おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ホームレスの神様はボウリング・ブームの夢を見るか (20世紀少年 第856回)

 少し古い話題になりますが、ソチ・オリンピックで新たに覚えたのがカーリングのルールである。それまで拭き掃除みたいだと小馬鹿にしていたのだが(だってケンヂがギターに使いそうな小道具が出てくるし)、基本的なルールを新聞で読み、対スイス戦を観ていたら面白くて深夜、試合の最後まで付き合ってしまった。
 
 カーリング自体は十代のころ見ている。ビートルズの映画「HELP!」の中でジョン・レノンがやっていたのだ。もっとも、この男のことだから悪ふざけしているのだとばかり思っていたが。テレビで投げる(滑らすか?)角度からの映像を観ると、なかなかどうしてヘリポートのような的はずいぶん遠くにある。

 
 大和民族は体格にあまり恵まれているほうではないので、こういう技術やチームワークが物を言う種目なら競技人口が増えれば強くなるのではなかろうかと思った。ただし一般に競技人口が増えるためには、スキーやスケート、野球やサッカーのように、子供でも自分なりに遊べるものでないと難しい。

 この点、カーリングの試合場と使用する道具は、そう簡単に手配できるものではない。1970年ごろあれだけ大人気を誇ったボウリングも滅びずに済んだとはいえ、ファンや関係者には失礼であるがマイナーな娯楽というところで落ち着いた感じ。


 ヴァーチャル・アトラクションの中で弄ばれているケンヂがさまよい出たのはボウリング場であった。しかも球を投げるほうなら馴染みの景色であろうが、ピンが倒れて落ちていく穴(あれは名前があるのだろうか)のほうから出てきてしまった。ノッペラボウを見たときと同じくらい驚いているのも無理はない。「なんだこりゃあ」とジーパン刑事のような叫び声をあげている。

 こんな角度でレーンを見ることができるのは設計施工の関係者ぐらいだけであろう。下巻の第3話「さよなら万丈目」の冒頭で第11レーンの末端に立つケンヂは、何とか落ち着きを取り戻した様子で「ここは...」と、ようやくどんな場所なのかは理解した模様である。


 証人がすぐに登場してきた。「こらー」という波平のような怒鳴り声がし、続いて「俺のレーン上で何やってんだ」と叫ぶ男を見たケンヂはかつてのヨシツネ同様、すぐに相手の素性に気が付いたようで「あんたは...」とつぶやいた。神様のご降臨である。

 神永社長は連れの部下もおらず、なぜか客もいない。でもすぐ後にピンボールで遊んでいる少年たちが出てくるので閉店日ではない。これも「ここのルールと辻褄」の一環として出てきた仮想空間なのであろうか。


 そんな小汚い土足で俺のレーンに入るなと神様は相変わらず言葉づかいが乱暴であるが、「ここは私の生涯の夢を賭けたボウリング場だ。神聖な場所を汚すな」というセリフはさすが神様というほかない。チャック万丈目はボウリングも手掛けたらしいが、彼の場合はザギンのクラブでどうのこうのという極めてレベルの低い志であり、この心がけと熱意の差が二人の遠い先の人生を大きく変えたのだ。

 その神様も一度は生涯の夢を「はかない希望」にすぎなかったのかと悲観したことがあった。あれはロボット2号がいきなり動き始めた事件が起きたときだった。その節はオッチョが「そのはかない希望に賭ける」と申し出てロボットを追いかけ、幸い彼も賭けには強かった。 


 ケンヂの頭の中でボウリング場と神様が結びつき、「あれから1年飛んだ?」という疑念が湧いた。「あれ」とは原っぱに秘密基地があった小学校5年生のときであり、ボウリング場があるということは6年生になっている。まさに時空を超えたらしい。

 神様は怒鳴っているだけでは埒が明かないとみたようで、自らもレ―ンに入り込み(ただし、ちゃんと神聖な場所用のシューズを履いている)、「このフーテンが、とっとと来い」と見ず知らずの男を引きずりだそうとした。


 フーテンという言葉は寅さん映画の人気で悪いイメージを持たれなくなっているかもしれないが、本来は「①精神状態が正常でないこと、また、そういう人。②定まった仕事も持たず、ブラブラしている人」(広辞苑)という意味の日本語である。かつてはドイツ語でルンペンとも呼んだものだった。

 中村の兄ちゃんは第4集でオッチョ少年に対し、フーテンとヒッピーを同じ意味で使っている。彼がどう思っているか知らないが、褒め言葉とは言えない。彼らが犯罪者になると「住所不定無職」などとも言われる。神様は後に英語で似たような意味のホームレスになるのだが、今はまだピンストライプのダブル姿だ。


 ケンヂはうわわと口走りながら連行されながらも、急用を思い出して「なあ、神様」と声を掛け、相手は「なんだ、なれなれしい」と更に怒りを増している。しかも質問が「カンカラ知らねえか」と神を相手に確かに馴れ馴れしい。

 神様は何をわけのわからんことをと言い差して、「なんだ、おまえ、すごく不吉な予感のする奴だな」と宣託を出した。これに対するケンヂの「さすが神様。いい勘してるぜ。」というのは私の好きなご発言の一つ。

 ケンヂはすでに神様に背を向け、カンカラ求めて歩き始めているが、この言葉を吐きながら右手の人差し指で天を指している姿。第7集でコイズミに対し「俺に惚れるとヤケドするぜ」と背中越しでセリフを決めた際に、神様も左手で同じポーズをとっている。



(この稿おわり)








洗礼者ヨハネ  レオナルド・ダ・ヴィンチ







監督リドリー・スコット、主演ハリソン・フォード。1980年代SF映画の金字塔。









 She's well acquainted with the touch of a velvet hand like a lizard on a window pane.

 窓枠に貼り付くヤモリのようなビロードの肌触りの手で、彼女は○○が上手い。


        ”Happiness is a Warm Gun”  The Beatles 
        (映画「Bowling for Columbine」で流れていました)




























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