雑談。何年か前、昨年末に亡くなった大瀧詠一が「細野さんは裏切ったんだよ」と雑誌のインタビューに答えているのを読んだ記憶がある。大瀧さんの訃報を伝える新聞やテレビは、盛んに「はっぴーえんど」を話題にしていたが、記事を書いている世代でこのバンドに夢中になった人がどれだけいるのだろう。
かく言う私もロックが好きと言い続けてきたものの、日本のロックには疎くてアルバムを買った記憶となると、サディスティック・ミカ・バンド、レイニーウッド、RCサクセションだけだ。はっぴーえんどの曲はFMで流れてくるのを聴いていただけ。世界のYMOも興味がなかった。
日本語の歌詞はロックのリズムに乗せにくい。はっぴーえんどもハード・ロックという感じではない。ある程度、母国語を壊すという荒療治をしたのがサザンで、それ以降、日本のポップスは私にとって曲や演奏は上手くなったなあと思うが、歌詞の意味がよう分からんようになった。カラオケでスピッツをよく歌ったものだが言語明瞭意味不明の典型である。
さて冒頭の「裏切り」とは細野晴臣が、ポップスの一ジャンルとしてマイナーながらも矜持を保っていた日本のロック界に留まることなく、歌謡曲も手掛け始めたのを好ましく思わなかった大瀧さんが半分冗談、半分本気という感じで語ったものでした。
もう20年ほど前、私は会社の公用車で外勤の仕事をしていたのだが、ある日、誰かがカー・ステレオ(古い。今は何と呼ぶのだろう?)に入れっぱなしにしていたカセット・テープから、アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」が流れて来た。
ベースが上手い。昔のステレオは高音だけ低音だけという音量調整が簡単にできたので、ベースを聴くべく運転中に低音を上げたほどに上手い。あんまり自信がないけれど、もしかしたら裏切った細野さんの演奏かもしれない。
大瀧詠一の代表作「A Long Vacation」は学生時代に流行った。お金が無くて誰かにテープ録音してもらった覚えがある。オープニング・テーマの「君は天然色」に出てくる「机の端のポラロイド」「受話器持つ手が震えた」などの歌詞には時の流れを感じる。
そもそもタイトルにある「天然色」という言葉も使われなくなった。当たり前になって有難味が薄れ、逆にモノクローム補正なんて機能が付いている時代である。天然色は私が生まれた前後のハリウッド映画の最後によく出てくる「Technicolor」の訳語。
実際は写真にしろ映画にしろ化学反応で本物と似た色を着けていたのだから、珍しくアメリカの「人工色」のほうが正しい。それと同時にその頃の日本人のカラー映像を観た驚きや喜びが伝わって来るから、天然色というのも悪くない言葉だと思う。今では「天然」というと変な意味に使われていて気色悪い。
カラーテレビが普及しはじめたころになっても、テレビはスイッチを入れてから、なかなか画像が出てこなかった。これがようやく改善されたころ日立が売り出したキドカラーという商品のマスコットは「ポンパくん」といい、そのスピードを売り文句にしていました。ポンパくんはオオハシドリの人形で、ともだち博物館に立っていた。あんな大きなもの、どこから持ってきたのだろう。
「20世紀少年」の少年時代はケンヂたちが3年生から6年生までの描写が多く、特に1969年と1970年の夏が主な舞台になっている。69年は秘密基地が出来て、少年たちは「よげんの書」を著した。ウッドストックがあり、人類が月まで往復して、基地の仲間はヤン坊マー坊との激戦を繰り広げた。
1970年の長い夏休み、秘密基地は再び茅葺屋根で再建され、今度は日本万国博覧会の夢を語り計画を練る場となった。万博は彼らにとって残酷にも遥か遠くの大阪で開催されたため、行った者、行けなかった者、長期滞在した者、会場で倒れた者、三段変速の自転車で挑戦し武運拙く敗れた者など、それぞれの命運を分けた。仮に万博が関東地方で開かれていたら、”ともだち”は誕生しなかったであろう。
以下はかなりマニアックな内容になる。よほどの愛読者でもない限り、何の役にも立たないが書かないと気が済まないので書きます。かつてバッヂの万引き事件はフクベエがケンヂに誘われて、つい外出してしまった首吊り坂の肝だめしから夏休みの最後の日まで、すなわち8月の29日、30日、31日のいずれかだろうと書いた。でも自信がなくなってきた。
当日しきりにミンミンゼミが鳴いているし、みんな薄着だから夏であることは間違いない。東京でミンミンゼミが鳴くのは概ね7月後半から9月前半まで。9月の始業式の日、サダキヨは既に電車に乘る必要がある遠隔地に転校しているので9月ではない。
他方で8月の最後の3日間、フクベエがどういう状況だったかを考えてみたら、上巻に出てくるように、のんびりと公園や路上でお喋りを楽しめるような心境だったとは思えなくなってきた。この夏休みの彼は自業自得とはいえ散々な目に遭っている。
あれだけ事前に文集で自慢した大阪万博に行けなかった。行ったことにするために、夏休みの間ずっと引きこもりになった。これに耐えきれずサダキヨのお面をかぶって外出したら人違いでイジメを受けた。お面を外したら硝子戸に移る自分の顔はノッペラボウで、自分が誰だか分からなくなった。
巻き返しを図るべく、サダキヨをこき使って首吊り坂の屋敷に、巨大なノッペラボウを作ってみたが、怖々やってきた少年たちにまでテルテル坊主と揶揄されて失敗。さらに、ケンヂとオッチョが見たという本物の幽霊を見損ね、代りにまたノッペラボウの自分が鏡に映る。
かくて第16集によるとフクベエは8月31付で前倒しに、無数の原稿用紙に「万国博は本当に楽しかったです。」と繰り返し書きなぐっている。この心理状態で外に出て、山根と実験の話などできるだろうか。
さらに問題なのは、その山根である。第12集にヨシツネがユキジに「万博組」の話をするエピソードがあった。万博会場でオッチョがヨシツネとマルオに例示しているが、2組の今野に山根が出した葉書には、8月31日まで大阪にいると書いてあった。
仮に山根に事情があって早めに東京に戻ったとしても、第16集に出てくるこの年の秋、万丈目の店先でフクベエに声を掛けられた山根は「ひさしぶり」と久闊を叙し、さらに万博会場で会えるかと思っていたと述べている。この二人は夏休みの終盤には会っていない。
そうなると上巻に出てきた公園やジジババの店先の騒動は、山根が万博に行く前のはずであり、夏休みが始まった前後に起きたと考えるほかない。ランドセル姿が見えないので休みの日か、またはキリコが制服姿なので土曜日の午後かもしれない。
そうだとすると、てっきりケンヂは万博に行けなかった腹いせに万引きという非行に走り、思わぬ展開があってその後味の悪さに肝だめしを企画したかと思っていたが、出来事の順番が違ってくる。遊び相手のいない夏休み、カツマタ君はどんな気持ちで過ごしていたのだろう。
(この稿おわり)
上野恩賜公園は天台宗の寛永寺のみならず、東照宮、天神様、観音様、弁天様、お稲荷さんに清水さんと何でもありの総合宗教施設であります。
Oh カレン 浜辺の濡れた砂の上で 抱き合う幻を笑え
「恋するカレン」 大瀧詠一 合掌
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