ジジババのアイスが、世界大統領を生んだと申しても過言ではない。これからそれを論証する。ところで先日、国連の事務総長が何を思いなすったか日本政府に反省を求めたが、これを揶揄するネットの書き込みの中に「この世界大統領は...」というのがあって笑いました。きっと読者仲間だ。
ババに責任があると言いたいのではない。幾つかの不運と不注意が、アイスの当たり具合いの偏りに重なったのだ。そもそもジジババのアイスは当たらないというのが、20世紀少年たちの間での経験則であった。それは当たり前で、次々と当たりが出たらババも商売上がったりだ。
お菓子の仕入れ値には当然、景品の費用も含まれているはず。ああいう当たりの確率というのは、メーカーが決めるのだろうか。それとも小売店ごとに平等に出るように流通の段階で調整されているのだろうか。
いずれにしても厳しく言えば、あこぎな商法である。子供らの欲を徒らに煽る。また、当てた子と当たらない子の間に不公平感が生ずる。先日は立派な書店がインチキしていたという内部告発まであった。子供は世の中の理不尽さをこうして知りながら大人になるのだけれど、ケンヂはそれまで待てなかった。万博に行けなかった夏、彼は傷ついていたのだ。
ともあれ、その当たらないはずだったジジババのアイスに、立て続けに二つの当たりが出た。一つ目はカツマタ君が当てた。常連さんで大量消費者たる秘密基地の仲間ではなく、あまり活動的とは思えない彼に栄冠が輝くのも人生の妙味。
ここまではカツマタ君にとっておめでたい出来事であった。彼の最初の不幸は、繰り返しになるがバッヂを受け取りに行ったとき、偶然ババが不在だったことだ。それでは、そのとき彼が下した次の判断はどう評価するか。
当たりくじを置いただけで景品を黙って持ち去るというのは、大人の世界では非難されるべき行動であろう。田舎にいくと無人の野菜売りの台などがあるが、あれは売り手が買い手を信用して、その旨、明言しているから成り立つ市場である(払わない奴がいるらしいが)。
されどここでは子供の話である。皆が欲しがっているバッヂの所有権を得て、一刻も早く手に入れたいと思わない子供がいようか。二つ目を当てたマルオもあんなに興奮していたし、二人とも手に入れてすぐ服に付けて見せびらかしている。ジジ亡きあと老いて一人、店を守るババの怒りも分からんでもないが、このくらいまでの勝手な行動は、私はどうこう言わない。
問題はその後だ。カツマタ君はバッヂを付けたままの格好で、虎視眈々とバッヂ泥棒を待ち構えているババの目の前を歩き抜けようとした。この前後を含め、上巻の少年時代のシーンが同じ日の出来事で時系列に描かれているのであれば(筋の展開と服装からして多分そうでしょう)、今やカツマタ君はフクベエと山根に合流すべく公園に向かっている。
普段、自分に冷たい態度ばかりの遊び仲間に、たまには威張ってバッヂを見せたかったのかもしれず、あるいは昨夜見た不思議な夢の内容を早く伝えたかったのかもしれない。しかし、この時のババの怒り方からして、明らかにカツマタ君はバッヂを黙って持ち去ったことを、まだババに伝えていなかった。ババの知性がまだまだ衰えていないのも間違いあるまいし、後ほどの彼の弁明ぶりからしても、カツマタ君は何も言わずに先を急いでしまったのだ。
眼前のバッヂ少年を見て、ババは憤然と立ち上がった。これまで来店した子供たちのように、不審な挙動があるか否かを確かめる必要もない。胸に付けてるマークは流星。ただし、ババもここまで頭に血が上っていなければ、コソ泥がこんなに堂々と店の前を通過するだろうかと考えてみても良さそうなものだが。
しかし、カツマタ君にとっての最大の不運はこの直後に訪れた。彼とババの間に割って入るかのように、「あたり」の紙を握りしめたマルオがババの店頭に飛び込んできたのだ。このためカツマタ君はここでの災難こそ逃れたが、帰り道で悲惨な目に遭うことになった。
もしもこの公園行きの途上でさっさと捕まっていれば、このころケンヂたちは秘密基地におり、フクベエと山根は公園にいるか別途向かっているはずだ。ほかの通行人も少なかったようだから公衆の面前で大恥をかくこともなかったろう。「おまえは今日、死にました」も避け得たと思う。
マルオはもちろん、ケンヂとて初めからカツマタ君を困らせようとしたのではない。だが結果的に二人の行動は彼を更に不幸にしてしまった。カツマタ君が死んだとき、その最期を看取ったのがケンヂとマルオの二人だけだったというのも奇縁という他ない。
(この稿おわり)
これまで何回か登場した百日紅。真夏に咲く。
サルスベリには白もあるが紅もあり、歌合戦のごとし。
南方系の樹木らしく、カンボジアにもありました。
(2013年9月14日、番町にて撮影)
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