おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

スポーツは結果が全てか  (第1163回)

 そんな訳ないだろう。それなのに、この国では、そういう言説が堂々とまかり通っています。スポーツは勝負事だから、もちろん勝った負けたは重要です。しかし、結果が全てと言い切るとしたら、それをネタに賭博行為をやっている連中くらいだけだと思っていたのですが。私もいたって古い人間になりました。

 今週6月26日(木)の夜、サッカー好きの先輩と仕事の話をしながら酒を飲んでいたのだけれど、やっぱり話題がサッカーに移ってしまい、5時間も同じ店の同じ席に居座ることになりました。

 ちょうど、ドイツと韓国が最後のゲームをしていたころ。第三試合に関する限り、韓国は日本より、ずっと良い試合をしました。最後に攻撃に参加して二点目を招いた、ドイツのGKも天晴れです。さすが1982年以来のゲルマン魂、次が楽しみです。


 対ポーランド戦を一言でいえば、セルジオ越後の「ちゃんとサッカーをしなさい」に尽きます。さて、幸か不幸か、深夜に実況中継されたこの試合の翌日に、私は寝不足も寝坊も許されない大事な仕事を抱えており、観出すと止まらないおそれがあったので、10時過ぎに就寝いたしました。

 朝起きたらタブレットの画面に速報で、日本はポーランドに負けたものの、フェアプレー・ポイントで決勝トーナメントに進出決定と出ておりました。何じゃい、そりゃあと思いましたね。サッカーが如何にアンフェアプレーに満ち溢れた競技か、自白しているようなものです。


 それを日本もやったのを、昨日の再放送で観ました。あれはパス回しというよりも、歩いてさえいないのだから蹴鞠と呼びます。少年サッカーチームのウォーミングアップみたい。しかも、ベンチや観客席では、スマホで別ゲームを観戦しているという奇祭。

 なぜこういうことが起きたかという昔話をすれば、私が子供のころ(1960〜70年代)のサッカーは、この終盤におけるパス回しが余りに酷く横行し、日本のクラブチームまで真似し始めました。

 私は幸運なことに、当時は全国一サッカーが盛んだったであろう静岡の生まれ育ちで、ローカル局の番組でペレや釜本を観て育ったのですけれども、ボール回しは子供心にも何じゃい、そりゃあと思いながら観ておりました。


 さすがに客に無礼だろうということで(双方の選手も愉快ではないはずだ)、サッカー業界あげて、この撲滅に取り組み始め、導入されたのが予選リーグのグループ内ゲームの同日同時開催という方策でした。ところが通信手段の発達で上記のような次第となり、だから今回はイギリスを始め、ヨーロッパのサッカー関係者や報道機関が一斉に怒りました。当然です。

 パス回し自体は、バスケット・ボ―ルやアイス・ホッケーのように、サッカー同様、時間切れでゲーム・オーバーになる種目でときどき見かけます。しかし、これは勝つチームが逃げる戦法であって、つまり、ある程度はお互い様の範囲で許されているものです。今回の日本のように、「上手く負けるために蹴鞠をやった」のは、たぶん空前の出来事で、世界スポーツ史上に残ることでありましょう。さすが、日本はすごい。


 オフサイド・トラップが決まったときも、日本はすごいということになりました。あれは芸術的だぜというファンタジーに酔っている方々もおみえですが、かつてヴェルディの都並が雑誌に投稿していたのを読んだときの記憶によれば、オフサイド・トラップで欠かせない手順として、線審に「これから、トラップかけるから、見ててね」と声を掛けてやるのだそうです。したたかなものです。

 言われてみればそのとおりで、レフェリーが見ていないと、悲惨なことになります。しかも、もう一つ付け足せば、見ていてもレフェリーがオフサイドを認めてくれければ困る。だから線審とは信頼関係が必要です。今回、報道によれば日本が蹴鞠をやっている最中、レフェリー陣は反則もとれず、いらだっていたというし、すでに世界中の審判に知れ渡りました。日本は当面、取り返しのつかないことをしたかもしれません。


 フェアプレー・ポイントに話を戻します。ロス疑惑三浦和義が久しぶりに再逮捕されたとき、刑法の原則である一事不再理が話題になりました。専門家ではないので、話半分に聞いていただきますが、いったん結審した事件で、もう一度、裁判をやることはないというような概念で、つまり、二回も三回も同じ罪で罰したりしないようにというようなものだという理解です。

 ファウルは、敵のボールになる程度のものから、一発退場までいろいろありますが、いずれにしても、その選手はもちろん同僚も、ファウルの宣告により、すでに罰を受けています。それを再び、決勝トーナメント進出の物差しにすることに、違和感を感じるのは私ぐらいのものですか。むしろ、不利な状況下で同点にこぎつけたなら、そのチームの方が強いのではという考え方は変ですか。


 ともあれ、日本チームのせいかどうか知りませんが、今回の出来事を踏まえて、このポイント制度は見直した方がよいのではないかという声が、海外でも出ているそうです。その替わりとして、ゴール数で決めればよいというのも名案だと思いますし、くじ引きで充分です。

 実際、フェアプレー・ポイントも同点だったら、くじ引きだそうだし、サッカーのワールドカップも、1982年の大会でPK戦が導入されるまでは、くじ引きで決めていました。ラグビーでも使います。

 勝負事は、強さと運の良し悪しで勝ち負けが決まる。強さが同じなら、武運にかけるというのは筋が通っているうえに、本件に即して言えば、ファウルの数は、違うレフェリーが笛を吹いている以上、絶対公平な基準とは言い切れません。FIFAが抽選に反対しているようですが、彼らは商売人だから、地味な決め方を嫌うだけです。


 西野監督は、考えていたオプションではなかったと語ってみえましたので、両試合が極めて微妙な展開になったため、舞い上がってしまったのでしょうか。一部のサポーターは(かつて水泳部にいた私にとって、サポーターとは、優雅に訳せば褌のこと)、蹴鞠中は文句付けていたのに、決勝トーナメント進出が決まった途端、結果が全て論者になった。タイムラインを眺めていると面白いです。

 ちなみに、監督は「国民」という言葉をお使いですが、他の国々や、他の競技などと同じく、「ファン」が適切です。オリンピック等でもときどき、国民に勇気を与えたいなどと若い選手が言うようになりましたが、前回の続きで言えば、国家を応援する者が増えた悪影響でしょうね。


 欧州や中南米の強豪の中には、この決勝トーナメントこそが本物のワールドカップだという人たちもいると聞きました。傲慢な態度ですが、彼らが育てたお祭りに後から参加させてもらっている身としては、また、実績も実績だし、言わせておくほかありますまい。

 毎回繰り広げられる死のグループ騒動や、こういう変な決まり方の進出があるくらいなら、初めから甲子園のように、全試合トーナメントにすればよいのです。でも、そういう案には、ラテン・アメリカやヨーロッパは大反対すると思います。強いチームほど、調子の波が大きい。弱いチームは、弱さの程度が動くくらいです。

 これは、テニスの世界大会を見ていると良くわかります。ランキングが上の選手が、序盤ではるか格下に負けるのは珍しくありませんが、勝ち上がってきてから、そういう下克上は滅多に起きない。サッカーとて同じことで、実際、予選リーグの初戦で強豪が取りこぼすことも少なくない。


 これで敗退する口惜しさを避けるためには、三試合ぐらいやって統計をとったほうが、上位者に有利です。毎回、ほとんどリーグ戦で姿を消すアジアやアフリカに、それなりの出場枠が与えられているのは、この練習台が必要だからです。だから、弱いチームの試合でも、しっかり見ています。セネガル戦は高く評価されました。

 日本にも日本の美学というものがあります。少なくとも、私は国際大会でそれを見たくて、ワールドカップやオリンピックを楽しんでいますので、上記のとおり勝敗が分かった後でも、録画で十分、楽しめます。今回については、正々堂々とセネガルにトーナメントの出場権を譲り、ベルギーに30対0で負ける前に帰国してはどうか。日本のサッカー少年たちに、何と説明するのか考えてきてください。



(おわり)




南天の花 (2018年5月31日撮影)


















古い日本よ さようなら
はかない夢よ さようなら
青いユニフォーム...










































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