おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Back to the Past  (20世紀少年 第919回)

 今年の正月、就職活動を始める家族にネクタイを買うため、久しぶりにデパートの紳士服売り場に出かけた。そこで昔懐かしいブランド名を見ました。懐かしいといっても今はもうないという意味ではなくて、若い頃このブランドとジェフリー・ビーンズのネクタイを愛用していたのだ。

 見た途端に、これまた昔懐かしい映画を思い出した。「Back to the Future」のシリーズである。ネクタイが出てくるのではなく、紫色の下着として出てくる。パープル・ショーツだな。観ていない人には何のことか分からないだろうが、過去に跳んでしまった主人公の、ありあわせの仮名にもなった。


 三作のシリーズ物で、第一作は1985年に上映され、私は日本で観ていると思う。当時は私も二十代半ばであった。その翌年にアメリカにわたって5年間、駐在しているから、残りは米国で観たはずだ。映画の舞台はカリフォルニアであり、私はロサンゼルスにいたのだから、あの映画の設定上の現代と、同じような街並みを見ていたのだ。

 空が青くて、道が無駄に広い。画面に立ち並ぶ商店の看板をみると、JCペニー、トイザラス、バンク・オブ・アメリカ、バーガー・キング等々、今も現役の会社もあれば、消えた企業もある。プラザ合意のころで、バブル景気が始まった「メイド・イン・ジャパン」の全盛期であった。


 前後して上映されたスピルバーグのシリーズ作品、「ジョーズ」「スター・ウォーズ」「インディアナ・ジョーンズ」と比べても、私はこの「バック・トゥー・ザ・フューチャー」が一番好きだった。明るい。殺し合いが無いし、代々のマクフライ家をイジメ続けるビフも、総合的に評価すると一番の被害者のようにみえる。

 そんな訳で突然もう一度、観たくなって、ブルーレイとやらを三作ともレンタルした。このシリーズは一作ごとに「決めゼリフ」みたいなリフレインがある。第一作はビフがマイケル・J・フォックスの演ずるマーティの父親の頭を小突きながら怒鳴る「Hello, anybody home?」というご挨拶。

 このセリフはビフが最初に口にするのではなくて、ドクの家を訪れたマーティが語って映画が始まる。しかし留守であった。玄関マットの下にあるカギで、主人公は勝手に博士の家に入る。時計がたくさんある。町の大時計といい車の時刻設定といい、さすが時間旅行の映画だけあって象徴的に時計が使われている。


 その壁に二枚のポートレイトが掲げてある。100%の自信はないが、右側はアメリカ独立宣言の共同起草者であるベンジャミン・フランクリンではなかろうか。在米中たまに見かけた100ドル札に印刷された偉そうな態度の上半身像とよく似ている。

 向かって左側はトマス・エジソンか。この二人はドクと多少の縁がある。フランクリンは何を思ったか、凧揚げをしてまで雷が電気であることを証明した。エジソンはもちろん発明王であり、彼の発明品の一つがドクの部屋にもある。トースターです。エジソンは偉い人、そんなの常識。


 ちなみに、1955年のドクのラボには、その両側にも肖像画があって全部で4枚、ヨシツネ隊長の秘密基地のようになっている。右端はアルバート・アインシュタインであろう。未来のドクの愛犬と偶然、同じ名前である。

 左端はアイシンシュタイン博士に匹敵する科学者となるとサー・アイザック・ニュートンであろうか。バッハみたいな白くて大きなカツラをかぶっているから大昔の人だ。もっとも第三作に出てくるドクの犬はコペルニクスという名であり、こちらも捨てがたい大物である。


 この映画には時々、私が何度かこの感想文でも悩んできたタイム・パラドクスという言葉が出てくる。そして、実にうまく無視している。ドクからマーティに対するアドバイスも、「なるべく人と会うな話すな」「自分に会うな」という水準であり、しかも同じ町に行くのだから守り切れるはずがない。

 第三作で同じ線路に出るから大丈夫云々という会話が出てくるのだが、タイム・マシンはそんなシンプルな悩みを抱えているだけではない。いきなり出現する過去や未来のその場所には、少なくとも空気がある。自動車と空気はその瞬間、同じ場所に同じ時間に存在するはずで、これは人類未踏の現象であるはずだ。


 なにはともあれ、やっぱり過去や未来や現在を縦横無尽に混乱させてハッピー・エンドなんだな。それに、又聞きであるがガリレオ・ガリレイによると、コペルニクスは正しくて地球は動いている。自転もしているし公転もしている。

 さらにビッグ・バン理論の見て来たかのような説明によると、宇宙は膨張している由。こんな調子で同じ場所に戻れるのか? 天動説は良かった。時間も空間も絶対不変なものではなく、相対的なものに過ぎないとアインシュタインさんがすでにご指摘のとおりである。


 漫画「20世紀少年」は、生涯忘れ得ないほどの深い心の傷を追ったはずの悪人が、どういうわけか過去に戻りたがるかのように、その当時を再現しようとする。ただしタイム・パラドクスは苦手だったようで、ニセモノの万博を造り、ヴァーチャル・アトラクションを創り、挙句の果てに東京を昔の街並みにした。マゾヒスティックなんだろうか。ちゃんと首吊り坂も、ババの店先事件も再現されている。

 他方で「Back to the Future」も映画「20世紀少年」と同様、冒険科学映画であるとともに、主人公も制作サイドもロックが好きというのがうれしい。ヒューイ・ルイスの元気な声が似合う。エドワード・ヴァン・ヘイレンのギターは、第一作で凶器となるカセット・テープで聴けるし、さらに第二作の「レトロ喫茶」では写真を飾られ、第三作ではムーン・ウォークを真似られたマイケル・ジャクソンの「Beat It」にも出てくる。


 第一作の最後近く、ソロのやりすぎでダンス・パーティに来ていた両親ほか若き男女を驚かせたマーティは、「You are not ready. Your kids're gonna love it.」と言って誤魔化して去る。

 だが念のため、1955年にはすでにチャック・ベリーエルヴィス・プレスリーもデビューしており、本来はここにいる人たちがロックやR&Bを支持した最初の世代として敬意を表されるべきである。ただ単にジミ・ヘンドリクスピート・タウンゼントに間に合わなかっただけだ。


 ちなみに、私が持っているビルボード社発行のロックの歴史の本も、その第1ページは1955年にヒットした「ロック・アラウンド・ザ・クロック」であり、マーティはロック元年ともいうべき時代を体験したのだから羨ましい。「around the clock」は英熟語で、四六時中とか昼夜兼行という意味。正確には24時間なら時計の短針は二回転するのだが、まあいい。

 過去や未来に行くたびに、マーティが新聞で年代を確かめるのも、コイズミ的でよろしい。新聞の一つは「USA Today」であった。アメリカでも数少ない全国紙である。過去も未来も公開時の1985年から30年、前か後ろに行くことになった。一世代、前後する必要があったからだ。このため、過去編では1955年なのである。未来編は2015年、今年10月に連中が来る。




(この稿おわり)






朝焼けの光の中に立つ影は...  (2015年2月9日撮影)







 Well, I'm gonna write a little letter.
 Gonna mail it to my local D.J.
 Yes, it's a rockin' little record I want my jockey to play.
 Roll over Beethoven, gotta hear it again today.


         ”Roll over Beethoven”  Chuck Berry

















 朝もやの湖に水晶の舟を浮かべて













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