おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

チョーさんメモを読んでみる 【前半】 (20世紀少年 第830回)

 はあー、やっとでここまで来たか。去年の後半の体調不良と多忙からだいぶ立ち直ってきたと思うけれど、それでも読み返すとまだ誤字脱字や勘違いが多い。なのに何故そんなにしてまで私は書くのか。

 サルトルニーチェは、原因があって結果があるのでも、動機があって行動するのでもなく、なるべくしてそうなっているというふうなことを書いているらしい。たまには異人さんも良いことを言うのだ。


 モンちゃんメモを読んでみてから幾星霜。今度はチョーさんの遺言とも言うべきメモの一部が出てくる。手がかりはヤマさんが蝶野刑事に伝えている言語情報と、ヤマさんの記憶を描いた何枚かの絵である。

 ヤマさんが生前のチョーさんから引き継いだその中身は、「いやー、驚いたね。さすが神だ。」というものだった。このメモを読む前、すでに「知り過ぎた」という理由で”絶交”しているのだから、読んでなお驚くとは余ほどの中身だったのだ。


 「そこにはすべての謎の答えが書いてあった」とヤマさんは語り続ける。謎。誰にとっての? その大半はヤマさんにとっての謎ではないはずで、なぜならすぐ後で「肝心なこと」だけは見なかったと言っているのだから、その他の記載事項はヤマさんもすでに知っていたが(だからこそ疑うまでもなく驚いたのだ)、”ともだち”が世間に隠している事柄こそ「謎」と考えたほうが自然な感じがする。以下、ヤマさんによる彼が読んだ項目の箇条書き。

 1) ヤマネとは何者か...
 2) サダキヨ...
 3) サダキヨの友達...
 4) ”ともだち”の正体...
 5) フクベエと呼ばれていた服部...


 1997年の喫茶店で殺意を固めた段階で、ヤマさんは「”ともだち”の正体」が「フクベエと呼ばれていた服部」で、小学校卒業時のクラスでケンヂの同級生だったことを知っていたはず。なぜならチョーさんは固有名詞を出しておらず同級生としか言っていない。それだけでも「知り過ぎた」と判断されたのだ。上記の4)と5)は(すなわち服部が”ともだち”)、当時のヤマさんにとって新情報ではないだろう。

 そのころヤマさんがヤマネとサダキヨを知っていたかどうかは分からない。だが、先述の考え方に沿って考えれば、知っていたと考えたほうがいいな。山根は95年ごろ鳴浜病院の事故があって大福堂製薬に移っているはず。山根がウィルスの開発をしていることが幹部にさえ極秘事項であったなら、たぶん2015年の円卓会議でヤマさんが空席を見ながら、山根がユダだったかなどと言わないだろう(ただし20年くらい経ってはいますが)。


 サダキヨがいつから高校の英語教師と博物館長を務めていたかも不明であるが、2014年にサダキヨの名と素顔は万丈目も高須もカンナの高校の校長も知っていたし、彼はモンちゃん事件の請負仕事もしているのだから、やはり秘密の存在であったとは考え難い。ということで、1)と2)も、そんなに問題にする必要がなかろう。取扱いが難しいのは残る3)である。これはヤマさんのセリフから離れて、上巻162頁の絵を見よう。

 ヤマさんは「そしてもっと驚いたことに、そのメモはそこで終わってはいなかった」と言葉をつないでいる。「そこ」とはフクベエ情報、すなわち4)と5)だろう。「なんと、あの時点ですでに...」とヤマさんが驚いているのは、フクベエとすりかわった者(正確を期せば、その筆頭候補のはずだが)にまで言及があったのだ。

 
 当時のヤマさんが見たページは、見開きの左側が見づらく、「入手」「証拠」「連絡先」そして写真らしきものが見える。多分”ともだち”の正体見たりだ。卒業写真の発見以降、捜査の進展があったに違いない。問題はメモの右側のページである。ヤマさんの思い出語りとほんの少し違う。このメモはヤマさんのページのめくり方からして、左のページが先、右のページが後で書かれている。

 つまり、このコミックスとは逆方向に進行するのだが、ノートや手帳もみんな右利きはそのほうが書きやすいので頁は左から右に進む。日本のマンガ本はセリフに縦書きが多いせいか、文庫本や新書と同じ構成で右から左に進む。海外では日本の漫画は、その国の実情に合わせて逆方向に構成し直すこともあるらしい。さて、メモの右側に戻ろう。左ページより新しい内容だ。まず上半分。

 A) サダキヨの友達(?)
 B) 本名 ― 佐田清志  要捜索
 C) ”ともだち”は複数?


 最初の三行は外見からして、おそらく殆ど同じタイミングで書かれたものだろう。A)とB)の書き方からして、チョーさんはサダキヨの存在を知り、さらに綽名と本名にたどり着いたものの、まだ彼の役割や”ともだち”との関わりなどが不明という段階にあったことが推測できる。

 A)は上記の3)に当たるのだが、これがまた微妙でフクベエとサダキヨが友達だったという意味なのか、サダキヨの友達に他の関係者がいるという意味なのかこれだけでは判然としない。ケンヂとフクベエが一緒に写真に写っているのを見て、ケンヂと敷島教授事件・金田青年事件の関連も疑い、当然チョーさんは小学校時代に何か”ともだち”誕生の発端となるような出来事があったのではないかと気が付いているはずだ。神の思考回路を辿るのも大変だわ。

 しかし、その卒業写真にはサダキヨがいない。読者はその事情を知っている。当人がモンちゃんに語ったように、転校して卒業時にはこのクラスにいなかったからだ。何らかの情報源からサダキヨの存在を突き止めたチョーさんは、一体どこの誰なのか調べないといけないと考えて「要捜索」と書いた。捜査でなくて捜索だから居所も不明でだったのであろう。さて長くなったので前半と後半に分けることにします。



(この稿おわり)







冬の果物のとくれば柑橘系ではないでしょうか。
(2013年12月暮れ撮影)





こちらは上野公園の水仙  (2014年1月19日撮影)






































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