おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

緒戦は不戦勝 (20世紀少年 第765回)

 夏風邪の熱が下がりません。第22集の160ページ目、幹事長室に来た中谷が高須に「都民が革命と称し、蜂起しました」と急報を伝えている。もう一人別の男も同行していて、この”ともだち”府も包囲されつつあるとご注進。しかし、当然スパイから経緯の報告を受けていたであろう高須は平然としており、振り向きもせず粛々と仕事を続けるよう全職員に伝えろと命じている。

 二人の部下は、「はあ」とか「しかし」とか煮え切らない様子であったが、次の高須の命令「幹部を招集するように」に対しては、即座にそれが無理であると返答している。数名は”絶交”、その他は行方不明。ヤマさん以外にも命を狙われた幹部がいるらしい。

 高須はさすがに今回は振り返ったがなぜか無言のままだ。政敵がいなくなくって、さっぱりしたのか? でも、全幹部が死亡・行方不明ということは、前回同様、求心力は”ともだち”にしかなく万丈目や高須に代役は務まらないのだ。


 都民革命軍は遠くで消防車のサイレンが鳴り響く夜の”ともだち府”を包囲した。しかし彼らの武器は棒切れやらスコップやらで殺傷力は低そうだ。氷の女王一派は最初から武闘派であったからオッチョもたまげるほどの軍備であった。

 しかし、それが災いして早々に全滅状態にされた。ゲンジ一派はガンジー的な非暴力主義であるから、いざというときはこの程度の武装で精いっぱいなのだ。だが戦意は横溢している。

 ”ともだち”府の正面大手門は地球防衛軍が横並びに展開して防衛しているが、革命軍は勇ましく突撃態勢にある。しかし隊長のヨシツネは何を思ったか、「待て。」と制して一人歩みはじめ、ユキジを驚かせている。大将の名乗り。三国志水滸伝のようだな。これからヨシツネ一世一代の宣戦布告が始まる。


 最初は丁寧に「私はこの革命軍の隊長である」と身分を明らかにした。次に「今からわれわれは”とこだち”府を制圧する。」と、蜂起の目的を伝え宣戦を布告した。真珠湾のときはこの布告をきちんとやらなかったため、後までアメリカに嫌味を言われ続けたのだ。長文の公電なんか翻訳している暇があったら、要人から要人への電話一本で宣戦布告すれば済んだのに(外務省の人からそう聞きました)。

 そしてヨシツネが地球防衛軍に「何もするな」と眼光鋭く命じたから、さすがのユキジ達も言葉を失った。地球防衛軍のフロントも黙って突っ立っているだけだ。降参の勧めに来たのならともかく、開戦時に最前線で敵軍に向かって「何もするな」と命令した司令官はこの人物が初めてかもしれない。ヨシツネは犠牲が最小限になる方法を考え抜いたに違いない。幸いこの戦場では、戦う相手はロボットではなく人間なのだ。


 果たして敵は動かない。指揮命令権が妙な具合に移転したらしい。相手の出方を確認してヨシツネは「ユキジ」と促し、ユキジが周囲に目配せして革命軍は静々と前進した。ヨシツネは敵兵のライフルの至近距離に身をさらしながら、さらに二回、「何もするな」と伝えている。

 無抵抗のまま”ともだち”府の中枢に侵入したユキジは、メイン・オフィスらしき大部屋にたどり着くと、「”ともだち”府職員のみなさん。私たちはこのビルを占拠します。」と宣言している。相手は文民ばかりのようだから、そう述べた直後に彼女は「あなた方は制圧されました」と早くも勝利宣言をしている。


 しかし職員の皆さんは黙って下を向いているばかりだ。革命軍の一人がしびれを切らして、おい聞こえないのかと怒鳴ったが、ユキジは彼を抑えて、「もう終りにしましょう」と公務員だか友民党員だかの一同に語り掛けた。彼らはなぜかマニュアル通り「おはようございます。いつもさわやかな...」と囀り始めた。これも最後だと思ってのことか。

 3回繰り返すのが今日の作戦なのか、ユキジもあと二回、「もういいの」と言って、ついに相手を泣かした。そのころ、外ではヨシツネ隊長も「何もしないでいてくれて、ありがとう」と言って地球防衛軍を泣かしている。革命軍の本質は、解放戦線だったのだ。ユキジの命令は「みんな万博会場に避難しなさい」と占領政策にまで進み、”ともだち”府は政府組織としての機能をごく短時間で失った。

 ここまでは順調だったが、事態はそう簡単には終結しなかった。ヨシツネもユキジも高須も、”ともだち”がとっくに東京も”ともだち”府も見捨てていたことまでは、さすがに思いも寄らなかったであろう。最初に異変に気付いたのは、直前まで”ともだち”側にいたヤン坊マー坊の二人だった。



(この稿おわり)




(2013年6月13日、両国駅にて撮影)




 前にも書いたかもしれないが、私の名付け親は「命名の大家」ということになっており、横綱大鵬四股名も彼が考案したのだと家族から教わって育った。巨人大鵬卵焼きの全盛時代、晴れがましい限りである。

 はたして小学生のころ名づけのお礼の挨拶に行ったら、大鵬関の手形が壁に飾ってあった。だがこの大鵬命名の件が本当がどうかは知らない。横綱が逝去されたとき、いろんな報道を読んだが、私の聞かされてきた話と全然違う。昔の田舎って、そんなもんだ。













































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