おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

映画「地球防衛軍」  (第978回)

 少年ケンヂがちょろまかしたバッヂは、漫画では宇宙特捜隊のものだが、映画によると地球防衛軍の「バッチ」になっている(当時の語尾の発音は濁音でなく、映画も忠実に再現している)。この「地球防衛軍」で検索すると山ほど用例が出てくる。そういう名前の古い邦画まである。現代の多国籍軍の構成と外見上は似ているが、戦う相手と目的が異なる。

 先日、参照した遠藤賢司氏と浦沢直樹氏の会談によると、お二人とも上記の映画「地球防衛軍」のテーマ音楽が好きである由。映画はこの会談の後に制作されているから、おそらく元祖のエンケンさんに敬意を表したものか。ご本人も映画にアイヌ風のいでたちで登場し、主人公の遭難救助にあたっており、配慮が行き届いている。

 ケンヂ少年が万引きする物品は、設定上、何だって良かったかもしれないとも思うのだが、このバッチが選ばれたのは、ウルトラマンに加えて映画「地球防衛軍」の影響もあったのかもしれない。残念ながら私が生まれる前の作品で、子供のころ観た覚えもなかったため、初老になってから観ました。


 この作品も本格冒険科学映画のはずなのだが、冒頭、いきなり盆踊りのシーンである。風情があって良いが。漫画ではウッドストックの話を聞き付けたケンヂ少年が、「盆踊りか?」と素直な感想を示しているが、情報発信者のオッチョから見向きもされない。

 されど、一昨年亡くなったジョー・コッカ―が歌って踊っているシーンなど観るにつけ、あながち見当はずれの指摘とも思えぬ。それにこのフェスティバルは、おそらく私が最後に松明の迎え火を見たお盆の時期に開催されている。1969年8月中旬。

 オープニング・ロールに、「特技監督 円谷英二」と出てくるのが嬉しい。1957年の作品なので、そろそろ黒澤映画から海獣モノにステップ・アップを始めた頃なのだろう。常人ならば順序が逆になりそうなものだが、天才の考えることは分からない。


 この映画には巨大ロボットが登場する。しかし極めて弱く、早々に(地球防衛軍の発足前に)自衛隊により粉砕されてしまう。ちなみに容姿は、蚊や蠅のような昆虫の顔と似ており、衣装は大魔神と同様で、あれは鎧から着想を得たものだろう。

 侵略者の用件は、土地と女を寄越せという帝国主義者ならではの要求事項であるが、なんせ地球の石器時代には既に核兵器を持っていたと自慢するだけあって言い分が洗練されており、地球の女性と結婚させてほしいという表現を使っている。好みは悪くなくて、日本人女性ばかりが捕まってしまう。


 なぜ結婚願望が強いかというと、核戦争のやりすぎで罰当たりにも故郷の第五遊星を壊してしまい、自分たちもストロンチウム中毒になって、生殖機能のありそうな子供が2割しか生まれてこないからだという解説がある。地球の現代医学では、不妊の医学的な原因は概ね男女半々だと聞いているが、彼らは皆、男のようであり、しかも生殖の不出来を全て女のせいにしているとは、言語道断の沙汰であろう。

 子づくりのための来日ということは、生物学的に連中もホモ・サピエンスだということだ。そういえば、何とか星人は、なぜ「人」なのか。ケムール人もバルタン星人も、確かに二足歩行でシルエットは我々に似ているが、品格と言語能力に欠け、しかも素っ裸である。何より、同輩と呼ぶには大きすぎる。

 第五遊星の名の謂われは、たぶん第四惑星の火星の外側に小惑星帯があり、一説には昔そこにあった惑星が何らかの理由でバラバラに砕けたものであるという。その割に小惑星イトカワも含め、気ままに各自お好きな軌道を周回している。映画では、この異星の人類が故郷の星を破壊してしまい(あまり人のことは言えないが)、火星に移住したというから「子供の遊び」である。迷惑な移民であった。


 部分的ながらこの映画にそっくりなテレビ番組がある。ロックの時代に私が夢中になっていたメンコには、すでにマンガやアニメや実写版の子供向けTV番組が世に溢れていたから、それらに登場する良い者・悪い者の絵が描かれていたものだ。その中に珍しく舶来品もあって、例えば記憶では「サンダーバード」と「キャプテン・スカーレット」という、いずれもイギリスの人形劇。

 このキャプテン・スカーレットに出てくる異星人や組織の名前ほか諸設定が、その10年ほど前に作られた「地球防衛軍」とよく似ている。まあ、誰が考えても子供向けはこんなものか。当時、地球人以外で最も有名だったエイリアンは、ディープ・スペースではなく隣家の火星に居るはずだった。さて、以下はカトリックのお方はお読みになると不愉快を覚えるかもしれませんので予めお断りします。


 このサンダーバードとキャプテン・スカーレットの人形は、最近さっぱり聞かなくなったが、マリオネットというフランス語で表される「操り人形」が原型になっている。我が人形浄瑠璃のほうが、遥かに優れた芸能だと思うが、それはさておき、マリオネットは英英辞典によると、マリアの幼名であるマリオンから来ているらしい(有楽町のマリオンは建築用語で、スペリングも違う)。

 サンダーバードキャプテンスカーレットの作風は、これを受けて「スーパー・マリオネーション」という英語ができている。ファミコンの名を高らしめた任天堂のゲーム名と酷似しているが、マリオンの語源はマリアで、マリオはその男性名の一つだから、あのイタリアのパン屋さんのような外見からすると、ゲームのマリオは直接には人形劇からではなく、欧州の伝統的なお名前を採ったと思う。

 ちなみに、マリアとはむろんイエス様のご母堂がこの名であるが、我らのマライアさんは職業からしてマグダラのほうかもしれない。ドイツではマリア、フランスではマリーという感じで発音するらしく、このためウィーンで威張っていたハプスブルグのお母さんはマリア・テレジアで、フランスに嫁いでえらい目に遭った娘はマリー・アントワネットと呼んでいる。


 手塚治虫は「やけっぱちのマリア」で、この名を使った。これはどっちのマリアか判然としないが、主人公のやけっぱち少年が処女懐胎のごとく産んでいるので、やはりサグダラ・ファミリアがモデルか。もっとも、魂だけ生まれてきたため便宜上、肉体が必要となり、やけっぱちの父上ヒゲオヤジのダッチ・ワイフが人選されている。やはり天才の考えることは分からない。

 エジソンも最初に発明した蓄音機に、なぜか「メリーさんのひつじ」を吹き込んでおり、こちらも天才の考えに私がついていけない典型例である。さて、地球防衛軍に戻ると、段々と凶暴な素顔を露わにし出した異星人類に対し、いつもながら困った顔をしているのは志村喬だけで、他の人たちはケンヂ同様、断固戦うことにした。人質がおおぜい捕まっているのに容赦なく攻撃を始める。うちの実家のそばなのに。

 出演者のうち、他に顔と名前が一致するのは、白川由美だけ。主役級の男優二人は何度も見た顔だが、子供のころは俳優の名に興味がなかったので覚えていない。眉の太いほうのお方が、ウルトラQで万城目という妙な名前で出ていたものだ。ともあれ、彼らの奮闘により、また侵略者も意外と脆くて、空飛ぶ円盤に乗って逃げてしまうのであった。


 マルオに地球防衛軍のバッチを「持ってっていいよ」と語るジジババのババは研ナオコ、私と同郷で静岡の人。同じ県人会のピンク・レディとともに、一時期の歌謡界・芸能界を背負って立った偉人のひとりである。中島みゆきが作った「かもめはかもめ」を歌っている。あの歌詞が今一つ釈然としないのは、なぜカモメより、クジャクやハトが上位なのか。

 クジャクコブラまで食う悪食であり、確かにド派手に華麗だが、念のため、あの羽根飾りはオスしか持っていない。ハトもけっこう攻撃的なところがあり、仲間同士つつきあったり、餌をやろうとしている人にたかっている様子を寺社の前などでよく見かける。もしかしたら、恋敵への当てつけか。


 平和の祭典ウッドストック・フェスティバルのシンボルは、映画でもTシャツの背中などに観ることができるが、ギターに乗っかった鳥さんだ。おそらく渡り鳥にもピーナッツ・ブックにも関係なくて、平和のシンボルの鳩だろう。子供のころは普通に見かけた煙草「ピース」で、オリーブの枝をくわえていたものだ。ポパイに出てくるオリーブもサザエさんと似ていて騒々しく、平和のイメージとは程遠い。

 今日はちょっとした写真集で終わります。上から、20世紀の任天堂(撮影日は2015年9月23日)、空飛ぶヘリコプター(2016年1月8日)、品川のカモメ(同1月23日)、当家のオリーブ(同1月30日)。花札は何処へ行った? PPMのメリーはアメリカ人なのだから、発音はメアリが近い。ケンとメリーのスカイラインは国籍不詳の男女だが、ともかくもメリーさんのひつじは、多大なる影響を残した。





(この稿おわり)












 Where have all the husbands gone?
 Gone for soldiers, everyone.

 Where have all the soldiers gone?
 Gone to graveyards, everyone.

          ”Where have all the flowers gone?”














































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