おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

地球に落ちて来た男  (第972回)

 今のところ痛み止めのおかげで大人しくしている痛風について、先日ブログの記事を書いたときのこと。いつもの楽しみである何の歌詞を最後に引用しようかと考えていた際、風が吹いただけで痛い病気という箇所で、デヴィッド・ボウイの「風が吹くとき」を真っ先に思い出した。だが、前にポップさんの登場場面で使った曲だったので、ディランの「風に吹かれて」に替えた。

 いずれにしても桶屋が儲かるなと、おバカなことを考えたのを覚えている。もっとも「風に吹かれて」も既に使っているのであるが、この漫画においては別格の歌い手なので例外扱いにしたのだけれど、そんな折にデヴィッド・ボウイの突然の訃報が飛び込んできた。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


 もう全く使われなくなったのだが、かつてまだ大半の日本人の体格が栄養不足の影響で小さく細かった時代、女性に対する褒め言葉の一つにグラマーというのがあり申した。文法のことではなくて、蠱惑的なという意味合いの肉体美を表すもの。現在は巨乳だの美脚だのとパーツを称賛するフェティッシュな表現が氾濫しているが、昔は全体のバランスと迫力を重視したものである。

 1970年代の前半に世を賑わしたグラム・ロックの「グラム」も語源は同じ。すでにロック・ミュージシャンは髪と髭を伸ばし放題で奇抜な服装をし、世間のまともな大人の大顰蹙を買っていたようなのだが、グラム・ロックでとうとう男も派手な化粧を始めた。その両横綱デヴィッド・ボウイTレックスだろう。


 この系譜は、その後もフォロワーに恵まれ、ピーター・ガブリエル、キッス、エロイムエッサイムズ、日本では忌野清志郎デーモン閣下私見では「やり過ぎた男」マイケル・ジャクソンに至るまで多士済々。一時期はローリング・ストーンズまでが、エジプトのファラオみたいなアイ・シャドウを塗りたくっていたものだ。

 しかし、その気色悪さ(失礼)において、元祖のボウイに勝るものはおるまい。マーク・ボランの悪口を聞いた覚えはないが、デヴィッド・ボウイは聴き手の好き嫌いがはっきり分かれるタイプで、ずいぶんと雑誌その他で批判記事を読んできた。彼らは今でも同じことを書けるかな。


 このたびの御不幸に接し、マドンナが並べた賛辞の中に、「地球に落ちて来た男」という懐かしい言葉が含まれている。もう20年ぐらい前に観た切りの映画なので記憶もおぼろげなのだが、あまり強くお勧めできる代物ではない。主演がデヴィッド・ボウイで、プロデューサーは後に反省したのか、「ディア・ハンター」や「ブレイド・ランナー」を制作している。

 この映画の原題は「The Man Who Fell to Eeath」で、定冠詞付きの「The Earth」ではないから、英英辞典によると地球ではなく、地面、地表、地上、マグマ大使の生みの親などの意味なのだが、まあここでは大差あるまい。地球に落ちて来た男の方が洒落ている。


 どこから落ちて来たかというと、本人が繰り返し語ったところによれば火星かららしい。どういう努力と工夫をすると火星から地球に落ちるのか分からないが、この映画にしろ当時のステージにしろ、彼の化粧やコスチュームや体格は、宇宙人というよりC3POに近い。

 私はおそらく十代の前半から彼を知っていたと思うのだが、先ほど気色悪かったと書いたのはその外装よりも、若き日の彼の異常な痩せ方や落ちくぼんだ眼窩がこの世のものとは思えない様子だったからだ。あの体型と容貌は、それなりに苦労して維持していたのだろうか。


 亡くなったというニュースに触れた日、私は久しぶりに古いロックのビデオを持ち出して飲みながら観た。もう3年くらい前に小欄で取り上げたもので、ローリング・ストーン誌が1987年に制作したものを当時住んでいたロスアンゼルスで買い、今なお大切に持っている。ロック20年の歴史といった内容です。

 なぜ20年かというと、遡って20年前の1967年に同誌が創刊されたという身内の事情によるものだが、幸いこの年は画になる出来事が幾つかあり、その映像が残っているのだ。例えば、ビートルズが世界に向けて発信した衛星中継で歌う「愛こそはすべて」や、ジミ・ヘンがギターに放火したモンタレーのポップ・フェスティバルである。


 司会進行役は、珍しくスーツ・ネクタイ姿の今は亡きデニス・ホッパーで、冒頭、「Suddenly, our music is everywhere.」と60年代がロックの時代であったことを宣言している。このビデオは主に2種類の映像の組み合わせで成り立っており、一つは過去20年の貴重な映像集であり、もう一つが制作時の現役ロッカーへのインタビュー記録である。

 この両者に出てくる(つまり若いころと、そうでもなくなったころの)人たちの何人かは、残念だが鬼籍に入った。ルー・リードジョージ・ハリスン、ジェリー・ガルシア、そしてデビッド・ボウイ。1987年のボウイはもう「激ヤセ」を卒業しており、顔色も良くて笑顔も明るく、いい歳のとりかたをしたなあと思ったものである。それに声も良くなった。


 彼の初期の代表作、アルバム「ジギー・スターダスト」では、架空のバック・バンド名に「火星から来た蜘蛛ども」(the Spiders from Mars)という奇妙な名前がついている。何でも「20世紀少年」にこじつけるブログだから見逃すわけにもいかないので書けば、ケンヂの先輩スパイダーさんと、ケンヂの同僚チャーリーが引き抜かれたバンド「マーズ内藤とブラボーズ」を彷彿させる。

 全員、火星人のかっこうで演奏するというのは、グラム・ロック的でなくて何であろう。ともあれ、私が社会人になった1983年は白人ロックが最後の光芒を放っていた時代で(言い過ぎかな)、ささやかな初任給で買った貴重なLPレコードが今もある。ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」、ポリス「シンクロニシティ」、そしてデヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」。さよならの手は振らない。合掌。





(この稿おわり)






本年もどうぞ宜しくお願いします。
(2016年1月2日撮影)




 I catch a paperboy.
 But things don't really change.
 I'm standing in the wind.
 But I never wave bye-bye.
 But I try. I try.

    ”Modern Love”  David Bowie




 新聞少年を呼びとめて記事をみる
 物事、何も変わっとらん
 風に吹かれて立ちつくす
 でも、バハハーイの手を振っている場合ではない
 でも、俺は努力する 頑張る


















































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