おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

月 (20世紀少年 第898回)

 少し前の金曜日、一仕事、終えてから連れと神田で飲むことになった。駅を中心に安いお店が多いところだが、週末の夕方とあってどの店も満員である。ようやく店先に臨時の机と椅子を並べてテーブルを作っている居酒屋の前を通りかかり、3席のうち1席だけ空いていたのでそこに決めた。

 臨時のテーブルとあって脚が不安定だったが、この設営にあたった店のお兄さんが古いお手拭きで下敷きをこしらえて無事解決した。彼は満足げに「Ole!」と言って呼び込みの仕事に戻った。30分ぐらいして雨が降って来た。店の軒下は狭い。われら屋外席の客は小雨に打たれながら飲んでいる。


 周辺の店の呼び込み役は、みな傘をさしているのに、段々と強くなる雨の中、わしらの店のお兄さんは客が雨に降られていることに責任を感じているのか、ひどく濡れながら働いている。ちょっと気の毒だ。先ほど彼がオーレと言ったのを思い出して、私はワールド・カップの話題を持ち出した。アルゼンチンを応援していたんだけれどね、惜しかったけれど決勝まで頑張ってくれて良かったよ。

 青年、雨の中、答えて曰く。俺はずっとアルゼンチンのファンす。その理由は、初めてテレビ観戦したのがメキシコ大会だったからだそうだ。分かる。ともあれ、今回は良い大会でしたと彼は続けた。「いいチームだったな。戦うごとに強くなりました」。雨は止まなかったが良い店を選んだものだ。


 小欄で何回か前に映画「20世紀少年」第一作で、アフリカの出血熱の新聞時事を読みながら、お母ちゃんが怖いねえと言っているシーン、スポーツ新聞の一面は1997年のアジア予選の試合に違いないと書いた。ケンヂ店長はお母ちゃんが店の握り飯を万引きするわ、売り物の新聞は読むわで怒り心頭に発し近づいて怒り出す。

 だが、彼の目に飛び込んできたのは高校教師の木戸三郎さんの自殺のニュースだった。さて、今回の脱線の仕方も無駄に手が混んでいます。ドンキーの記事の横に、タチアナ妃暗殺の小説、発売禁止という趣旨の見出しが出ている。前から何だこれはと、どうも気になっていたのだ。別にどうってことないのだけれど、ようやく何事なのかはわかった。


 そろそろブログの第2弾として「坂の上の雲」や正岡子規の感想文、第3弾として同時並行で縁戚の系譜について書こうと準備を始めている。なんていうと格好いい感じだが、別に取材などしておらず昔読んだ本を読み返しているだけだが。タチアナはスラブ系の名としては普通なもののようで、例えば日露戦争時のロシア皇帝ニコライ2世の娘の名前でもある。

 この皇帝さん、戦争ばかりしていたかと思いきや(第一次世界大戦を大ごとにした張本人の一人でもある)、ご家庭も円満だったようで娘が4人もおり、若草物語細雪のようなお嬢様カルテットができた(ついでにいうと息子もいる)。もっとも、この一家の末路は悲惨で、娘たちの最期は酸鼻を極めた。


 この姉妹の中には、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」に出てくるアナスタシアもいる。彼女らは揃って別嬪さんだったそうだが、父親と時代に恵まれなかった。DNA鑑定騒ぎが起きたのは、もう10年くらい前だったろうか。死んでからも忙しい。ともあれ、タチアナ妃は暗殺ではなく、革命で死刑になったはずなのだが...。

 さて、謎解きなどと呼べるほどのことでもない。DVDを一時停止にして新聞記事の本文を読めば、これは見出しだけを似た名前に差し替えただけで、元の記事はそのままだ。1997年に亡くなり、ちょうど発売直前だった小説の内容と余りに不気味な共通点があって出版中止になった事故の当事者、プリンセス・ダイアナ。


 ちょっと冷たいことを言うと、当時も今も彼女がなぜあんなに人気があるのが理解できない鈍感な私である。華やかではあったが、いずれ国母となるであろう気品という点では、美智子さまグレース・ケリーに遠く及ばなかったと思う。でも最後の最後は本当に気の毒だった。

 ダイアナもよくある名前で、古代ヨーロッパの月の神様に由来する。ドンキーは高校教師になっても、天体望遠鏡で月を観ていたらしい。ケンヂは傷心の奥様にそう言っていた。夜空には月以外にもいろいろあるんだが、かつて途中まで一緒にアポロの挑戦をテレビ観戦した仲だから先入観が強いのだな。

 そういえば最近の報道によると、月はこれまで言われてきたような中心部まで冷え切った岩塊ではなく、中の方はまだ熱を持っていて、伸びたり縮んだりしているらしい。別にバカにするわけではないが、人間の科学技術などこの程度のものだ。


 子規逝くや十七日の月明に  虚子

 正岡子規が他界したのは明治三十五年(1902年)の秋。この年、歴史の授業で習ったように日英同盟が締結され、ついでにいうと戦艦三笠が竣工している。この21世紀は2001年の宇宙の旅ではなくて同時多発テロで始まってしまい、テロリズムの世紀になりかねない気配があるが、かつて20世紀は日本がその幕開けに一役買った戦争の世紀だったのだ。

 さてと、明るく音楽の話題で終わろう。母がタンゴ好きだったせいで幼いころ浴びるほど電蓄でアルゼンチン・タンゴを聴かされたが、ラテン音楽とくればやっぱしサンバだろうぜ。ブラジル代表も歌って踊って出直してくれないと、ブラジルが弱いワールド・カップなんて、そう何度も観たくない。



(この稿おわり)





子規が住んだ鶯横丁の今   (2014年7月8日撮影)



 You and I, we will be as free
 as the birds up in the trees.
 Oh, please stay by me, Diana.

             ”Diana”  Paul Anka








 サッカ・ーボール、早くこのデザインに戻せー





 貴方を捜して伸ばした指先が 
 踊りの渦に巻かれてく人ごみに押されて 
 リオの街はカーニバル 銀の紙吹雪 
 黒い瞳の踊り子 汗を飛び散らせ 煌めく羽根飾り...

                ”ミ・アモーレ”  中森明菜














 We haven't had that spirit here since 1969.  

          −   ”Hotel California”  The Eagles


 今もまだ、1969年の旗は立っているだろうか。  

          −  遠藤ケンヂ




















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