おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

アリとフォアマン (20世紀少年 第777回)

 今回は第22集の231、232ページのためだけに費やします。旧主”ともだち”の陰謀を察知したヤン坊マー坊が万博会場に向かっている。決起した二人は、そこに行けば一人でも多く助けられるかもしれないが、自分たちもウィルスを浴びることになるという葛藤を抱いたまま車で会場を目指す。

 元はと言えば俺達の責任だと双子の片方が言う。2000年の裏切り、ともだち歴3年の円盤、奪われたロボット。ともあれ、これまで思い通りに操ってきたつもりの13番に、双子に、やがてサダキヨに、”ともだち”一派は強烈なしっぺ返しを受けるときが近づきつつある。


 いま現在の心境について、ヤン坊だかマー坊だかミン坊だかトン坊だかは、ウィリー・ウィリアムズに立ち向かう猪木の気持ちになぞらえている。その兄か弟は気に入らないらしく、それよりモハメド・アリ戦だろうと反論している。最近また国会議員になられたこのプロレスラーは、当時いつまでたってもジャイアント馬場が挑戦を受けて立たなかったためか、異種格闘技戦燃える闘魂を注いだのであった。

 ヤン坊マー坊のミッションと異種格闘技がどういう位置関係になるのかよく分からないが放っておこう。ともあれ双子もようやく良心の呵責に目覚めたのだ。それより猪木の相手なのだ、今日の話題は。ウィリー・ウィリアムズ戦もモハメド・アリ戦も、私はテレビの実況中継で観ている。ウィリーは例のゴッド・ハンド、マス大山の弟子であった。だが、なぜか私は猪木対ウィリアムズの記憶がほとんどない。アリの印象が強すぎたか。


 私が幼稚園児ぐらいのころ、ローマ・オリンピックで優勝したカシアス・クレイは裸足の王者アベベと並んで俺達の英雄であった。後に彼はイスラム教に改宗して、モハメド・アリと名乗りを変える。蝶のように舞い、蜂のように刺すアリンコであった。先年亡くなったジョー・フレイジャーケン・ノートンと戦った。そして30歳を過ぎて全盛時代を終えたかにみえたアリは、当時26歳にして無敵の王者、ジョージ・フォアマンへの挑戦権を得る。

 まことに運のよいことに、このフォアマンとアリのチャンピオン・シップがアフリカ大陸で行われたとき、私はボクシング好きのご老人とたまたま一緒にいたため、この試合をテレビ観戦した。当時中学生の私でさえ、世界中がヘビー級史上最強と言われたフォアマンの勝ちを信じて疑わなかったことを知っており、アリはそのフォアマンをリングに沈めた。


 ロサンゼルスに駐在していた1980年代の終わりごろ、私はフォアマンが聖職者の地位をなげうって、ボクシング界に復帰したことを現地の新聞記事で知った。スポーツ欄の小さな囲い記事扱い。フォアマンはすでに40歳を超え、長いブランクがあった。それでも彼はインタビューに応え、「私はまだボクサーとしてのピークに達していない」と簡潔にリングに戻った理由を述べた。

 私は思わず笑った。そして例によって例のごとく、私は大馬鹿野郎でありフォアマンは本物であった。ここから先の物語は沢木耕太郎のドキュメンタリーでご存じの方も多かろう。アリはフォアマン復帰のニュースを聞いて、「Old man」とだけ語った。「年寄りめが」という意味だろう。そして、年寄りフォアマンは世界チャンピオンになった。外野は黙った。


 すでにそのころ、アリはパーキンソン病に罹っており、言動が不自由であった。私はパーキンソン病が本当であろうとなかろうと、アリがジョーと同じく、パンチ・ドランカーであることを固く信じて疑わない。去年のロンドン・オリンピックでも開会式でアリは出てきた。目立つのが好きなのである。そして、彼を知る者はみんな彼が好きなのだ。パンチ・ドランカーが何であろうか。アリはアリ、同時代を生きた我らのボクサー。

 そのモハメド・アリアントニオ猪木が、私の高校時代に異種格闘技で戦った。引き分けた。率直に言うが、翌日の教室はブーイングの嵐であった。ルールのせいなのだろうが、あれは格闘技ではないと我々の誰もが思った。本人たちが必死なだけに凡戦になってしまった。仕方がない。この時の縁で、サナエとカツオのじいちゃんが好きなイノキ・ボンバイエが定着したそうだから無駄ではなかったのだと考えよう。


 当時、週刊朝日が「パロディー百人一首」という連載を始めている。私もときどき楽しんだ読み物だ。選者は井上ひさし丸谷才一という当節では得難い組み合わせである。その第1回の大賞に選ばれた作品は、丸谷才一著「新々百人一首」の「はしがき」によると、阿部野仲間作、詞書に「対猪木戦の感想を問はれて詠める」とあり、モハメド・アリの一首として「顎の裏を打ちに出てみれば白ける喃 不意のゴロ寝に俺は困りつ」であった。

 途中に出てくる「喃」は「のう」という感嘆詞みたいなもの。「顎の裏を打ちに出て」と「不意のゴロ寝」は、この試合を見た者でなければ分からない情景であるが、今もって名勝負だったのか興行としては茶番だったのか、私は判断しかねている。ともあれ、今回のタイトルが示すとおり、例によって私には日本人びいきの感性が不足がちであり、あの勝った日のアリ、勝った日のフォアマンの姿を鮮明に思い出す。



(この稿おわり)




今年も梅の実が届いて梅干し製造に忙しかった。 (2013年6月30日撮影)






ひさびさに訪れた道玄坂は夏祭りでありました。 (2013年㋆27日撮影)













































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