おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ばんぱく ばんざい  (20世紀少年 第912回)

 どうだ。先週、万博で有名な大阪に行ってきました。駅舎を出るとお好み焼きの匂いに、串焼き屋の看板。一泊二日の出張で用事が二件あったのだが、両件は少し間が空いていたので、少し足を延ばして万博記念公園に参りました。二十年ぶりぐらいで太陽の塔も見た。


 あまり時間的な余裕はなくて実際には太陽の塔めぐりだけで終わったが、こんなに近くで観たのは初めてのことである。意外と大きい。身長約70メートルとあるから、ウルトラマンゴジラより長身なのである。つくづく巨大なものを造ったものだと思う。


 現地には行ってみるものである。見た途端に気づいたのだが、太陽の塔は「ばんざい」をしている。太郎さんが意識してそうしたかどうかは知らないが、なんか目出度いではないか。始まる前から万博万歳の用意があったのだな。

 こういう構造のおかげで、出来そこないのレプリカだったが、フクベエは右腕に乗れたし、13番は左腕に乗れたのだ。塔は西の方を向いているようで、私が午後遅くに現場入りしたとき、てっぺんの金属の顔が陽の光を反射して輝いていた。


 長男が生まれたときのことを思い出す。当日、産院に見物にいったときは、すでに新生児室に移されていて、ガラス越しのご対面であった。同じ生年月日の赤子たちが頭を向こう側に十数人並んでいるのは、足の裏に名前が書いてあるからだろう。識別用である。「寺本」というのがいて、これが子孫らしい。

 面白いのは、赤ん坊がみんな万歳をしていることであった。彼ら彼女らも、さすがに胎児晩期には住み慣れたお母さんのお腹の中も、無事の成長にともない窮屈になっていたのだろう。ようやく外出が叶い、手足を伸ばしているのだ。


 太陽の塔は中には入れない。したがって周囲をぐるりと回って帰って来た。胴回りの太さもなかなかのものだ。コンクリートのお肌が荒れているが、約45年間、雨ざらしざらしだから、これは仕方が無い。

 かつて書いたように、この塔はカオナシやアンメルツと同様、少し前のめりというか猫背なのだ。背中はこの中で発砲したらしいルチアーノ神父のように、イレズミ状の黒い太陽を背負っている。




 今や世の中にあふれかえっているが、公園や街角などの公共の場に置かれている彫刻や工芸品やガラクタを総称して、パブリック・アートという。日本でこのパブリック・アートの先駆者となった芸術家の今井祝雄さんは、万博(万博といえば大阪である)にも出品しているが、太陽の塔については、こう語っている。

 彼ら美術専門家の中では、太陽の塔は「漫画みたい」ということで、当初あまり評判は良くなかったらしい。でも、「いままた小学校のころに出会った人たちにとっては、僕らと違う感覚で受け止められていると思うのです」。さすがアーティストは時代や先入観にとらわれないのであった。

 その続きも良い。「この太陽の塔は建築ですが、彫刻と同様のパブリック・アートの一つでもあると思うのです。これはもう動かしようがないですからね(笑)」。出典は前も引用した「なつかしき未来 大阪万博」である。


 漫画「20世紀少年」に出てくるパブリック・アートらしきものといえば、あの爆発記念広場に立っているアイロンのような反り返った塔である。コイズミが宿題の取材にきたとき、久々のストライプのスーツ姿をした神様が、その前でケンヂ追悼ラーメンをいただきながら泣いていたものである。

 あの造形の意味がいまだにわからない。ただ先日、映画のほうを観ていたら、秘密基地の原っぱに古い道祖神が立っている。漫画では埋めた場所の目印としてモンちゃんが「木の根っこ」だと覚えていたのだが、映画ではそれに加えて道祖神がなぜか原っぱにある。アイロン塔と少し形が似ていなくもない。

 映画における神様は原っぱを潰してボウリング場を建てる際、あの道祖神をどうしたのだろうか。粗略にあつかったら、いくら神様と神様の仲であっても祟りの一つや二つ、心配せねばならん。


 最後は少し真面目に終わろう。コミュニケーションという言葉が今の日本人は大好きだが、英単語本来の意味は「情報の伝達または交換」(オクスフォード英英辞典より)である。岡本太郎はこういう通信と同様のコミュニケーションを嫌った。「情報化社会だからこそ、単なる理解を超えた超情報にもっと敏感に、真剣になるべきだ」と書いている。

 その象徴が彼にとっての芸術である。このため、「ぼくはエキスポ70にさいして、中心の広場に「太陽の塔」を作った。およそ気取った近代主義ではないし、また日本調と呼ばれる伝統主義のパターンとも無縁である。逆にそれらを告発する気配を負って、高々とそびえたたせた」。進歩と調和のど真ん中が、この調子である。



(この稿おわり)





大阪万博会場にて、2014年11月13日撮影。











 貴方の顔を思い出しながら 終わりかなと思ったら泣けてきた
 大阪で生まれた女やけど 大阪の町を出よう...

               「大阪で生まれた女」  BORO





















































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