二三年前に藤原の竜っちゃんの主演で、「かもめ」の舞台を観た。最初に彼を観たのはたぶん「バトルロイヤル」だと思うが、声が良い男だから舞台が似合う。戯曲「かもめ」は露国チェーホフの代表作である。記憶では主人公は二回、発砲し、運悪く二回とも命中した。
私が子供の頃の少年誌や漫画雑誌には、怪獣や人類滅亡やプロレスの特集が毎回これでもかという感じで載っていたが、当時、先陣争いをしていたソ連とアメリカの宇宙開発も科学的に詳しい説明を付して、バカな男子の教育用に情報が載せられていたものだ。
先陣争いでアメリカは旗色が悪く、最初に宇宙に行ったのもランデブーもドッキングも初めての女性飛行士も、みんなソ連の記録として残った。JAXAのサイトによれば初の女性飛行士テレシコワについて、「彼女が乗った人工衛星ボストーク6号は、1963年6月16日に打ち上げられ、71時間弱の飛行で地球を48周、彼女のコールサインである「私はカモメ」という言葉が世界に伝わりました。」とある。
幼いわしらはコールサインなど知る由もなく、小学館の学年誌やサンデーにもそんな説明はなかったように思う。なんだか、のどかで良い話だなと思っていた。故郷静岡は両隣に焼津と清水という天下の大漁港があり、訪れるとカモメが翔んだり、水兵さんのように並んだりしている。
コールサイン云々については、大人すら知らなかったのではないか。ウルトラQに出て来た人工生命のM1号は、どことなく南伸坊的な愛嬌のある男(かな?)であったが、最後に宇宙空間に吹っ飛ばされたとき、きりもみ状態の中で「私はカモメ」と叫んでいたものだ(では女か?)。
あのウルトラQの番組が始まる際の、ゆがんだ画像と軋るような音響は凄い。スピルバーグやルーカスは、しきりに黒澤監督を褒めるけれども、連中の作風を見ていると本当に衝撃を受けたのはむしろ円谷プロの特撮のほうではないかとも思う。悔しいから認めないんだな、きっと。
特撮もSFXと名を変え、さらにCGとなって、当たり前のものになってしまった。手作りの妙味は失せたが、しかし映画「20世紀少年」の巨大ロボットは、どちらもホンモノとしか見えなかったもんね。円盤のほうは円谷プロ風にレトロであったが、あれはあれで宜しい。
それよりも、なぜ映画の”ともだち”らは、あんなにたくさんの飛行船を飛ばしたのだろうか。ヒンデンブルクの事故も少年サンデーあたりに教わったように思う。あれ以来、軽いが取り柄の水素は疎まれて、大型風船とくれば安全第一のヘリウムとなった。とはいえ時々、ヘリウムで変声する遊びをして窒息死する者がおるため、巨大ロボットは万が一に備えてか窒素の風船になった。
今回の話題の最後に、映画のババの店にはジジのものと思われる軍服姿らしき男の写真が飾られていた。ジジは戦死したのだろうか...。せっかくカケオチしたのに。でも商号(?)がジジババである限り、今でも二人の店なのだ。どおりでババは迫力満点なわけだ。万引きに対するババの厳しさが、コンビニ店主ケンヂとは桁違いであったのが少年の不幸であった。
カケオチの話をしてくれた祖父は、ずっと前に亡くなったとユキジは言っていたが、すると店をジジババと命名したのは、基地の仲間の世代ではなくて、その親か祖父の年代か。でも、そのころはまだ老夫婦ではないはずだから「ジジババ」では変だ。この疑問も迷宮入りか。
都内は土地が空いていないので、大規模店舗やロフトが入り込む余地がなく、ジジババのような店がけっこう残っています。映画のジジババでは「あたり前田のクラッカー」を売っていたのだが、さすがに21世紀になって以降、これは見かけたことがない。でもメーカーのサイトを見ると今も製造しているらしい。ここまでくると意地だ。
(この稿おわり)
上は小学校1年生で、真ん中少し右の偉そうにポケットに手を突っ込んでいるのが入学式の日のわたくし。
下は2年生か3年生の行進中の写真だが、真ん中少し左で威張って歩いているのがわたくし。進歩無し。
もう一枚、サルスベリ。もろに逆光になってしまった。
(2014年7月22日撮影)
カモメはカモメ クジャクやハトや
ましてや 女にはなれない
− ジジババのババ
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