おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

何なの、その巨乳は... (20世紀少年 第774回)

 今日のタイトルは第1集の51ページ目に出てくる我らが主人公、遠藤ケンヂのセリフから採ったものである。マイペースながらブログを再開するにあたり、これぞという話題を選ぼうと艱難辛苦して悩み抜いた挙句の結果がこれだ。

 スポーツ同様、いきなり本調子を出しては身体に悪いと思い、まずはウォーミング・アップから始めることにする。これなら読者サービスになると自慢の一つもしたいところですが、セクハラだワイセツだと騒がれても困るので、以下、女人禁制。未成年歓迎。

 手元のコミックス単行本によると、連載漫画「20世紀少年」が週刊ビッグ・コミック・スピリッツに登場したのは1999年とあるから(週刊だったのか)、ちょうどノストラダムスの大予言がインチキだったと分かったころだが、すでにこの年、「巨乳」という言葉は青年誌で普通に使われるほどの普及度であったようだ。


 だが、記憶の限りでは(こういうことについての記憶力は悪くない)、私が子供の頃この言葉は一般的でなかった。若いころ眼福に預かった竹田かほりや美保純も、私と同じく1960年に生まれた黒木瞳川島なお美が脱ぎ始めたころも、胸の大きさは女性の体の魅力を強調するチャーム・ポイントとして必需品というほどのものではなかった。

 それどころか当時のアイドル歌手は、胸が目立つと清潔感が損なわれて少年ファンをがっかりさせかねないという余計な心配があって、ある少女歌手はさらしを胸に巻いてステージに立たされていたという。ただし本人がそう語った形跡がないので実名は伏すこととし、ここでは秘密にします。いまでは女子スポーツ選手用に胸を抑える下着があるそうだが、あのころは藤純子時代のスタイルを踏襲していたらしい。


 それがいつの間にか巨乳の嵐だ。海外暮らしが続いたりテレビをほとんど見なくなったりで、いつごろからこの風潮が強まったのか分からない。小池栄子細川ふみえの名前なら当時も知っていたように思うが...。あっという間に美乳、爆乳、激乳と語彙が増え、最近は神乳というのも見た。何と読むのか。ポルノ映画の衰退とは裏腹に、ごく普通の映画やドラマ、写真、漫画、アニメ、ポスターと花盛りである。

 市場経済は基本的に需給関係で動く。供給側の女性軍は、確かに昔と比べたら栄養が良くなったから、あとは皮下脂肪がどの箇所に集中するかの運不運による。体格も体型も良くなった。畳に正座していた時代と現代とでは大違いであり、その入れ替わり時期はアイドルの写真集を総合的に見る限り、おニャン子クラブとAKBシリーズの間のいつかどこかである。秋元さんなら詳しかろう。


 不可解なのは受給側である男性陣の好みの変化だ。昔からこの手の話題は下ネタと呼ばれていたのだが、巨乳は上半身についているので言語矛盾が生じている。グラビア・アイドルとやらの写真も、近所のパチンコ屋のポスターに描かれたウサギ姿の娘の絵も、上半身だけとか腰から下はよく見えないとかいうのが普通に存在する。あれを見ながら、今の青少年は何を感じているのだろうか。

 男の視線には女も敏感であるから、数年来この季節には胸元をはだけた格好の女性が増えた。まあ、美人とはいいがたい方もお若くない方も含まれているが、傾向としては評価したい。数年前、母の高額療養費の手続きという地味な用事でお役所に行ったところ、窓口の娘さんのブラウスは胸元が全開というにふさわしく、私は目のやり場に困らなかった。見るだけなら只だし、相手の自発的行為と相当因果関係があるのだから、やれ迷惑だ変態だなどとは言わせない。


 5年ほど前か、一回りは年下の女性に「気を付けたほうが良いですよ、最近のブラは外見だけ大きく綺麗に見せる機能がすごいですから」と忠告されたことがある。利用者側からの貴重な情報だが、しかし私は何に気を付ければよいのだろうか。きっと浦島太郎のように開けてびっくり玉手箱にならないよう警告してくれたのだろう。そんなチャンスがどこに転がっていようか。やむなく「大丈夫、どうせ服の上から見てるだけだし」と応えて終わった。

 別の娘たちによれば(私くらいの歳になると人畜無害とみなされるのであろう、口さえ固ければいろんな話を聞けるのだ)、その近頃のブラとは簡単にいうと、周囲の贅肉をかき集めて押し込み大きく見せるものもあるのだと申す。盛土のようなものか? 毎朝、全国各地でかくも密やかに健気な土木工事が行われているのであろうか。その費用対効果は充分な水準にあるのだろうか。開けてびっくりでは副作用の方が大きくないか。


 それでも、これで何とかなる人はまだ救われる。かつて二十代の女性から、みんなに表か裏か分からない体型と言われて困るという相談を受けたことがある。まあ、確かに彼女は男顔向けの長身で脚もすらりと長いという美点と引き換えに、胸部と臀部はほぼ平面と述べて差し支えない。「裸になったときに、表か裏か分かれば充分だから」と慰めたのだが、そんなんで慰められたであろうか。

 まだある。おムネが大きければ良いというものでもないらしい。別の娘さんより「三十過ぎてから、万有引力の法則に勝てなくなってきた」という嘆きを聞かされたことがある。別バージョンの玉手箱もあるのだ。「電気を消せば分からないよ」とアドバイスしたのだが、「最近はそこまで行く機会もないの」と言われてしまい、万事休した。


 さて。結局、葬儀屋のおキクばあに巨乳を売りつけられそうになったケンヂであるが、お菊さんは背中の赤ン坊(引用者注:遠藤カンナ、0歳)を何とかしなくちゃ、まとまる話もまとまらないと、的を得た暴言を吐いたためケンヂの怒りを買い、「巨乳はヤマほどいるが、カンナはこの世に一人だ」と鋭い啖呵を吐いて、せっかくの縁談を蹴った。当時、彼の周囲に巨乳がヤマほどいた形跡は見当たらないのだが、あるいはバンド時代に持ち帰り調査でもしての結論か。

 女性登場人物中、ある程度のサイズが期待できそうなのは、第1集の最後で悪酔いしているユキジと、胸元開けた市原弁護士くらいか。目視で確認できるのは敷島教授の娘ぐらいであり、高須は万有引力に負けていないし、この点、青年誌連載作品の割に「20世紀少年」はこの種のサービス精神に乏しい。さて、不真面目な話もいい加減に切り上げてそろそろ第22集に戻らなくては。革命中でした。



(この稿おわり)





プラド美術館のサイトより。





 秘密、内緒にしてね 
 指切りしましょ
 誰にも言わないでね 

             「ポケットいっぱいの秘密」 アグネス・チャン          

















































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