おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

しんしんよげんの書 (20世紀少年 第862回)

 
 またも最初は脱線から。少し前にNHKの経営委員になった長谷川三千子氏の昔の文章が一部の新聞等で問題にされた。それは追悼文であり私も覚えている事件だが、朝日新聞社の本社で拳銃自殺した野村秋介氏に向けてのものである。経歴によればケンヂ一派顔負けのテロリストだ。問題となった文書の一部で印象的な箇所だけ引用する。


 人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

 野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。


 私はここでイデオロギー論争をする気はないし、もちろんテロリストを賛美はしない。ただし、長谷川氏の批判をしたマスコミの論調は誹謗中傷とでも呼んで良いほどの激しさであったので気になっている。私は長谷川先生の特別講義を聴いたことがあるのだ。

 とても哲学者とは思えない穏やかで、にこやかな感じの良いお方であった。講義のテーマは道元の時間論という多分ほかにこんなことを語れる人はないであろう題材であり内容であった。 


 すべてをその場で理解したとは到底申し上げられないが、私がときどきここで過去はないとか、タイムマシンはあり得ないなどと時間の不思議さに挑戦しているのは、このときの影響が大きい。

 氏の主張を批判するのは自由である。だが、できれば目立つ立場になったから叩けば売れそうだという魂胆とタイミングで報道しないように。さて、減らず口もほどほどにして、大事な場面に戻ろう。


 ケンヂだけに見送られて万丈目が去った後、神様はカンカラの中から折りたたんだ紙を取り出して読み始めた。神と対話する少年ケンヂは「見るなよ、俺達の”よげんの書”」と抗議、モンちゃんも怒っているが手遅れであった。

 私もこれが大切なものであることは知っているが、見られて困るほどのものだったか。まず絵が下手だったからかな。紙切れはホンモノもニセモノも二枚ずつ。まず本物は、巨大ロボットの絵とレザーぢゅうの絵だった。ケンヂの署名入りである。


 去年、衛生管理士の資格を取ったときの勉強中にレーザー光線が出てきた。それまで何も知らなかったのだが、レーザーは100%、人工の光だそうだ。工事や手術にも使われるように、場合によっては人体を傷つけるほどの力がある。

 特に目の角膜や水晶体などは繊細なので危ない。私がこれを書いているパソコンのマウスは無線で操作する。電波を飛ばしているのだろうと思っていたらレーザー光線が出ているそうで、「電源を見つめないでください」などと取扱説明書に書いてある。そう言われるとつい見たくなる。

 
 ともあれ神様は遠慮なく一枚目の紙を読んだ。「反陽子ばくだんで世界はほろびるだろう」。大人のケンヂは以前プロファイラーに見せてもらっているから動じないが、子供たちはそんなの書いてないぜと不審気である。ニセモノなのであった。「で、次は何だ」と神様は紙芝居を楽しむがごとく先に進む。

 「きょだいロボットがひみつきちをふみつぶしたとき...」と始まったため、今度は大人ケンヂも読者も驚いた。しんよげんの書にも続きがあったのだ。かつての鉄人28号のマネッコではなく、敷島教授の「我が息子」型ロボットと同様の絵が描かれている。よげんの続きは「スイッチがおされ ちきゅうは大ばくはつするだろう」。


 神様は神のくせに、「おもしれえこと考えるな、このガキ」と子供の絵とはいえ人の不幸を喜びつつケンヂに同意を求めている。少年ケンヂは「何、これ?」と更に疑惑を深めているが、大人ケンヂはそれどころではなかった。

 先ほどリモコンの場所は秘密基地の中だと発信したばかりなのに、あれに踏まれたら幾らカンナでも一大事だ。ケンヂは「言っちゃだめだ、カンナ」と思わず叫ぶ。カンナも行けだの行くなだの言われて大変だ。しかし、ケンヂは通信方法を知らない。万丈目も良いタイミングで成仏したものだな。


 この続きは少し先の98ページ目に出てくる。ケンヂは先ず「何とかしろ、あんた神様だろうが」と罰当たりなことを言ったが、この神様はまだ神様ではない。やむなく、困ったときのケンヂ少年頼みとなった。おまえ正義のために戦うと言ってたじゃないかと、いきなり話の矛先を振られて少年もびっくりしている。

 言ってたじゃないか俺、とケンヂは昔を思い出して泣きながら叫んだ。大人になったら何が何でも正義のために戦うって。でも相手はまだ子供だ。自分でやるしかないのであった。



(この稿おわり)





寒梅の毅然なりしをわれも秘む ― 野村秋介  (2014年3月12日、近所にて撮影)




























































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