おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

【図説】太平洋戦争  (第1907回)

 書籍の題名です。太平洋戦争研究会著、河出書房出新社。1995年2月20日に初版発行。題名の通りで、先の大戦のうち日米戦が対象になっており、真珠湾攻撃から始まる。ただし、それ以前の日中戦争も、若干の記事があるし、巻末の年表に含まれている。表紙裏の地図が優れものだが、全体に地図よりは写真が多い。

 この1995年という年は、私にとって意味がある。それに触れる前に、どういう時代だったか、ざっと振り返ってみると、バブル景気が崩壊して間もない時期であり、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた年だ。私の年代は、オウム世代とも呼ばれた。幹部や実行犯に、同世代が多いのだ。


 私が生まれた1960年以降、現代に至るまでのわが国のマクロ経済は、乱暴だが二つに割ると、1980年代以前と1990年以降では、大いに異なる。1980年以降は景況という意味では好調・安定的であり、また公害や薬害、バブルのことを考えると軽率でもあった。私も概ね好調で軽率でした。

 1990年代以降は、一言で言うなら停滞。そして今後は、確実に急激に進みつつある少子化・人口減の対策をよほどうまくやらない限り、経済規模は衰退の一途を辿るはずだ。私も90年代以降は、停滞と衰退であり、まるで時代の鏡みたいな人生です。


 この1990年代の前半(おおむね91年から96年まで)、当時所属していた勤め先の部署が行う事業(主に国際貢献)に関連して、東南アジア・南アジアやオセアニアの国々などへ、毎月のように出張に行っていた。戦争のことは殆ど何も知らなかったし、意識もせすに出かけて行った。

 また、このころは円高で海外旅行のほうが国内よりたいてい安いという時代で、サイパン・グアム・ロタ、インドネシア、トラック島(ミクロネシア国チューク)、そして沖縄にも行った。出張はだいたい週末から翌週末までの一週間余り、観光旅行はその半分くらいの日数だから、個々の滞在期間は短い。


 戦争の傷跡が残っていた。ロタやタラワの海岸で見た大砲、ミクロネシアの海に沈んでいた日本の軍艦、そして、マニラの大使館を取り巻いて座り込んでいる数百人の年配女性。今の私は慰安婦問題について全くの不勉強なので、ここで意見は述べないが、あのときの灼熱の太陽が照り付ける車道に黙って座っていた人たちの姿は忘れようがない。

 先々で現地の人たちから、戦時の言い伝えも聴かせてもらった。敵対的な仕打ちを受けたことは一度もないが、「まあ、聞いて行け」という迫力があった。段々と、お邪魔する以上は、知っておかないといけないと感じるようになり、入門書として買い入れたのが掲題書だ。今も手元にある。第3刷。

 入門書は他にもたくさんあるから、これだけお薦めするつもりもないが、この本の冒頭にある「はじめに」という文章は、憲法という言葉が出てくるし、その内容はネットに残す価値がある。全文引用して終わります。


 太平洋戦争に敗れてから半世紀を迎えようとしています。ずいぶん昔のことのようにも思えますが、戦後責任国際貢献、あるいは憲法などという問題を考えるときには、五十数年前に日本が挑んだ太平洋戦争を、どう評価するのかということを抜きにしては考えられません。どんな戦争だったのか、時間を追ってその推移を終末までたどってみることが、今ほど必要なことはありません。


 戦場に、あるいは空襲にたおれた数多くの人々のことを偲ぶとき、収奪や破壊、殺戮に通じる道を決して選択してはならない、そんな思いをこめて編集しました。その思いは、読者の皆さまと共有できるものと、信じて疑いません。


(おわり)





拙宅からみた旭日  (2018年3月29日撮影)



































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