた)では初めて都会を襲い、多くの被害者が出て避難生活が長期化した震災後において、後にボランティア元年とも呼ばれたように、多くの人々が被災者の支援にかけつけたのを知り(最初に食糧などの物資を本格的に配布した団体さんがどこだったかご存じだったのだろうか)、新しい時代を迎える兆候かもしれないとも仰ったらしい。

 私のように何も支援活動をしなかった人間にあれこれ言う資格はないが、それでも敢えて申し上げれば、ボランティア元年というのは余り聞き心地がよくない。昔はもちろん今でもたいていの地方では、困ったときはお互い様で人類は生きている。あのときは都市部のど真ん中で、しかも共同体ごと破壊するほどの大災害だったので、ほとんど助け合う余裕もなかったから目立ったという側面もある。


 いろんな桜の花があるものです。さて、その2年後に連載が始まった「20世紀少年」に、この震災が何らかの影響を及ぼしたのかどうか私には分からないが、これも含めて1990年代から2000年代にかけて、世相が極めて不安定であったことは間違いない。

 そして、もう一つのカルトの犯罪については、明らかに本作品のモデルの一つになっているということは、これまでしつっこく述べてきたので、ここでは個々に再掲しない。今回これを取り上げたのは20年目という区切りの年だから、何か(漫画と関係なくても)優れた報道や書籍の出版などがあるかと期待しているのだが、今のところ当方の聞き及ぶ限りにおいて思わず引き寄せられるような議論がない。


 地下鉄サリンの日付も先月、過ぎてしまったし、このまま「あの人はいま」みたいなスキャンダル後追いのごとき扱いで過ぎて行ってしまうのだろうか。前に書いたと思うが、あの日は霞ヶ関勤務の国家公務員とともに海外出張中で、ホテルにチェックインしたのち、BBCのニュースで観た。

 公務員さんに慌てて宿の内線で電話したところ、早くも日本に電話したそうで少なくとも家族や職場の人は大丈夫だとのことだった。朝8時なんて「そんなに早く出勤する人は殆どいないのに」とも言っていらしたのを覚えている。カスミガセキの官庁街は不夜城であるが、深夜業当然の彼らは朝が遅めなのである。犠牲者は駅員さんや民間企業の方が多かったと記憶している。ただし、マスコミに出るほどの被害を受けた方々だけだが。


 オウム世代のことも以前、触れた。我らの年代は高度成長期に生まれ育ち、国内に流血沙汰の戦争も革命もクーデタもなく、社会に出たころは「新人類」と呼ばれ(子の世代は「ゆとり」である。ひどい言われようの連鎖だな)、80年代にスピリチュアル・ブームで騒ぎ、バブル景気の時代に法外な価格でマイホームを建て、四・五十代になって早期退職、役職定年、部下無し管理職などの荒波をかぶっている。

 漫画も80年代から90年代にかけて、殆どの国や昔の日本人から見れば「苦労知らず」と言われても仕方が無いほどの安寧きわまる小人たちが閑居して不善を為した時代背景を踏まえて書かれている。ただ単に感想文を書くためにというだけではなく、そろそろ自分のこれまでの人生の決算と今後の時間と体力の使い方を考えたいから待っていたのだが、結局またも清算も総括もされずに年表に残るだけなのか。


 こういうことは宗教学者社会学者がぜひライフワークにして極めていただきたいものだが、当時は同じようなことをしようとして少なからずの人が命を狙われ奪われ、そして教団の後継者はまだ活動を続けているから、怖いのも仕方が無いか。また、保守的な人々は、必然的にこういう事件があると、一部の狂人の仕業であって、社会背景は二の次という論陣を張って逃げる。

 その点、村上春樹は勇敢であったし、人間が簡単に周囲に同調して振り回されるという、メダカの群れと大差ない習性があることを、関係者への直接取材を通じて確かめドキュメンタリーにまとめたのち、小説に昇華させた。もう一度、読んでみようと思う。


 あの当時はまだしもサティアンという物理的な大型建築物があり、選挙にまで出たから目立った。その同類がいま無数に、サイバーネット空間に巣食っているという噂を聞く。「ハイぺリオン」のテクノコアのように、お面をかぶり正体を隠して、やさしく真面目な言葉をかけてくるのか。本当はヴァーチャル・アトラクションの”ともだち”みたいに嘘つきということはないのか。

 巨悪に対する免疫力など持ち合わせないであろう日本人女子高生の一日当たりスマホ使用時間は、平均7時間というから少し時間を分けて欲しいくらいだが、メディアも感心している場合か(そうとしか、みえない)。「20世紀少年」にも小欄にも、「大丈夫」という言葉がたくさん出ている。年寄りの気苦労と若い世代は言うのだろうか。




(この稿おわり)




やはり桜も桜餅も葉っぱ付きでなくては。
(2015年3月31日撮影)





 友達のまた友達の輪が拡がるシンフォニー、素敵でしょう?   

      −  「だいじょうぶ マイ・フレンド」 1983年













































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