おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

知らねえ (20世紀少年 第803回)

 
 昨日の報道によると、軍縮目的の国際会議で「殺人ロボット兵器」の規制が議論されたらしい。まだ実戦配備はされていないそうだが、アメリカなどが開発中とある。あの国は開発が終われば必ず使う。原爆や枯葉剤無人飛行機で証明済みだ。なお、盗聴といえば”ともだち”の得意技だが、アメリカは「していない」と言い、ドイツの首相は怒っているが、どちらも役者やのうと思う。無線の音波はごく普通に空中を飛んでいる。

 話題の殺人ロボット兵器は人が介在せず、センサーで敵を識別して戦闘に移る「自己完結型」であるらしいが、どうやって敵味方を識別するのだ? 「やま」「かわ」なんて言葉を交わすのか。例えば捕虜になった味方が一人だけ敵の中にいるとして、その一人だけ攻撃しないつもりだろうか。無理だろう。本件について赤十字のコメントは「ロボットは無慈悲である」。そうそう。


 もっとも、この指摘は間違いではないが、もともと機械には慈悲も無慈悲もない。作るほう使うほうが無慈悲だから困るのです。それに故障したらどうするのだ。HALやターミネーターやテクノ・コアのごとく勝手に「進化」して反乱したら更に大変である。

 他方で近ごろ大活躍の無人飛行機による爆撃は遠隔操作だが、これはこれで良いも悪いもリモコン次第。機械と将棋の駒は敷島教授のように油断していると、いきなり敵陣営に寝返るから始末におえない。私のパソコンは過去何度か壊れて持ち主に多大の迷惑をかけながら謝罪の一つもない。便利なものほど使えなくなると厄介なのだが...。ところでヴァーチャル・アトラクションは持ち主が壊れたのに、まだ使えるらしい。


 上巻72ページ目。ケンヂとヨシツネの功績を評価し終えた男は、話題をいきなり代えて「私はプロファイラーです」と言った。ケンヂは知らなかったようで、「プロ、何だって?」と不審そうだ。この場面はずっと前に話題にした覚えがある。その際は確かフクベエ少年のプロファイリングを試したのだったかな。

 遠藤ケンヂがコンビニの店長をやっていた1997年、チョーさんや金田青年やドンキーが「絶交」されて、巨悪がその本性を現し始めたころ、現実の世界で私はカンボジアで働いていた。まだ、職場にも自宅にもEメールすらなかった時代で、ただし或るホテルに日本の新聞の衛星版だけが届いていた。その当時、起きたのが神戸の連続児童殺人事件。プノンペンで連日起きる人殺しにさえ鈍感になっていた私もさすがに戦慄を覚えた。


 犯人が残した警察に対する挑戦状のごときものを巡って、テレビや雑誌では盛んに犯人像のプロファイリングが行われていたのを覚えているが、記憶の範囲では犯人が中学生と予想した人はいなかったように思う。なんせ凶悪犯という正常ではない相手がどんな人物なのか、正常な人が想像するのは難しいのではないか。基本的には過去のデータから傾向を割り出す統計的な手法なのだろうが、そのやり方だけでは異常な犯罪を取り扱うのは困難でしょうね。

 国連軍のプロファイラーは”ともだち”の内面を調査していると語っているが、彼もどうやら行き詰まりを感じているようで、まずはケンヂに直接、「”ともだち”が誰だか知っていますか?」と訊いた。この用事のために、真の英雄は呼び出されたのだろう。ケンヂはきっぱりと「知らねえ」と答えている。


 さて。ケンヂは血の大みそかの夜、お面を取ったフクベエの顔をはっきりと見ている。そして先日、彼の歌を聴きながら他界した”ともだち”は、バッヂ事件の当事者であって、フクベエではないことをケンヂは確信している。多くの人が「死んで蘇った」と信じ、万丈目は「死んだふり」をしたと思い込んだようだが、ケンヂは人事異動があったことを知っている。

 なぜ整形したのか、なぜケンヂはお面の下の顔をみてもマルオのように驚かなかったのかという疑問を放置したままになっているが、フクベエが”ともだち”になってからの素顔は大勢の信者らが知っている以上、「死んで蘇った」フリをしたカツマタ君は、いざというときに備えて同じ顔にしておかないと自作自演の神話が崩壊してしまう。そう考えれば、同じ顔に整形するしかないし、ケンヂもそう考えていたのなら驚くに値しないということになる。


 ともあれ、ここで「知らねえ」と断言したのは、フクベエを話題にするのを避けたということだろう。ケンヂにとっても国連にとっても、先代の仕業はもう過ぎた話である。仮にフクベエが長生きしていたら何をやらかしたかというのは最早、問題ではなく、いま国連軍の関心は世界を終わらせようとした死にたての”ともだち”のことであり、ケンヂも決着を付けないといけない相手はフクベエではないのだ。利害が一致しているのだから、フクベエの件は伏せ、ただし、まだ名前まで分からないので「知らねえ」と率直に答えたのだ。
 
 次が面白い。流石はプロファイラー、「心当たりは?」と微妙に質問の矛先を変えてきた。ケンヂの返答は今回も活字にすると同じく「知らねえ」だが、やや左下に目を伏せているし、語尾も「.....」と点が5つもあるところをみると、あまり切れ味のよくない返事をしたようだ。心当たりはあるのです。ただし、この外国人さんに今あの話をしても信じてもらえないだろうし、そもそも思い出したくもなかった自分の過去を伝えなければならない。だからケンヂは一旦ごまかした。


 プロファイラーは再び話題を代えて、「よげんの書」のコピーを持ち出している。資料提供者は原本を所有しているはずのカンナだろうか。お馴染みの「レザーぢゅう」「きょだいロボット」、殺人ロボットから降り注ぐ細菌兵器と倒れ伏す人々の絵。「ケンヂ」の署名入り。「ああ、俺がガキのころ書いた」とケンヂは認めている。次にプロファイラーが取り出したのは、こちらは情報源が不明であるが、”ともだち府”にでも残っていたのか、”ともだち”が書いたといわれる「しんよげんの書」のコピーであった。

 このうち、「ばんぱくばんざい」「せかいだいとうりょう」「しんじゅくのきょうかい」は良く知られている。右端の「かせいいじゅうけいかく」はカツマタ君が書いてフクベエと山根に無視されたものだが、そのままスケッチブックに残った。もう一枚の「んが」「ふの」「きこまれ」という文章の末尾だけ見えるページは初出にして内容不詳である。恐怖の何とかに巻き込まれかな??  


 ケンヂは「それは俺達には関係ねえ。」と言い切った。全く関係ないとは思えないけれど...。俺が書いたのではないという意味なら正しいけれど。プロファイラーは本日の対談における最後の核心部分に迫りつつある。彼はケンヂに「ご存知ですか」と尋ねた。「ヴァーチャル・リアリティーゲーム」と表現している。英語ではこう言うのが正しいのであろうか。

 ケンヂはヴァーチャル・アトラクションを未経験だが、ヨシツネ達に聞いて知っていると答えている。相手は「これから特殊部隊が、ゲームの中に入ります」と言い足した。ゲームと言ったって、あそこは恐ろしいところなのだが、情報不足なのか戦い好きなのか。すでに決着を付けるため心の準備が出来ているケンヂは、頭をボリボリかきながら、どう言ったものかと思案顔。話の接ぎ穂は相手が提供してくれた。「しんよげんの書」の最終ページ。ヨハネの黙示録の改悪版。この世界を終わりにしますと彼は言った。




(この稿おわり)



都内の協会にて、十字架の影 (2013年9月27日撮影)





近所の花壇にて、ドウガネブイブイ (2013年9月23日撮影)





 This is the end, beautiful friend
 This is the end, my only friend
 The end of our elaborate plans



 これで終わり 美しきともだち
 これで終わり だた一人の我がともだち
 僕達の手の込んだ計画のおわり


           ”The End”  The Doors











































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