テレビが”ともだち”の心肺停止を伝えたとき、ヨシツネの秘密基地には、かつてない人数、顔ぶれが出そろっている。ヨシツネとユキジと隊員たちに加えて、オッチョとマルオと角田氏、コイズミもカンナもいる。「死んだってことか?」とヨシツネ、「たぶんな」とマルオ。この仲良し二人組は、どんなふうに再会を喜び合ったことだろう。
心肺停止は、死に極めて近いが、まだ死ではない。去年、AEDの研修に出て、いろいろ教わりました。即座に適切な蘇生法を施せば、生き返る可能性が残されている。他方で脳死になるおそれもある。きわどいタイミングなのだ。”ともだち”が撃たれたのは夜中の学校。AEDはすぐには見つかるまい。近くに人工呼吸と心臓マッサージの練達者がいなければ危ない。
「俺が確認した」とオッチョは言った。「あの段階で、すでに脈はなかった」由、また、角田氏も一緒に確認したという。やはり手遅れだったのだ。そして、お面の下の顔は間違いなくフクベエであったと立会人は証言した。カンナは顔面蒼白である。泣いてもいいのよとユキジもさすがに優しいが、カンナは泣かずに首を振る。
「みんな生きててくれた」とカンナは言った。俺達の最後の希望、ユキジとカンナが一緒にうれし涙を流したのは、これが初めてのことだろう。”ともだち”の死が、20世紀少年の再集結を招くとは、なんという皮肉な出来事であろうか。オッチョとマルオのダブル・ガッツポーズ。誰よりも嬉し涙にくれるのはヨシツネ隊長、例の重圧からの逃避行動。メソメソしないの隊長、とコイズミにまで、からかわれている。基地内では年中行事になっている。
最も冷静なのは若き隊員たちであった。「終わったんでしょうか...」、「これで...」と彼らはつぶやく。本当に終わりならば、彼らはもうここに居る意味がない。行くところもない。「謎は山積したままだけど...」とユキジまで歯切れが悪い。「漫画の打ち切りみたいだ」とは、角田氏の感想である。
同氏によれば、人気がなくなると謎を山積みにしたまんま、漫画が打ち切りになってしまうことが、たまにあるらしい。漫画界の内情は良く知らないが、そういうものなのだろうか。私の経験では、ギャグ漫画が急激に面白くなくなって途絶するというのは時々あった。
今でも納得がいかないのは、愛読していた「ブラック・ジャック」の連載中止である。筒井康隆の断筆と同じようなもので、ある種の圧力があった旨、当時の少年チャンピオンは欄外に書いた。その事情は歴史から消されつつあるようだ。
「終わりなんかじゃない」と珍しくオッチョが、しおらしいことを言う。「俺たちがメシを食って寝て、また起きて、これからも生きていく。俺達が生きている限り、終わりなんかない」って、あいつなら言うだろうというのは、もちろん写真の中のケンヂである。そう、いかにも昔の彼が言いそうなことだ。昔なら。
オッチョは、このメンバーの過労と、目標の喪失感を取りあえず収拾するために、ケンヂを持ち出して言葉を紡いだのだろう。彼の本心ではない。少なくとも、一番言いたいことではない。後にカンナに語るように、「奴らはまだウィルスを所持している」。ユキジとカンナを守り、”ともだち”の死を確認しても、彼はまだ一仕事終えただけなのだ。
(この稿おわり)
空飛ぶアオサギ(2012年5月3日撮影)