おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Nobody calls me "Chicken".  (20世紀少年 第920回)

 このブログも映画一般の感想文みたいになってきた。ともあれ、昨日は書き切れなかったので「Back to the Future」の続き。今回のタイトルはマーティを怒らすと、相手または本人が怖い目に遭うという際の、前触れ口上である。日本でもずいぶん流行った。チキンは第二作の表現であり、第三作では同じ「腰抜け」(coward)の意味で”Yellow”を使っている。

 第三作では昔も昔、1885年に旅行することになった。世界は帝国主義の時代、日本は富国強兵の時代であるが、まだ途上国だったアメリカは西部劇の時代である。フロンティアが消滅したのが1890年ごろと教わったから、西部開拓史の晩年である。もちろん、インディアンも威勢よく出てくるのだが、字幕では「ネイティブ・アメリカン」になっている。何と呼ぼうと彼らに残虐卑劣なことをしたのだから手遅れである。


 ずっと前に小欄において、未来は人も健康のために走るようになるとマーティが言って、酒場の男たちに笑われる場面があったと書いた覚えがあるが、改めて観るとこれはドクのセリフであった。科学者のくせに主人公より、余ほど驚いてばかりのクリストファー・ロイドだが(私はこの映画の彼の驚き方が好きである)、第三作では存外、情緒的な役割を演じている。

 なんせ恋に落ちた。相手は英語の先生で、トモコさんと異なり盗撮が原因でクビになる心配のない女性教師であり、どうやらドクは一目ぼれしたらしい。第三作ではマーティが、ビフの先祖らしい狂犬タネンとの決闘の時間を確認するにあたり「High noon?」と尋ねているが、それが原題の映画「真昼の決闘」に出てくる男と女はゲイリー・クーパーグレイス・ケリーであり、ドクとクララは残念ですがその格調において比べるべくもない。

 むしろクララの名は、似たタイトルのウェスタン・ムービー「荒野の決闘」に登場する愛しのクレメンタインと似ていなくもない。この映画には「ドク」も出てきた。OK牧場の決闘において、平和のために戦って...。手塚治虫の「火の鳥」に登場するドク・ウィークデイは、ヴィクター・マチュアが好演したドク・ホリデイのもじりだろう。


 このシリーズに出てくる西部劇へのオマージュは、背景に選ばれたジョン・フォード作品でおなじみのモニュメント・ヴァレーの岩山と(荒野の決闘にも出てくる)、役者はゲイリー・クーパーでもジョン・ウェインでもヘンリー・フォンダでもなく、マカロニ・ウェスタンクリント・イーストウッドである。第三作のエンディング・ロールの「Thanks to」の大トリにも彼の名がある。マーティも第一作の仮の名クラインよりは、イーストウッドのほうが気に入っている模様。

 第二作にクリントさんの出世作となった「荒野の用心棒」の髭面ガンマンが出てくるが、そのとき使った防弾チョッキのアイデアは、第一作でドクがマネしてリビア人テロリストの狙撃を受けたものの生き延びた(第三作ではマーティも真似た)。レーガン大統領時代のアメリカと中東の関係は現在に負けず劣らず最悪で、カダフィ大佐サダム・フセインは蛇蝎のごとく嫌われていた。そんな時代にユダヤの資本でユダヤ人の監督とくれば、悪役はこういう人種になる。


 第二作時代の未来である2015年は、とうとう時の流れに追いつかれて、現実との相違点がどうしても目立つ。誰もスマホを持っていない。そのかわり車が空を飛んでおります。ドクは「この車の行くところに道など要らない」と魯迅高村光太郎のようにカッコいいことを言っていたわりに、この空中道路の交通渋滞に巻き込まれたり、落雷でとんでもない時代に飛ばされたりしたのが1885年であった。

 こちらは過去だから流石に時代考証は未来より堅実である。ちゃんと、スウィング・ドアも出てくる。いいな。一度でいいから、あれを無造作に開けて暗い酒場に入っていきたいものだよ。それはそうと、拳銃の腕を褒められて何処で習ったと訊かれたマーティが「セブン・イレブン」と答えているのだが、1980年代のアメリカのセブン・イレブンに射的なんてあったかなあ?


 ドクがタイム・マシンに改造した車はデロリアンという名で、てっきりフィクションだと思っていたのだが、実在したアメリカの自動車会社らしい。車は何の略だか知らないが、「DMC-12」という車種らしい。最後は1985年に電車にはねられて大破するが、ややこしいことに1885年から戻って来る。

 ところで私にとってDMCといえば、「Run DMC」である。1980年代のヒップ・ポップの代表選手で、個人的印象としてはラップは彼らから始まった。うちにも彼らの曲が入ったMDがある。その曲は同じく1980年代に作られた映画「ダイ・ハード」に出てくる。

 主人公のブルース・ウィルスは贅沢にも、私用なのに空港からロサンゼルス市内にリムジンで移動するのだが、その中で同曲が車内に流れた。マクレイン刑事が「この季節くらいクリスマス・ソングをかけろ」と威張ったところ、運転手の青年に「だからクリスマス・ソングだって」と撃退されている。


 第三作は、さすがに19世紀とあってエレクトリック・ギターはないが、そのご先祖の楽器をZZトップが引いている。ギターをくるりと回したりしてコミカルな印象もあるが、ZZトップは実にパワフルなハード・ロック・バンドである。映画ではその演奏や歌声をしっかり聴けないのが残念。そして第二作では、ロックを聴いた記憶が無い。現実の2015年も似たようなものだ。私が知らないだけだろうか。どこかで練習しているんだろうか。

 第一作に戻ろう。デロリアンをタイムマシン改造車にするにあたり、ドクは起爆剤として使うためプルトニウムを盗んだ。スリーマイルの数年後である。彼もマーティーも、原子力きょだいロボットと同じように、例の原子力マークを堂々とあしらったレインコートのようなものを着ている。第二作以降、プルトニウムが出てこないのは、1986年にチェルノブイリが世界中に放射線をばら撒いたため、冗談にならなくなったためだろう。


 最後は小道具で終わります。1985年はおなじみスケボーが大活躍する。2015年になると重力に縛られず空中を浮遊しているのだが、これから年内に発明されるのだろうか。1885年のハンドルが付いているボードは、私たちがご幼少のころ「二輪車」と呼んでいた子供の遊び道具に似ている。かつて道路は子供の遊び場であった。ずっと昔は決闘もやっていたらしい。

 「私はクレメンタインという名前が好きです。」  
  保安官ワイアット・アープ談 (映画「荒野の決闘」より)





(この稿おわり)




 ローズマリーが小さな花をつけた。冬来たりなば春遠からじ。 
(2014年2月15日撮影)

 





 Do not forsake me, oh, my darling, on this our wedding day.
 Do not forsake me, oh, my darling, wait, wait alone.
 I do not know what fate awaits me.
 I only know I must be brave, for I must face a man who hates me,
 or lie a coward, a craven coward, or lie a coward in my grave.

           ”High Noon”  Frankie Laine





  














































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