ということらしい。どうやら小学校の理科室以来、宙に浮くのが好きなようだ。何とかと煙は高いところが好きなのだ。もっとも本当は縛られているらしく、嘘つきも同様に健在らしい。
しかも、同じころ我が国では現実に座ったまま宙に浮く教祖がいたようなので、マネっこも健在である。「坂の上の雲」を読むと、秋山真之も同様に座ったままの姿勢で跳び上がることができたそうだから、マネのマネということかもしれない。
先日、「Gravity」というB級映画を観た。B級なんて言うとファンに叱られるのかな。賛辞なのですが。なんせ殆ど俳優の人件費がかかっていない。ほぼ全編、CGという小道具で作られている。けっこうおもしろい。
ただし、邦題の「ゼロ・グラビティ」は余りに酷い。私たちがガキんちょだったころ、四次元の世界と共に憧れの的だった「無重力状態」に引きずられたのだろう。しかし、原題は「重力」である。正反対ではないか。ちなみに私は「真逆」という言葉の汚い響きがが大嫌いで、いまだに正反対派。
無重力状態というのは重力が無いように見える状態のことで、質量のある何かが存在すれば重力も必ず存在する。地球もリンゴも私も全てその重力で引っ張り合っている。少なくともニュートン先生が正しければ、そのはずである。
この映画は、「2001年宇宙の旅」と「アポロ13」のマネッコであろう。真似ていかんなどと野暮なことは言わない。ジョージ・クルーニーが慣性の法則により離れていくシーンは、2001年でおなじみの恐怖の場面であった。饒舌なキューブリックが宇宙のような静けさを描いている。
映画「アポロ13」でNASAのプロジェクト・リーダーを演じたエド・ハリスは、主役も脇もこなす希代の名人で、「Gravity」でも再びNASAの声優をやっている。今回は全員、生還というわけにはいかなかったが。あのトム・ハンクスの映画では、NASAの管制塔が計算尺を使っていたのを覚えている。今や骨とう品だな。
ハリウッド映画の前に、確かアメリカのABC放送がテレビのドキュメンタリー番組で、アポロ13号の帰還をテーマにした番組を制作し、日本でもテレ朝かどこかが放映した。もう20年ぐらい前のことだったが、印象に残っているのはアポロ13号が搭載していたコンピュータよりも、既にその当時のカーナビの方が高性能であったという話だ。さすがはアメリカ人、冒険科学旅行なのだった。
このテレビ番組には、最後に映画でエド・ハリスが演じたキャプテンの本物が出ていて、インタビューに応じている。「パイナップルARMY」をご存じの方はコーツ大佐を想起していただくとよい。見るからに、鬼のごとく怖そうな軍人であった。
世界中が注視する中、彼らは大変な苦労を重ね、重い責任を背負って厳しい判断を下す。月の重力と13号の慣性を使って、宇宙船を遠心力で地球まで放り投げた。マラソン・ランナーが中継点を巡るように、アポロは月の裏をぐるりとまわって帰って来る。番組の最後でこの鬼は、「あのとき、宇宙飛行士たちは本当によくやった」とだけ言って涙をこぼしたのを覚えている。
さて、映画ではそのNASAとの交信さえ途絶えてしまったサンドラ・ブロックが(以下、ストーリーに触れますよ)、ヨブのような目に遭いながらも、大宇宙にゴミの不法投棄をしたに等しいアメリカ、ロシア、中国に邪魔されながら、どこかに着水する。カエル帝国が泳いでいるので淡水だろう。彼女の故郷の湖だろうか。地球だと良いのだが。
ヒロインの最後の言葉は、「Thank you」である。岸辺に立って、空を見上げながら言う。相手はまだ酸素が残っているならば、今なお宇宙滞在記録を更新中である命の恩人だろう。だが多分それだけではない。彼女が立っていられるのも、ようやく思う存分、吸えることができるようになった酸素も、地球の重力のおかげ様なのだ。
このシーンのすぐあとで、もう一度、タイトルの「Gravity」が写し出されるのは、そういう趣向なのだと思う。だから、邦題の「無重力」はラスト・シーンを台無しにしている。私は他人に厳しいのだ。反陽子ばくだんも、重力に縛られる。だからあれも、張りぼてであろう。
(この稿おわり)
南国より無事生還の日 (2014年9月14日撮影)
翼を借りて 鳥になれたら
あなたのもとへ 飛んで行きたい
「鳥になれたら」 相川七瀬
そして今 君の重力が衰えるとき...
”Just Like Tom Thumb's Blues” Bob Dylan
.