おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

3分間、待つのだぞ (20世紀少年 第817回)

 上巻の第6話「マネのマネ」に入ります。若き日の万丈目が路上に座り込んで、いかがわしい商売をしている。左の頬に絆創膏が貼ってある。自分に殴られた箇所が腫れ上ったのだろう。そうであれば、これは現実の過去の描写ではなくて、ヴァーチャル・アトラクションの中の出来事ということになる。
 
 彼が子供をだまして売り飛ばそうとしている本日の目玉商品は、「あのNASAが開発した宇宙食」である。取り合えず集まってみた子供たちは半そで姿だが、みんなランドセルを背負っているので夏休み前の下校時であろう。登校時では売れるものも売れまい。昔の子はこのように半ズボンもスカートもひざ上であった。この中に私が知っている顔はない。


 男の子が「食べられるの、それ」と良い質問をしている。そういえば今の大人は、年下であれば二十代だろうと三十代だろうと「あの子」「その子」と平気で呼ぶ。呼んでいるほうが子供っぽく見えるのは自分だけだろうか。私の場合、中学生になって以降、子と呼ばれた覚えはない。子供扱いもされなくなった。

 念のため母に訊いてみたところ、昔は確かに中学に行くようになったら子とは呼ばなかったという。最近はいろいろなデザインもあるし私服の学校もあるが、当時の中高の制服は軍服であった。セーラー服も水兵の服であり、薬師丸が機関銃を撃ちまくるにあたり着替えなかったのも当然のことであった。


 ヴァーチャル万丈目は殴られてへこたれるようなタマではなく、「バカなこと聞いちゃいけない」と売り口上も弾んでいる。アメリカでは二十万世帯の食卓で食べられているのだと語った。大きく出たね。別の子が「おししいの、それ」と疑り深く訊いている。万丈目は「実にうまい」と答えたが(のちに嘘であることが判明する)、テレビで宇宙食は不味いって言ってたという子もいる。宇宙食を食べたことはないが、80年代後半にアメリカに行ったときは機内食が不味かった。

 昔の話だから許してほしいが、往路で生まれて初めて食べたJAL機内食がひどかったのだ。当時は恵まれていて赴任の際はビジネス・クラスに乘れたのだが、それでも不味かった。JAL機内食が格段に美味しくなったのは、私の記憶ではANAが国際線に参入して移行である。やっぱりライバルは重要であるな。全日空は私が住んでいたロサンゼルスにも747を飛ばしてきた。街中に突然ジャンボ・ジェット機が出現するテレビCMが印象的であった。ロッド・スチュアートの”Sailing”が流れる。


 まずいと言われて、万丈目は真面目な顔つきになり、「そう、これまではそれが常識だった」と歴史を語り始める。最初の開発者はアメリカのマクドナルド博士であったが、まだ流動食であった。ハンバーガーの次はコーヒーの出番で、お次は大西洋を渡ってフランスのマキシム博士が肉やイモ、ニンジンなどの固形物を入れてみたが、まだまだ給食並みの味気なさであったという。

 さて、今度は給食か。そんなに味気なかっただろうか。多少の好き嫌いはあったので気に入らない日があったのも確かだが、私は小学校でも中学校でも給食が好きだったな。弁当と違って暖かいし、余ればお代わりもできたし。そもそも万丈目の子供時代に給食はあったのだろうか。あっても不味かったのかな。


 万丈目香具師によると、宇宙食があれよあれよと売れ始めたのは、インド洋を渡った宇宙食がインドのサジッド・カーン博士により、カレー味に仕上げられて以降のことであるという。なぜみんな博士なんだ? それより、あのころフランスやインドで宇宙ロケットを飛ばしていただろうか。

 好みで言えば確かにフランスやインドの料理のほうが、アメリカのそれより遥かに美味いけれど。ロサンゼルスの金融機関で働いていたころ(ANAが飛んできたころ)、銀行間取引の一環でインドの国立銀行に融資をしていたことがある。私が担当した或る案件では、多額の融資が宇宙開発に充てられ、記憶に誤りがなければインド国産初の宇宙ロケットの建設費になった。


 そのロケットは道に迷ってインド洋に墜ち、謝罪に来た支店長が「We failed.」と大まじめな顔で謝ったのが可笑しくて、つい笑ってしまった。なお担保付きだったし、すぐ全額が返済されたので笑っていられました。

 ネット情報によると、「サジッド・カーン」は食品メーカーではなくて、私はタイトルの覚えしかなくて見た記憶がないが「巨象マヤ」というテレビ・ドラマに出演していた役者さんらしい。放映されたのは60年代後半とのことなので、万丈目はちゃっかり名前を借用しているのだろう。

 
 しかし、インド人もびっくりという展開にはならず、子供たちは「なーんだ結局、レトルトカレーか」と適切なコメントなど残して散ってしまった。当時「レトルト」という言葉があっただろうか? 少なくとも小学生のころ私の周囲では聞かなかったように思う。だが、レトルトカレーはあった。「20世紀少年」コミックス第22集の表紙絵にも出ている。

 驚くべきことに「ボンカレー公式サイト」というものまである。それによると、ボンカレーは試験発売が1968年、本格的な販売開始が1969年というから巨象マヤと同時代の登場であり、時代考証は適格である。レトルトはたぶん高価だったのだろう、実家で食べた記憶がないので、「なーんだ」と言われてしまうような味だったのかどうか知らない。


 焦りの万丈目は「いまなら一袋98円」と最後の訴えに出たが、子供たちはカレーが嫌いなのではなく、物珍しいから集まっただけのようで、あっという間にいなくなった。「おい、てめえ、ガキ共」という万丈目の捨て台詞は品がないが、彼は一人だけ残った男の子が「ようするに」と生意気な言葉を発したのに気付いて振り返った。

 万丈目が広げた敷布にはレトルトカレーのほかにも、手袋や宇宙ゴマなどが並んでいる。しかし少年の関心は売り物になく、先ほど面丈目が繰り広げた口先三寸のホラ話であった。「本物のマネのマネか...」と考え込んでいる。買わねえならあっちに行けと追い払おうとしたが、その子はしゃがんだままで「マネのマネか」と繰り返す。


 そうだよと万丈目も、つい乗った。彼の理論ではオリジナルは損をし、そのコピーをした奴はまだまだらしい。そして「世界をつかむのは決まってコピーのコピーだ。」と威張った。「ふーん。」とナショナル・キッドのお面の少年は両手の掌にアゴを乗せて感心している。

 かつて”ともだち”を作り出したのは自分だと、ケンヂもオッチョも神様も言っていたが、ここにも共同制作者がおったのだ。万丈目ほどの男になると、自業自得も壮大なスケールである。この物語において、何がオリジナルで、誰がコピーしたのか。「ケンヂのまねのフクベエのまね」のほかにもいろいろ当てはまりそうなので、それは追って考えましょう。



(この稿おわり)




渋柿のシルエット 有明の月  (2013年11月21日の早朝撮影)
 




 君も猫も僕も みんな好きだね カレーライスが
 君はトントン じゃがいも にんじんを切って

          遠藤賢司  「カレーライス」







都内某所にて  (2013年12月7日撮影)



































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