おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

本当の子だし (20世紀少年 第854回)

 全体に浦沢漫画は女の登場人物に甘く優しい。「20世紀少年」でも男は次々といろんな理由で死んでいくが(もともと男がたくさん出てくるというのもあるが)、女はたくましく生きていく。それなりの役柄と名前が付いている登場人物のうち、亡くなった女はメイくらいか...。ケンヂのお母ちゃんもババも長生きしている。

 なかでもその罪、万死に値するはずの高須さえ、まだ生きている。下巻の34ページ、場所は巣鴨医療刑務所。彼女は捕まって徒刑囚となりつつ、すぐに事情が出てくるが産婦人科のお世話にもなっているのだ。現実の東京の医療刑務所巣鴨ではなく八王子にあります。私はかつて八王子市民だったので場所も知っております。


 ドリームナビゲーターとやらで初登場して以来、高須はあのご面相とあって年齢不詳だが一応は女で、おそらくコイズミよりは年上でユキジよりは年下だろう。今生きていれば四十代か。アメリカの世代論では1970年後半から80年代にかけて大人になったジェネレーションを「New Age」と呼んでいたことがある。

 順番としては「ロックの時代」のあとで、露骨な言いかたをすればベトナム戦争に行かなくてもよくなった安心安全の時代。今の日本では四十代から五十代ぐらいが、往々にしてこれと同じような傾向を示し、精神世界とやらが大好き。占い、来世、超能力、リラクセーション、心理学などを好み、オカルトやオウムや”ともだち”や宜保なんとかや江原なんとかに嵌(はま)る。


 私たちは戦中戦後の苦労を知らずに育った、幼稚な日本人の先駆者だ。せめて若い人たちには反面教師にしてもらいたいものだが、元気なうちからパワー何とかなんて言っているようでは先が思いやられると言ったら言い過ぎだろうか。

 そんなお面かぶってっから現実が見えないんだとケンヂが怒ったとおり、人は都合の悪い現実から目を背け、教祖やらイデオロギーやらサークル活動やらに心を預けてしまえば取りあえず日々の暮らしも少しは楽になるらしい。サダキヨの屋上チャネリングが典型である。


 高須もヤマさん同様、教師時代に学校で嫌なことでもあったのか、メフィストフェレスの出来の悪い弟子のような者に魂を売った。ともだち歴3年に政権交代があって、高須は身重のまま禁固刑になったらしい。彼女の罪状は、旧来より進駐軍お得意の平和に対する罪か。

 病室と独房を兼ねた部屋の前に、ものものしい警備がついている。ライフルに防弾チョッキまで着用した兵士が数名立つ。信者が襲いに来るのに備えてかと思いきや、どうやら銃口は内側に向けたいらしい。雌鶏が時を告げ、亡国の政権は滅びた。


 高須は点滴を受けている。その横でパイプ椅子に腰かけたユキジは、モンちゃんを見舞っていた時とは表情が違い、冷めた顔で「あたしになら話すって言ったんですって?」と、やや迷惑そうな面持ちで高須に訊いている。

 先ほどICU前の騒動がオッチョの体操程度で大人しく収まったのは、幸いユキジがここに呼び出されていたからだったのだ。”ともだち府”で引き分けて以来のご対面だろうか。ユキジになら話すと高須が言った理由とは、「なぜ脱走しようとなんかしたの?」というユキジの次の質問に対する回答なのだろう。

 監獄から脱走したかったのなら先に経験者のオッチョに方法を尋ねれば良かったのに、どうやら高須は先を急ぎ単独で挑戦のうえ失敗したらしい。本来なら厳重に監禁されるところだとユキジが言っているから、妊婦であるという理由により厳重監視付で元の部屋に戻されたのだろう。


 お腹の子は無事だったのねとユキジは三つめの質問をしたが、相変わらず高須はソッポを向いている。大切な胎児を危険にさらした挙句、点滴が必要になるほどまでに高須は暴れたのであろうか。

 ともあれ、ユキジが来たのは親切心や同情からではなく、「反陽子ばくだんのこと」で連合軍と意見の一致を見たらしい。生き残りのうち知ってそうなのは高須ぐらいなのだ。

 ここ以外ならどこでもいいから出してというのが、返事もせずにようやく口を開いた虫の良い高須の依頼事項であった。付け加えて「私はもう”ともだち”の呪縛から解放されて...」と、カルトを「卒業」した者ならではの口上を述べかけたのだが、ユキジは聴く耳を持たず「ムリよ、高須さん」とにべもなく遮っている。


 このあとの展開からして、高須は自らの熟慮と判断により「呪縛」から逃れ出たのではなく、わが身可愛さに一度売った魂を更に転売したらしい。その結果、人並みの理性と常識は取り戻したかのようだが、これでも生物学的には女に生まれて子宮は別のことを考えている。

 本題に入る前の話の枕に、高須は”ともだち府”にいた女が一人殺されたというエピソードを持ち出してユキジの関心を引いた。いつのことかと訊くユキジに、分からなかったでしょうねと態度がでかい。「よくある報道」がなされたという。フクベエが死んだあとの粛清の嵐を思い出します。


 しかし、そういうことに慣れている高須は「でも、私には分かった」と述べ、犠牲者は友民党の中枢にいた女だという。たいていの読者は高須の他に候補者として一人しか思い出せないだろうが、それは間違いであることが間もなく判明する。

 ユキジが驚いたのは粛清のこと自体ではなく、その女が”ともだち”の子を宿していたと高須が言い出したからだった。ユキジでなくても、殺しは高須がやったと思うだろう。あくまで噂よと高須は容疑を否定するかのように言い足した。


 そして「本当の”ともだち”の子は、私の中、この子だけ」と腹をさする。だから他の女の妊娠なんてどうでもいいから殺したりはしないという説明であろう。身勝手にして依然、狂信的である。産んでどうするつもりなのだ。

 だがユキジには大事な用件があるから、高須の機嫌を損ねるわけにいかない。「誰がやったの」と付き合った。高須は知っているという。その殺人犯は”ともだち”の残党なのかとユキジが問う。さすがは武芸の達人、反射神経が違う。ばくだん捜査の糸口になるかもしれないのだ。はたして、嫌な予感は大当たりなのであった。




(この稿おわり)





一番街商店街的 (2014年2月5日、都内にて撮影)





 女に生まれて 喜んでくれたのは
 菓子屋と ドレス屋と 女衒と 女たらし
 嵐明けの如月 壁の割れた産室
 生まれ落ちて 最初に
 聞いた声は 落胆の溜息だった


              「やまねこ」  中島みゆき 





雪嵐明けの如月  (2014年2月8日撮影)





 You used to laugh about
 everybody that was hangin' out.
 Now you don't talk so loud.
 Now you don't seem so proud .
 About having to be scrounging for your next meal...

          ”Like a Rolling Stone”  Bob Dylan


 かつてのお前は
 うろうろする人たちを見て笑った
 もう大きな声は出ないのか
 プライドはどこかに落としてきたか
 毎度の飯の心配をしているようでは...



















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