おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カンカラ (20世紀少年 第857回)

 いまどきの子供はカンカラという言葉を使うのだろうか。空き缶のことだが、私の勝手なイメージでは、中にフルーツポンチやミカンや桃が入っていた缶こそがカンカラの代表者である。カンカラは「缶空」のことだと書いてあるものもあるが却下。

 カンカラは缶蹴りに使うものであり、あれを蹴飛ばす爽快感とともに響き渡る音こそカンカラの語源である。うちの田舎で子供たちはカンカラカンとも呼んでいた。別の遊び方として、何と呼ぶのか名前がある遊びなのかも知らないが、カンカラにクギで穴を二つあけて長いヒモを通し、上で結んだものを二つ用意する。

 子供だけで竹馬を作るのは至難だったが、このカンカラ下駄は同じ高さのカンカラ二つを調達すれば後はこっちのものだ。かくのごとく、当時はまず遊び道具を作ったり探して拾うところから遊びが始まったのだが、そのうち電気製品化して大人が作って売りつけるようになり、いまでは大人がそれで遊んでいる始末だ。


 昔の缶切りはなかなか切れなくて往生したものである。昨今の缶は楽に開くし、フタもプルトップならゴミにならなくて便利になった。しかし、今や家庭では缶そのものが減ったように思う。レトルトや冷凍食品に駆逐されたのだろうか。

 我が家ではビールのアルミ缶とツナのスチール缶ぐらいしかない。他方で震災以降、非常用にたくさん買った方もみえると思う。缶詰は保存性に優れているが(十年単位で持つ)、なんせ重たくて場所を取る。持って逃げるのは大変だ。


 ケンヂは「サダキヨ→カンナ→ケンヂ少年→自分」という経路で届いた「カンカラ」の謎が解けないまま神様を見限ってレーンから離れた。ふと見ればピンボールで少年が遊んでいる。モンちゃんの戦死については既にユキジ達から聞いていたのだろう。黒メガネで表情がよく分からないが、「モンちゃん...」とつぶやくケンヂは感慨深げな様子がみえる。

 かくてモンちゃんは以前のヨシツネに引き続き、またしても見知らぬおっさんに抱き疲れるという災難に遭った。ケンヂはヨシツネと違ってメソメソ泣いてはいないが、「会いたかったぜ、モンちゃん」といきなり少年の両肩を鷲掴みにしている。なんだよ、離せよ気持ち悪いなとモンちゃんは今回も逃げようとする。


 ヨシツネは1971年の自分が何をしていたかという問題設定のもとモンちゃんを質問攻めにしたのだが、ケンヂはそんな悠長は立場ではなく「カンカラ知らねえか」と直截に尋ね、当然、「知らねえよ」と反抗された。

 切羽詰まったモンちゃんが助けを呼んだ友人は、自称ピンボールの魔術師、ケンヂ少年であった。昨年、数十年ぶりに映画「トミー」を借りて観た。記憶の印象と違っていたのは、長靴姿のエルトン・ジョンが割とハードに歌っていたことだ。今ではソフトな国民的歌手みたいになってしまったが。


 エルトン・ジョンは相棒バーニー・トーピンと一緒に作詞作曲した歌が良く売れた。ああいう曲調のほうが彼の歌唱力には合っていたのだろう。私は「イエロー・ブリック・ロード」が好きだったが、世の一番人気は「Your Song」だろうな。

 歌詞のとおり極めてシンプルな曲だが、「How wonderful life is while you're in the world」なんて、男に生まれたら一度は歌を捧げつつつ口にしてみたいセリフではないか。そのあとで実は間違っていたことが分かったとしても。


 ケンヂ少年はキョトンとした顔で「あれ、おじさん久しぶり」とあいさつした。夏風邪は引いていないようなので、8月31日ではなかろう。「一年ぶりじゃん。あれからどうしてたの?」と訊いている。このケンヂ少年の記憶には興味がある。ヴァーチャル・アトラクション(VA)の仕組みに関わることだ。

 VAはともだちランドの研修用に使われてもいたのだから、いったん研修生が出たら全てはリセットされるはずである。そうでなければ、次々入って来る現実の人間たちによって、VA内の少年少女らは人格がどんどん変わってしまうから当局としては怖くてそんな設定はできないはずだ。


 実際、1971年の8月31日に熱を出して寝込んでいたケンヂ少年は、寝室に闖入してきたカンナに向かって「お姉ちゃん誰?」と訊いているが、1970年にカンナが夢の中に出てきたことを知らないか覚えていない。この夢は大人ケンヂと話題にまでしているし、カンナに好意を持ったようなので忘れたということはなかろう。それを知らない別の仮想ケンヂなのだ。

 他方で、第14集においてVAに入ったカンナは、突然、理科室から放り出されて走り去るドンキーを追いかけている。日付は翌9月1日。このときVAを操作していたヨシツネ隊のエンジニアは、最終ステージからカンナたちの反応が消えたと言っている。カンナは別のステージに飛ばされたのだが、ドンキーは理科室で会ったお姉ちゃんであることを認識していたのだ。


 ここでのケンヂたち(同一人物の大人と子供)の関係も同類で、大人は秘密基地から1年後のボウリング場に直接抜け出たのだから、別のステージに入ったと解するのが妥当だろう。だが、カンナとドンキーのときと同様、ゲーム・セットはしていないので、ヴァーチャル少年ケンヂは1年前の記憶を持ったまま別ステージにいたのだろうか。

 些細なことではあるが、これについては後にもっと重要な場面で再考してみたいので忘れないうちに記録しておきます。ともあれ、大人のケンヂは「だからカンカラ探してんだよ」と乱暴な返事をしたところで、問題のカンカラが例のカンカラであることに思い至って「あれだ」と叫んだ。


 そばにいるモンちゃんが1997年に再びデュッセルに飛ばされるにあたり開かれた壮行会の席上、モンちゃんが思い出して皆で掘り起こした、あのカンカラである。「ここのルール」の一つがようやく解きほぐされたのだ。

 あの時も敷地がマンションになっていて探し出すのに苦労したのだが、今回は今回でボウリング場になっているからやり直しである。二人の少年はいきなり貴重な情報源となった。ケンヂは両の腕に一人づつ首根っこをひっつかんで抱え、少年たちを持ち運んで外へと急ぐ。

 
 モンちゃんの「人さらい〜」という叫び声に出てくる言葉も古語になった。今では誘拐犯とか性的異常者などと仰々しく言われてしまう。まあ、やっていることの酷さは同じだけれど。なお、ケンヂのいうカンカラとは、缶蹴りに使うような食卓サイズではなく、一斗缶と呼ばれていた保存用の大きな缶であろう。

 確か実家にも一つあった。ガキの力では丸い蓋がなかなか空かない。保存するほどのお菓子など無かったはずだから、祖母や母が乾物でも仕舞っていたのだろう。ケンヂとモンちゃんを率いて、ケンヂはガッツボウルの建物の横に立った。またもこの土地を耕さないとならぬ。



(この稿おわり)





ビフテキとコンビーフを一緒にするな」







 I'm not a present for your friends to open.
 This boy's too young to be singing the blues.
 So, goodbye yellow brick road,
 where the dogs of society howl.
 You can't plant me in your penthouse.
 I'm going back to my plough.

     ”Goodbye Yellow Brick Road”    Elton John



 俺はお前の友達が開けてびっくり大喜びの贈り物なんかじゃない
 お前は幼い ブルースを歌うには早い
 そう、黄色のレンガ道とも おさらばだ
 ここでは世間の犬どもが吠えているだけだ
 俺はお前のペントハウスに置くお飾りの植木なんかじゃない
 俺は戻って土を耕すんだ



































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