おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

予定より早い革命 (20世紀少年 第764回)

 万博会場に速報が届いた。第22集155ページ目。ねじり鉢巻きの男が、予定より早く革命が始まったと伝令に来たのだ。巨大ロボットも動き出したぞとなかなか情報が正確である。だが、「ねえ、カンナちゃん、どこ?」と訊いてきた質問相手に「邪魔だ、どけ」と言って邪険にしたのが運のつき、張り手一発で殴り倒されてしまったのであった。

 相手が悪かった。史上最強のニュー・ハーフ候補、マライアさんであった。ご出勤前の時間帯に変事に気付いたのか、まだヒゲを剃っていない。それが客に対する態度かと怒っている。無料でも客は客かな。


 かつて少年誌かサンデーの特集か何かで、昔の太刀山という横綱は突きが強く、最初の一撃で相手は土俵際まで吹っ飛び、あとは軽く押すだけで突き出しの圧勝。一突き半をひと月半と洒落て四十五日の突きと恐れられたと知った。最近は突き押しの相撲が減りました。白鵬のような万能型に正攻法だけで攻めてばかりでは能がないではないか。突っ張り合いも減ったなあ。

 ともあれ太刀山が一突き半なら。マライアさんは張り手一撃。そういえばカンナも昔、パンチ一つで蝶野刑事を打ち倒しておりました。ユキジも師範代を秒殺。強し女性軍。ともあれ、長編も最後に近づくと古顔の脇役が出てくるもので、先ほど読者は着流しのギャンブラーを見たし、ここでまたマライアさんの無事を確認したのであった。みなしごハッチのカマ吉おじさんを思い出すな。


 ついでに思い出すのは「フランダースの犬」である。小学生のころに小説はもう読んでいたんだが、あのアニメの最終回を観てしまった。フランドルの人たちは、何もあんなに陰気な舞台設定にしなくてもよかろうと原作者の評判が悪いと聞いていたことがあるが本当はどうなのだろう。

 何度も言うけれど長編の評価は最後で決まるものではない。私は今でもフランダースの犬と聞くと、ネロとパトラッシュの仲睦まじい様子を懐かしく思い浮かべる。オランダからベルギーにのんびり電車旅行して、アントワープで大聖堂を仰ぎ見たときのことを思い出す。ルーベンスの絵を観たいばかりにニューヨークで旅程を変えた。


 さてと、そのカンナちゃんはフェスティバルの舞台設定で大忙しであった。PAが足りないと叫んでいる。PAとは何ぞや。ネットは便利で、音響の設備のことらしい。それでカンナはライブハウスじゃないんだから後ろに音が届かないと心配しているのだ。照明も仮設トイレも足りないという。本物のウッドストックでも仮設トイレのエピソードが出てきた。

 そんなに集まりゃしないってという無礼な声がしたほうをカンナが振り向けば、マライアさんの巨体がそびえており、火の手が上がってどうやら大きいロボットが動き出したという凶報。表情を変えるカンナだが、マライアさんは悟りの境地に達しているらしく、どうせこの世の終わりなんだから、のんびりやろうよなどと言っている。


 返してよとカンナが切り返す。この世の終わりなんかじゃないから、「貸したお金、返してよ」というのが彼女の言い分であった。カンナは高校時代、バイト代から自腹を切って中華料理代を払えない彼女に珍さんの料理を振る舞っていたのであった。私は遠い昔に銀行で融資係をしていたことがあるので、平然と借金を踏み倒す者を許せない。返してもらおう、マライアさん。

 まだ照明の設備も整わない会場で、そんな騒動を起こしていたころ、かつて開会式でヨシツネが張り込んだ会場の二階から報告があった。人が来る。何千も何万もの人が集まって来る。「来た...」とカンナ。賭けには強い。着流しも来た甲斐があったろう。だが肝心のカンナは感動するマライアさんの太い腕の中で崩れ落ちてしまった。過労と思われる。主催者のピンチ。




(この稿おわり)





両国駅より国技館を望む (2013年6月13日撮影)




































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