おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

闇市のお土産 (20世紀少年 第813回)

 漫画と関係ない話から始めます。昨日、日本武道館でコンサートを観てきた。これまで気付かなかったのだが、武道館のステージはアリーナ席の会場から、かなり高い位置に設けられている。舞台下の撮影陣の頭よりも上にステージがあるのだがら、2メートルぐらいの高さだろう。よくもケンヂはあれをよじ登ったものである。よほど腹が立ったな。

 このライブは井上陽水目当てで観に行ったのだが、他には元ちとせがよかった。彼女は「Tomorrow Never Knows」という難曲と、ジョン・レノンの血管の中を血液の代りに違法薬物が循環していたかのような時代の「She Said She Said」という怪作を上手くアレンジして歌っていました。芸達者な人だ。ジョンはこのステージに1966年に立っている。
 

 ついでに、もう一席。2005年、私はアフリカへの出張の一環で、南アフリカ共和国にも行った。治安が良くなかった時代で、到着早々、現地駐在員から「昨日、うちのオフィスの隣で白昼に強盗事件があり、警察と銃撃戦になった」とのんびりとした報告があった。ウロウロしなさんなという意味である。あいにく当時の勤務先は危ない場所での駐在や出張など日常茶飯のことなので、幸い仕事が順調で日曜日が空いたため、町中に繰り出した。

 宿泊先のお勧めでネルソン・マンデラ師が育った家も見学しました。見れば部屋の中に光り輝くチャンピオン・ベルトが飾られている。愛想の悪い案内嬢によれば、シュガー・レイ・レナードからの贈り物であるという。当家の新聞によるとマンデラさんは27年間もの獄中生活に耐えた。滞在期間ではオッチョのそれを遥かに上回る。合掌。


 上巻の113ページ目より、カンナとサダキヨが登場する。この二人は「桃源ホーム」の屋上で出会い、モンちゃんメモの受け渡しをして別れた。屋上というのが如何にもサダキヨらしくてよい。彼はその後、死んだはずだったが連中の得意技をマネて生き返り、最後の戦いに間にあったが逃げ足が遅く重傷を負って病院に担ぎ込まれたのだ。

 入院先の病院は一部、看板の文字が欠けているが、どうやら「城南大学病院」であろうか。2000年の夏に帰国したオッチョが見たケンヂの指名手配写真には、容疑の筆頭に「城南医科大学」の爆破事件があったが、同系列であろうか。ケンヂは「奴らが細菌を培養している」という理由で同医大を爆破したが効果がなかったとオッチョに語っていたが、ワクチンもないのに爆破して効果が出たら大変じゃないか。姉の知識とはえらい違いである。


 病室のカーテンを開けてカンナが外を眺めている。彼女が先ほど闇市をのぞいてきたところ、すごい人出であったという。うーむ、私は戦争が終わってからわずか15年後に生まれたのだが(今から15年前というと1998年。ちょうどケンヂが城南医大を爆破したころだな)、すでに闇市は歴史上の出来事であった(はずである)。この違法マーケットからの食糧調達を峻拒して餓死した裁判官がいらした。しかし都市部の人間の大半は、ブラック・マーケットのおかげで生き延びたらしい。堂々と営業していながら闇市と呼ぶのも凄い。

 早く良くなって一緒に行けるといいねと振り向いて語るカンナの表情は明るい。この後の展開からすると相手の容態が思わしくないだけに多少の無理をしているきらいはあるが、女王の氷も解けて、瞳孔が拡がっているような明るい顔つきになっている。相手のサダキヨはベッドに横たわっている。医療の装置には詳しくないが、これは鼻から酸素を吸入しているのだろうか? どうやらサダキヨは意識不明らしい。


 沈黙している相手にカンナの独り言のような話が続く。「あ、そうそう佐田先生にお土産」と言って取り出したのは、闇市で買ってきたという進駐軍が持ち込んだマンガであった。そうそう、サダキヨはカンナがいた高校の先生なのであった。もっとも着任早々、何も教わらずに二人とも行方不明になってしまったが。英語教師の彼がしゃべった英語といえば、挨拶の「グッド・アフタヌーン・エヴリバディ」とコイズミへの自己紹介「マイ・ネーム・イズ佐田清志」で終わり。

 ちなみに、氏名はこの語順で正しい。多くの日本人はなぜ英語で名乗るとき、なぜ氏名を逆にするのか。学校で教わったことがいつまでも正しいと思っているようでは駄目。チャイニーズもコリアンも、母国語は日本と同様、姓が先で名が後であり、英語で名乗るときも名刺も、そのままの順番なのに日本人だけ逆。みなさん、親からもらった名前はどうなっている? 戸籍も住民票もどう書いてある? 欧米人が日本語で挨拶するときに逆にしますか。


 カンナは異国のマンガ本を手にして、「佐田先生、マンガ好きでしょ?」と語りかけている。はて、そうだったかしらね。国会図書館並みに古いマンガがたくさんある博物館の館長をお務めではあったが、彼が愛読していた場面はなかったように思う。もっとも、カンナにしてみれば叔父さんの仲間はみんなマンガが好きと相場が決まっているのだ。

 さらに、カンナはお土産に持ってきたくせに「けどねー、イマイチなんだよね」と低い評価を与えている。もっとも母親代わりの瀬戸口ユキジが、かつてウジコウジコ両氏に言い放った激烈な批判と比べればまだしも穏やかであり、日本のマンガじゃないとだめかなと苦笑いしている。


 その金子氏と氏木氏らしき人たちの話題が次のカンナのセリフに出てくる。前にも話したよねと言っているから、この物言わぬ病人に以前も語って聞かせたのだろう。「あたしのアパートの隣の部屋、マンガ家集団だって」という話題だ。何を描いても自由な時代が来て、もうすぐ傑作が出来上がるらしい。だから間もなく読めるようになるよとカンナはサダキヨに期待を持たせようと頑張っている。

 この言い方からするとカンナは今も新宿の常盤荘にいるのだ。高校時代の勤務先、珍さんの店は無事だろうか。そしてウジコウジオのお二人も隣室のままだ。二人だけで「集団」というのは少し頭数が足りない感じだが、おそらく角田氏も勘定に入っているのだろう。ちゃっかり同居しているのかもしれない。心配なのは海ほたる刑務所に放り込まれた宝塚先生たちの安否である。無事を祈るほかない。


 ちなみに、カンナが手にしている進駐軍ご持参のマンガ雑誌は、どうやら子供向けのものらしく正義の味方のような連中が描かれている。タイトルの一つは「M-MAN vs S-MAN」とある。M対Sとは、どういう趣向なのか興味があるが詳細は不明である。

 今や我が国のサブ・カルチャーから世界に名だたる現代の文化に成長した日本のマンガやアニメに慣れた目で見ると、確かに20年前に滞在していたアメリカのそれは出来栄えがイマイチであった。もっとも「cartoon」と呼ばれる大人向けの漫画はなかなか面白くて、新聞や雑誌でよく読んでいたものです。ただし、これらは絵よりも会話で読ませるものなので、登場人物の動きは鈍い。典型はチャーリー・ブラウンである。


 他方で子供向けのほうは相変わらずのレベルであり、かつてロサンゼルス市役所のまわりをヒラヒラ舞っていたスーパーマンの時代から幾らも進歩していない。今や日米の実力差の原因は明らかだろう。アメリカは手塚治虫を持たなかった。優秀で情熱的な後輩もいなかった。ウォルト・ディズニーで止まっている。

 カンナの独り舞台は、次にコイズミの話題に移る。もうすぐボウリングの大きな大会があるのだという。あんなにボウリングを小馬鹿にしていたのに、天賦の才は女の一生を変えたのだ。それはそれでよしとして、カンナは急に元気を失ってしまう。みんな新しい世の中になって、すごく張り切っているのに、「あたしは、どうすればいい」と彼女は下を向いてしまった。彼女のまわりには格別、能天気が連中が多いので、そんなに気にしなくてもいいのにと思うのだが、苦労人の彼女の悩みは深い。



(この稿おわり)





「人呼んで」とくれば「流星仮面」








 あれは十六 新宿の 
 名も知らない店で
 あたしの手を握りしめ 
 明日こそと言ってくれた

             「そばかすの天使」  甲斐バンド






























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