今日は余り愉快な箇所ではない。一回限りで片付けよう。年号を聞いただけで「ああ、あの年だ」とすぐにわかる年の数がだんだん増えてきた。個人的なものと、社会的なものがある。後者の代表として古くは1964年の東京オリンピックと新幹線、1970年の大阪万博。
近年では東日本大震災の2011年。それに負けず劣らず多くの人がすぐに反応を示すのが1995年。この年に阪神・淡路大震災と、オウム真理教による一連の事件が起きた。来年で20年になるのか。
この教団はこれまで小欄でも何回か、”ともだち”の教団のモデルになっていると推論してきた。細菌兵器、国政への野望、細かいところでいえば、ともだち府の外装はVXに見えた。被害者の会の会長暗殺未遂などに使われたといわれる猛毒ガスである。
蝶野刑事になぜ入信したのかと訊かれ、ヤマさんは直接それに答えず、「君はなぜ刑事になった?」と逆に質問してきた。そして答えまで準備してあり、「社会のため、正義のため、犯人を逮捕するためか」と問う。もちんですと蝶野刑事。俺もそうだったとヤマさん。蝶野刑事の場合、祖父と同じ仕事に就きたいという強い願望もあったかもしれない。さぞかし親は反対しただろうが。
ヤマさんは最高の刑事になろうとし、足を棒にして捜査に明け暮れたと回顧する。しかし、「どうにもかなわない」「俺の上にはいつもあの人がいた」のであった。これだけ聞いて蝶野刑事は「じいちゃん...」と察している。ヤマさんによるとチョーさんは捜査の神であり、努力で超えられる存在ではなかったという。
そしてヤマさんは自暴自棄になってしまい、また、そんなときに限って人は自ら不幸を招く。ある男に声をかけられ、「あなたは、あるがままで十分素晴らしい」と目玉覆面の”ともだち”に言われたらしい。ふむ。普通、宗教は修行なり念仏なり断食なり座禅なり、それなりのお勤めや作法を相手に課すものではないのか。何もしなくていいとは便利。
ヤマさんはこの甘さ緩さに引き寄せれてしまったらしい。さらに”ともだち”は、「私と共に宇宙になりましょう」とも語ったそうだ。今となっちゃ何を言っているのやらだがねとヤマさんは言うのだが、今や、ネットで「宇宙と一体」などで検索すると砂糖菓子のようにべとついた感じのサイトがたくさん出てくる。
オウムの幹部の多くはバブル景気の時期に入信している。人の心が動揺するのは不況停滞の時期よりも、経済社会の大変動期かもしれない。さて、これからの日本はどうか。皇室や軍事が大好きで、何かとうるさい外国を全否定するという国を挙げての騒動は幕末期にも戦前の軍国主義時代にもあった。尊皇攘夷という。
雑誌「週刊プレイボーイ」は単なるエロ雑誌と誤解している者が多いが(拙宅にも棲んでいる)、高校大学のころ愛読者であった私にひとこと言わせてもらえば、中高年向けの雑誌などではちょっと分かりにくい社会経済の事象をやさしく説明してくれる総合雑誌として今も昔も優れており、人生相談なども読みごたえがある。
ただ政治や投資の話ばかりでは読み手も疲れるので、記事と記事の間に目の保養になるような写真が若干、はさまっているだけなのである。その週プレに去年だったかカルトの特集があった。全体の主張としては、オウム以降、カルトは小型化し、かつITを利用してネット空間で広がりつつあるという警鐘であった。似た記事がうちの新聞にも先日出ていました。
ネットは誰とでも繋がりを持ちうるが、言うまでもなくその情報の交換・伝達の際、第三者の立ち合いはない。一人で端末の画面を眺めているだけだ。積極的に誰かの助言を仰がず、一切を真に受けていると確かに怖い。
同記事には「マインドコントロールは一対一でも、カルトなどの集団でも使えます。カルトが恐ろしいのは、社会規範に反し、法規範を逸脱していく過程で信者の人格を破壊していくからです。」という弁護士の忠告が載せられている。ヤマさんは心の隙を突かれ、社会や法令の規範から逸脱していったのであった。
蝶野刑事は怒りに顔をゆがめて立ち上がり、「それであなたは、じいちゃんを...」と問い詰めた。ヤマさんは素っ気なく「ああ、”絶交”した」と言った。ところでオウムの「ポア」は地獄に落ちて苦しむと気の毒だから、せめて早いうちに死なせてあげようという恐るべきお節介であったと聞く。中世キリスト教の魔女狩りと同じ発想である。
一方で、”ともだち”の「絶交」は、少年時代こそ本来の絶交だった時期もあったようだが、カルト化してからは要するに自分らにとっての邪魔者を排除するだけの殺人であった。信者向けの説明は、第1集によると「宇宙が、真の”ともだち”選びを始めたのです」である。宇宙が人殺しをするか?
これに続いて当時の”ともだち”は、「破壊と再生の時が、やってきたのです。」と宣言している。前も触れたがヒンドゥー教のシヴァ神は破壊と再生の神であり、シヴァはオウム真理教の主神であった。やっぱりマネだった。マネのマネかな。
蝶野刑事は言葉がない。こんな拙劣な洗脳の結果、祖父は殺されたのだった。しかも蝶野刑事は怒りの余り気付いていないのかもしれないが、目の前の殺人犯は彼の祖父のせいで宗教に頼ったという因果関係を主張しているのだから、それが事実であろうと姿勢が卑劣である。
だが読者としては、ここで蝶野刑事が激発して相手の首を絞め上げたりせず、傾聴に徹してくれたため、追加の情報を得ることができたのであった。チョーさんメモである。
(この稿おわり)
僕が徹底的に惚れてるあの娘が
僕の脳ミソをジャブジャブ洗ってるんだ...
「ねどこのせれなあで」 泉谷しげる
口直しに素敵なポスターを一枚。
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