おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

みんな家に帰ろう 誰にも邪魔させない (20世紀少年 第918回)

 正岡子規の随筆、「松蘿玉液」(「しょうらぎょくえき」、墨の銘柄)に、こういう一文がある。「批評の標準が道理の上より来たらずして、感情の上より来るは珍しきことに非ず」(送り仮名など少々、改変)。

 これに続く文章を読めば、ここで子規のいう「批評」とは当然ながら文学評論を指していることが分かるが、前回からの続きで、今次の悲劇に対する日本人の反応を概観するうえでも参考になると思って引用しました。


 仕事柄、ほぼ毎日、新聞とネットのニュース、それに付随して画面に出てくる一般の人々の書き込み、TwitterFacebookなどに目を通している。今日の政治・社会・経済・国際などの諸問題について、他の人がどのような意見を持っているのか知っていて損はない。もちろん好奇心もある。読んで嫌な思いをすることも少なく無くないが。

 その一例が、もう何年も前からネットの匿名の書き込みのみならず、社会人の会話から識者の論説に至るまで頻出するようになった「自己責任」という言葉である。正確に言えば、この言葉の使われ方に、うんざりしている。


 大人たるもの、自らの判断やそれに基づく行動が引き起こした事態が、もしも誰かを必要以上に傷つけたり状況を混乱させたりしたら、その度合いに応じて解決に尽力するなり、謝罪するなりの責任を取るというのは言われるまでもないことだ。

 それなのに、まだ人質が生きているらしき段階から、当人たちや家族に向けるかのように「自己責任」という単語を氾濫させ、大合唱が起きる。これはTPOをわきまえていないという程度の非常識ではない。彼らの大半が言わんとしているのは責任の所在などという真剣な議論ではなく、「自己責任」という倫理性の高そうな言葉で隠蔽した「自業自得」という罵倒の言葉である。前後を読めば歴然としている。

 つまり、乱暴な表現で換言すれば「それみたことか、ざまあみろ」というような、他責他罰の憂さ晴らしをしているに違いない。私の心の中にも、いろんな悪魔が巣食ってるので伝わって来るのである。つまり冷静なふりをした感情論であり、上記のごとく百年以上前に子規が喝破している通りなのだ。
 

 「どれだけ人に迷惑をかけたことか」という論調も多い。誰に迷惑をかけたのかは滅多に書いていない。確かに膨大な額の税金が、身代金を払っていなかろうと出て行ったはずである。だが、その決断をした政権を選んだのはこの国の衆愚政治(さすがに言いすぎかなあ)の有権者である。

 すくなくとも書きこんでいる人の大半は、直接的にはイスラム国(国なのか?)から何の迷惑もこうむっていないはずだ。むしろネタを頂戴して興奮しているだけではないか。被害者の家族や友人は心を痛めているが、それは迷惑を蒙ったからではない。


 また、確かに今の外交治安当局は、TPPだの近隣国との領土問題だの危険ドラックだの、これまでに類のない困難な課題を抱え、ただでさえ東奔西走しているはずだ。

 そこにこの事件とくれば、彼らの心中に「なんでまた、よりによってこの時期に」という感情が一瞬、湧き出たとしても私は非難しない。体は一つしかなく、一日は24時間しかないんだから。そして、間違っても「迷惑だ」などとは思わないはずだと信じている。



 悪口はいい加減にして、事の発端になったという2億ドルの拠出金について考えた。私は政府がこんな巨額の金を出した(約束した、かな)のを知らなかった。支払いの名目が人道支援だから安全だという判断だったのだろう。

 そして、人道的支援が日本の外交の最大級の理念であり、手段でもあることを私は否定しないし、これからも優先順位が高いなら続けてほしい(嫌味を言えば、このままだとそのうち受け取るほうの国になる可能性がある)。

 こういう「良い話題」はニュース性が低いため、よほど紙面が空いていない限り報道されない。これは報道機関の怠慢であるだけではなく、主な原因はこちら側にある。そういう記事は読まない。そういう雑誌は買わない。そういうタイトルのニュースはクリックしない。情報の内容も分量も自由主義経済の下では、ちゃんと需給関係で決まるのだ。


 前回これからは日本も当事者だと書いた。今後、人道的な支援だから大丈夫という主張は、少なくともこのテロリストの連中には通用しないと考えなければいけない。彼らからすれば、金に色は付いていない。

 仮に全額が食糧や衣服や衣料品の調達に支弁されたことを認めたとしても、不倶戴天の敵アメリカと軍事同盟らしきものを締結している日本が、これを兵站に用いるのだろうと邪推されてもしかたがない相手だと思わなければ危なくてしょうがないことが分かった。

 本当に弱者支援に使われても、彼らは困るのだ。異端の資本主義諸国のせいで我らの多くは貧困のどん底で喘いており、ついては手段を選ばず敵を駆逐するというのが彼らの仲間内や周囲に対する大義名分なのだろうし、傭兵募集のスローガンにもなっているようだ。その敵の施しで一般の人たちの暮らしぶりが向上した日には、人殺しの本性が丸出しになってしまう。


 ...収拾がつかなくなってきた。解決策を提示せよと言われても言葉に詰まるが、少なくともこのような事態がおきている一因として、日本を含め世界中に蔓延している格差という名の化け物を何とかしなければ収まりがつかないと思う。

 思えば私が子供のころは貧乏人も心穏やかに貧乏でいられたのだが、それは金持ちの暮らしぶりを知らずにいられたという幸運と、何とか食っていけるという根拠の薄い楽観に支えられていたように思う。いまやITの普及により、セレブとやらの豪勢な生活やエスタブリッシュメントの成功体験話を、望もうと望むまいと浴びせかけられるように情報が入って来る。


 それに加えて私も、水や食料やエネルギー源を、そう遠くない将来、奪い合わないと生きていけないのではないかという不安にとらわれ始めている。戦国時代の記録を読むと、土一揆の連続である。フランス革命は自由と平等を説いた。アメリカもそれが欲しくて独立したのだろう? 欲張りは駄目。

 そして、テロリストへ。関係ない人を巻き込むな。どんなお題目を唱えようと、地球を救わずして無抵抗の人の命を奪うような邪念や暴虐の行を、私は正義とは呼ばない。ほかに、やらなくちゃいけないことが、たくさんあるだろう。「20世紀少年」を読んで出直せ。心して読め。




(この稿おわり)






東京は冬の後半に積雪を見る  (2015年1月30日)









 雪 気が付けば いつしか
 なぜ こんな夜に 雪が降るの
 いま あの人の命が
 ながい別れ 私に告げました

     「雪」  中島みゆき























































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