おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

サッカーのルール、西村主審の判断

 今回も「20世紀少年」とは無関係です。日本代表はグループ・リーグで敗退した。もう少し観たかったが、残念ながら惜敗というような負け方ではなかったと感じているので仕方がない。あと4年ぐらいは生きているだろう、多分。以下、サッカーの本格的な訓練は受けたことがない一ファンの言いたい放題である。

 終わってみて振り返れば、緒戦のコートジボアール戦の負けが大きかったように思う。まず、長谷部の膝はよほど厳しい故障だったのだろう。悲運であった。あれだけ責任感の強いキャプテンが後半早々に退場したほどなのだから。

 
 大会期間中の彼のプレー範囲は好調時と比べて、かなり狭かったに違いない。スピードも落ちていたはずだ。ボランチが不調では、ソーン・ディフェンスを敷く日本の守備陣が揃って影響を受ける。センター・サークル付近でパスを出す本田の姿を何度も見たが、あれはそもそも長谷部のポジションではないのだろうか。

 スポーツ・マスコミは部数が伸びるので負けると戦犯を決めつけて吊し上げる。緒戦で左サイドを2回立て続けに突破されたため、香川と長友の動きが悪いかったと酷評された。本当にそうか。そうだったとしても(世界のレベルでは対応して当然ではある)、上記の長谷部の事情は考慮に入れなくていいのか。


 むしろ調子が悪かったのは本田だと思う。調子というより具合が本当に悪いのではないか。FWとしての彼の同点弾は鮮やかなものだったが、あれは才能と気合で入れたゴールで、MFとしての彼はあの日、ずいぶんパス・ミスをしたはずなのだが、そういう記事は見かけなかった。

 3試合とも実況で観たが録画していないので記憶に頼るほかないが、コートジボアールが勝ち越した2点目は、本田の緩いパスがインターセプトされてカウンターを食らったのだったと思う。

 長友ら守備陣を責めるとしたら、彼自身が敗戦後に「ゾーンだけで守るやり方は改めなくてはいけないかもしれない」と語っていたように、2点目を正攻法で入れられた直後に守備の方針に修正を加えるべきだったろう。チーム全体の作戦ミスである。試合展開を読まないと連続失点しやすいのは球技の経験のある人なら皆ご存知かと思う。

 
 次戦では退場で一人減ったギリシャが、自軍のゴール前で防風林のように立ちふさがり引き分け戦術に出た。これに対して日本代表はいつものように短いパス回しとクロスで攻め続け、とても点が入るようには見えない状況が続いたまま終わった。

 一撃で試合の流れを変えるドログバベッケンバウアーみたいなロング・パスを出せるような選手が欲しい。ついでにもう一人、メッシやヨハン・クライフのようなドリブラーも欲しい。


 それが無理だった今回のギリシャ戦の時点では、たぶんカウンターを恐れず肉弾総力戦で相手の壁を打ちこわし、体ごとボールをゴールにぶち込むようにして1点取った後で、人数の有利を活かし守備を固めれば勝機があったかもしれない。

 最後のコロンビア戦は、確か同点後に三発入れられたゴールは、すべて相手の左脚からだったと思う。さらに贅沢を申せば左から、あるいは左右どちらからでも打てる点取り屋がもう一人か二人は欲しい。あるいは、遠藤の後釜を早く育てて、もっと右サイドを強化しないと攻撃が単純になってしまう。


 日本代表の試合が始まる前に、もっぱら話題をさらったのがブラジルとクロアチアの開幕戦で、西村主審が判定したPKの是非であった。私の知る限り、FIFAも外国の審判仲間も誰も積極的に彼を擁護せず、もちろん世界中が敵みたいになり、元イングランドリネカーまでTwitterか何かで批判したらしい。老いたな。私と同い年だもんな。

 興味深いのは日本語のネットの書き込みも、匿名のものはほとんどが「世界ではあれはPKじゃない」、サッカー専門家とやらのブログなどは「微妙」という表現が多かったことだ。こういう人たちがこういう時に使う「微妙」は、俺は誤審だと思うという意味であり、辞書には乗っていないが使いこなされた日本語表現である。


 念のため、サッカーには国際ルールというものがちゃんと存在しており、FIFAが使うルール・ブックは日本語に訳されネットでも読むことができる。平易な文章である。もともと手を使うなだけで済むくらい単純なのがこの競技の魅力なのだ。訳が分からんのはオフサイドぐらい。

 その「サッカー競技規則」によれば、相手選手を押したり押さえたりすると相手に直接フリーキックが与えられ、特に自軍のペナルティーエリアでそれをやらかすとPKになる。これを目撃した主審がすることはたぶん二つしかない。PKを宣告するか、見なかったふりをするかである。


 昔のサッカーは後者が実に多かった。なぜかマラドーナがあまり好きではない若者が多いようだが、彼の凄さはデータなどを観るより、DFから受け続けた仕打ちを映像でご確認いただくだけで充分である。
 
 今ではこれでもずいぶんとジェントルになったほうだ。撮影と編集の技術が発達してスポップ・モーション、スロー、アップ、いろんな角度からの再現が可能になったし、家庭の受信機材の録画設備も動画サイトもずいぶん普及した。あまり堂々とズルができなくなってしまったのだ。


 クロアチアの監督も確か最初のうちは、「あれはファールではない」と言い張っていたが、さすがにまずいと気づいたのだろう、途中から「こんなんで、やってられっか」という主張に切り替えた。これに世間が賛同したわけだ。確かに10点も入るようなゲームばかりになると、サッカーの楽しみも台無しだというのはわかる。

 それでもスポーツはルールあってのものである。これだけは譲ってはいけないと思うのだが、なぜかサッカーだけは関係者がヘディングをやりすぎてパンチ・ドランカーになったわけでもなかろうが、上記のごとく反則に甘い。


 また、「相手競技者の進行を妨げる」のも違反であり、間接フリーキックの対象になる。後半のアディッショナル・タイムにおけるコートジボアールの痛がりごっこは醜悪の極地であった。私が主審なら相手だろうと仮に日本だろうと容赦なく即刻退場にする。

 ところがTV解説者は「これも戦いのうちですから」と平気で言う。現役時代の得意技だったのだろうか。せめてプロなら医者が慌てるくらいに、もっと上手く痛がるくらいの演技力を養うべきである。観衆も試合終了後にブーイングを見舞った。金返せである。


 それはともかく、国際大会ではノルディック複合でもフィギュアスケートでも、アジアの選手が実力を上げてくると西洋人が有利になるようにルールや採点方法の変更が行われてきた。オリンピックでは競技種目から外されてしまう始末である。サッカーも何時まで経っても欧州と南米のやり方に甘んじていて良いものか?

 西村主審のホイッスルが進軍ラッパになるのか、それとも茶番で片付けられてしまうのか、私はしつこく見守っていくつもりだ。もっとも厳密にルールを適用されると相手選手のシャツを引っ張ることもできす、今でも許されている肩でのアタックなどだけの勝負となると日本はかえって不利かな? 


 サッカーの競技規則はその第1条に、「サッカー選手は試合をするとき、このルールを守ること」という一文を入れてはどうか。ともあれ、今はひたすらネイマールのケガが軽くて済むことを祈るほかはない。

 私も脊椎の一箇所が折れていて、ときどき身動きができないほどの腰痛に襲われる。日本の刑法では故意ではなくても大けがをさせれば傷害罪であり、それに値する暴力行為だ。だが上記にかんがみ、一選手の責任とは言い切れない出来事だと思う。





(この稿おわり)

 



盛岡で買った名刺入れと小銭入れ。
(2014年5月12日撮影)


ここで買いました。
(2014年5月10日撮影)







 そんとき俺がスーパー・ヒーローさ − キャプテン翼
















もうすぐ七夕 (2014年7月6日撮影)





















































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