おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

飛んで火に入る夏の少年  (20世紀少年 第837回)

 余談から。1980年代の終わりごろといえばバブル景気のど真ん中。私自身はロサンゼルスに住みロックを聴きながら仕事もしていたころのことである。

 西ドイツ出身のグループ「Milli Vanilli」のシングル「Girl I'm Gonna Miss You」が全米ヒット・チャートのトップに立った。私はラジオでこの曲を聴き、いたく気に入ってカセット・テープを買い、20年以上経った今でも時々聴いている。

 ところが。このバンドのフロントで歌って踊っているはずの二人が、実は「口パク」であるとの内部告発が表ざたになって大騒ぎになり、折角もらったグラミー賞も召し上げ。ちょっと似たような騒動が今の日本の音楽界で起きているらしい。

 詳しくは知らないがゴースト・ライターが白状したとか。法律家がこれを何というか知らないが、世間では嘘ついて人を騙し、金を手に入れることを詐欺という。もう少し平たく言うと「ズルはだめだよ」ともいう。幼稚園からやりなおせと思います。


 ちょっと前のページに戻る。上巻の172ページ目でサダキヨに手紙を渡して去る少年の胸に、宇宙特捜隊のバッヂは無い。この前に出てきた公園のシーンと、この後で出てくるジジババの店先の場面ではバッヂを付けているので、サダキヨとの面談は両場面の前であろう。

 前の日かもしれないが、同じ日かもしれない。同じ日と仮定するとクロノロジーは、(1)サダキヨにリモコンの隠し場所を書いた紙を渡す、(2)ジジババの店で当たりくじを置いてバッヂを持ち出す、(3)公園でフクベエと山根に合流し、横柄な態度をとって置き去りにされる、(4)ジジババの店の前で災難に遭うという順番。子供たちの影もこの順に長くなる。午後の出来事だろう。

 
 なぜ、同じ日に仮定してみたかというと、サダキヨ少年の行動を想像してみたかったからだ。サダキヨは(1)に登場するだけだが、後にカンナがサダキヨの記憶と思われるものに接触するとき、彼は(4)の場面を少し離れて見ていた様子。(3)においても、同じころ同じ公園でキリコと会っている。

 ということは、サダキヨはほとんどカツマタ君と同じルートを辿って同じ時間帯に移動したことになる。そうだとすると、(2)のシーンも見ていた可能性がある。カツマタ君だけではなく、そのあとでババの店に入り、走り去ったケンヂの姿も見た可能性がある。その場合、サダキヨは当事者二人しか知らなかったはずの事件の影の目撃者である。


 第22集に戻って考えると、マルオはトラックに乗ってから円盤が墜ちるまで行動を共にしているが、なぜケンヂと”ともだち”がこのような会話を交わし、行動を取っているのか訳が分からないといった風情である。他方で、こっそりトラックの荷台に忍び込み、”ともだち”を羽交い絞めにしたサダキヨの動きは、事情を良く知る者でなければできないような感じがする。

 上巻では円盤の下敷きになったサダキヨはケンヂに、僕は良い者か、仲間に入れるかと尋ね、ケンヂの快諾を得て穏やかな顔つきになったのだが、その直後に「ごめんね」と言って泣いた。なぜ改めて謝罪するのか。なぜ、ここまでやって(つまり”ともだち”の暴走を阻止しようと努力して)、ようやく仲間に入れると思ったのか。

 
 サダキヨは万丈目や山根より、ずっと”ともだち”に詳しかったのではあるまいか。読者が知っているサダキヨの「悪い者」部分はモンちゃん殺しだけなのだが、実際は彼はフクベエやカツマタ君が異常なまでにケンヂばかり責め、悪党扱いし、世界中のさらし者にしようとしてきた裏事情を知っていたのではないか。

 そう考えれば、チョーさんが”ともだち”を複数と睨んだときABCのトライアングルにしたのも、後に連合軍がサダキヨを”ともだち”の影武者と疑っているのも、仲間に入れてもらったサダキヨがカンナに最後の渾身のメッセージを送ったのも、みんな自然に受け止めることができるような気がする。でも証拠がないんだよね。


 第8話「お前は今日で死にました」の扉のページでは、誰かの手がジジババの景品バッヂに伸びて、それを持ち去る足音が聞こえてくる。ウルティモマン・ガムの景品バッヂは残り一つだから、これはケンヂだろう。次のページは特別警戒中のババの怖い目付き。そのまた次のページがネズミの実験に夢中のフクベエと山根の会話。

 彼らはババの関心を引くことなく、ジジババの店の前を通過した。容疑者はお面をかぶっているので顔が分からないが、二人はババにとっての容疑者とは服装が違うしお面もバッヂもつけていない。だが、二人が店先を通り過ぎた途端に背後から「こらー!!」という大声が飛んできた。フクベエの反応は鈍いが、山根は怯えて振り向いている。


 見ればババがナショナル・キッドの少年を背後からとっ捕まえて、シャツを両手で握り自由を奪っているではないか。「ついに、つかまえたぞー」と怒鳴っている。先ほど一旦、この少年が誇らしげにバッヂを胸につけて堂々と目の前を通過したのを見つけたのだが、当たり券を持ったマルオの登場で捕り物に至らなかったのだ。

 マルオの接客を優先したとは、ババもさすが地場の老舗商店主だが、逃がした魚を待つ間に怒りを増幅させたのか、尋常の怒り方ではない。無くなったのは商品ではなく、こう言っては乱暴だが当たりの景品に過ぎない。しかしババにはジジと始めた店を守るという責任感とプライドがある。それに昔の年寄りは悪さをする子供に対して厳しかった。


 まさかババが手ぐすね引いて自分を待ち構えていたとは知らない少年の抵抗は最初のうち威勢が良かった。「何すんだよ、はなせよ」と、われらの世代ならばイントネーションまで伝わってくるようなセリフである。だが、「離すもんかね、とっとと白状しな」と言われたあたりから相手が恐怖のババであると察したか、「なんにもしてないよー」の繰り返しで防戦一方になった。

 迫力負け。しかも、そこらを歩いていた子供たちが大勢、騒ぎを聞きつけて集まってきた。ヨシツネはいつものTシャツ姿で「んー?」とヤスジ的に一言。ランニング・シャツに当てたばかりのバッヂを付けたマルオが、「なになに、どうした」と近づいてくる。後に世界を揺るがすことになる騒動の始まり。

 なお、1964年の東京オリンピックの際、羽田空港には「ランニングとステテコ禁止」という張り紙がなされたらしい。昭和も遠くなりにけりだ。もっとも色と模様の細工をすれば、タンクトップとスパッツと呼ばれるのだが。




(この稿おわり)






夜明け  (2014年1月4日撮影)









ウルトラマンを支える太陽エネルギーは地球上では急激に消耗する。エネルギーが残り少なくなると胸のカラータイマーが青から赤に変わり点滅を始める。そしてもしカラータイマーが消えてしまったら、ウルトラマンは二度と立ち上がる力を失ってしまうのだ。がんばれウルトラマン。残された時間はあとわずかなのだ。
                     
                          石坂浩二氏 談


 (注) しつこいようですが、うちの白黒テレビでは青から赤には変わらなかった。






























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