おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

スポーツ論 (脱線)

 スポーツを観ての感動は、勝者が得たものの大きさではなく、敗者が失ったものの大きさに左右される。というような意味のことを、何年か前に名前を失念したが誰かが新聞か雑誌の記事に書いてみえた。まことにその通りであると思う。その筆者が例として挙げていたのは、記憶ではマラソンとボクシングであった。

 マラソンでは40キロも先頭を走っていても最後に抜かれたらゴールのテープを切ることはできない。最終ラウンドまで善戦しても殴り倒されて負けるのがボクシングだ。それまでの練習や減量がどれほど過酷だったか、私の想像を超える。

 かくのごとく敗者に心を寄せることを、ヨシツネの先祖かもしれない源九郎判官義経の人気にあやかって判官びいきと呼ぶが、どうも最近のご同朋はこれを失いつつあるような気がしてならない。

 
 野球で言えば夏の甲子園、優勝するチームは全国で一校である。レギュラー選手の大半を占める3年生は、たった一回負けただけでもう二度と高校野球はできない。負けてさわやかな準優勝校なんていう報道は止めてほしいものだ。

 星飛雄馬と伴宙太が所属した青雲高校が予選で優勝し、彼らが感涙にむせんでいたとき、監督は怒り「泣いてよいのは彼らだけだ」と相手のチームを気づかい、さらに「勝って兜の緒を締めよ」と叱咤した。


 この言葉を最初に誰が言ったのか私は知らないが、日本海海戦のあとで連合艦隊を解散するにあたっての東郷長官の訓示の最後に出てくる。古人曰ク、勝テ兜ノ緒ヲ締メヨト。

 日露停戦を仲介したセオドア・ルーズベルト米国大統領は、その全文を英訳し全軍に配布した。付言して「もしも戦争が起きたときは、かく戦うべし」と書いた。その「もしも」の相手が我が国であった。厄介な人の手に渡ったものである。


 話が逸れた。野球の続き。先日、小学校から大学まで野球部で活躍し、今もノンプロで頑張っている若い野球選手と話をする機会があって、「プロ野球のクライマックス・シリーズは不要である」という点で意見の一致をみた。
 
 リーグの覇者になるべく半年間、選手も指導者も死力を尽くす。それなのに小中学校の大会でもあるまいし、敗者復活戦を行うとは選手にもファンにも失礼ではないか。興を削ぐ。どれだけ金儲けになっているか知らないが、即刻廃止すべきである。


 オリンピックもサッカーのワールド・カップも4年に一度の開催である。選手生命は医学薬学やトレーニング技術の発展で飛躍的に長くなったが、それでも次回必ず出られるという保証などない。これで最後かもしれない。やっている方も観ている方も、だからこそ熱中する。

 念のため、自分の人生は失敗ばかりだが、いくら私でも負けた人の悔しがり方を見て暗く喜ぶほど落ちぶれてはいない。甲子園の客が負けたチームに送る拍手の意味を書こうとしているのだ。


 血の大みそかの夜、責任逃れで忙しかった総理大臣と似ている政治家が、SPの浅田真央を評して「あの子、大事なときは必ず転ぶ」(時事通信)と公衆の面前で語ったらしく物議をかもしている。あのレベル、あの立場だからこそ、転んでしまうことがあるということを知らないらしい。フリーの感想もぜひ聞きたいものだ。

 浅田はまだオリンピックに出場できない年齢でグランプリ・ファイナルを制し、爾後10年近くにわたり、この華やかなスポーツ興行の先頭に立って強豪と戦い続けてきた。最初のうちは舌足らずの小娘だったが、今では希少というべき清楚な大人の女になった。

 日本の総理大臣は1年で辞めても平気なご様子だが、浅田は仮に辞めたいと思ったとしても、あるいはしなくても、我々がかけ続けた強烈なプレッシャーによく耐えてここまで来た。


 今大会のボブスレーでは戦前の予想通り(?)最下位に沈んだ南国ジャマイカのチーム・リーダーのワッツ(46歳)は、「もし目標があるならば、それは少し高く持つべきだ」と語っている(毎日新聞)。日本の政治家もこれくらい気の利いたことを言えないものか。ワッツの言葉は単なる精神論ではない。少し高くというのは知恵の言葉である。

 私はロサンゼルスでヘボゴルフをしている最中に、ジャック・二クラウスが目の前を歩いているのを見て慌てた経験がある(別にあわてても仕方がないのだけれど)。二クラウスはこういうことを言っている。ゴルフが下手の人の練習を見ていると、簡単にできることか、とてもできそうもないことのどちらかを繰り返してばかりだ。本当に上達したいのなら、もう少しでできそうなことを訓練すべきである。


 ついでに、もう一つアメリカのゴルファーが残した格言をお伝えしたい。確かアーノルド・パーマーだったと思う。「ゴルフのプレー中、どんなに腹が立ってもキャディをパターで小突いたりしてはいけない。ドライバーで力をこめて殴り倒すべきである」。ご本人が実践していたかどうかまでは知らない。

 過去テレビで観て覚えているボクシングの試合は、偉大なボクサーがとうとう負けた試合ばかりだ。アリも負けた。フォアマンも負けた。タイソンも負けた。具志堅も負けた。輪島も辰吉も矢吹丈も負けた。これからも無数のプレーヤーが多くのものを失い続ける。去る者もあれば立ち直る者もいる。いずれにせよ頼んでもいないのに私の人生を豊かにしてくれるのだから、これほど有難いことがあろうか。



(この稿おわり)






葛西紀明の2本目のジャンプ」  朝日新聞 川村直子氏撮影

































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