おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

万博組  (20世紀少年 第346回)

 ヨシツネによると、大阪に親戚がいるなどの好条件を利用して、「夏休みの間中、ずっと大阪にいて万博三昧の奴ら」のことを、そうでない奴らは「万博組」と呼んでいたらしい。思えば今と違って、大半の日本人はそれほど収入・資産があったわけでもなく、交通手段も発展途上にあった時代だから、東京オリンピック大阪万博は、会場近辺の人たちと、そうでない人たちの格差がとても大きかったはずだ。

 以前引用した独立行政法人日本万国博覧会記念機構のウェブ・サイトによると、大阪万博の開催期間は1970年の3月15日から9月13日までの183日間。約半年とは意外に長いと私が感じるのは、ケンヂ達や私のような大阪から遠くに住む小学生は、行ったにしろ行けなかったにしろ、万博は夏休みの出来事だったという印象が強いからだろう。


 記憶の限りでは、私の実家はもちろん、静岡のご近所や親戚の中で、万博に行った子供はいなかったはずである。クラスには何人か幸運児がいたような覚えがあるが、あまりに少数派で話題にならなかったような印象がある。

 私の一家はちょうど開催期間中の1970年4月に転居し、木造平屋の古びた借家からナショナル住宅(今のパナホーム。「家を作るなら」と加藤和彦が歌っていたころ)の新築マイホームに移ったので、生活水準は上がったが、多額の住宅ローンを抱えて万博どころではなかった。

 
 万博組が話題になった理由は、”ともだちの嘘”についてユキジとヨシツネが語い合うのを聴いたコイズミが、「なんでそんな嘘つかなきゃいけないの?」という至極もっともな質問をして、二人とも答えらえれなかったため、ちょうどそのころ理科室でオッチョと会っている山根の話題に切り替えたのが発端となっている。

 ヨシツネは首吊り坂に山根が同行したかどうか思い出せない。「ヴァーチャル・アトラクションで見たか?」と、またしてもヨシツネからご無理な質問を受けたコイズミも分からない。違うクラスだったとユキジ。ここで行き詰るかと思いきや、ようやくヨシツネが万博組の一人として、山根の名前を思い出した。

 
 ユキジも接骨院を休んで祖父と二泊三日ぐらいで万博に行ったらしい。モンちゃんも炎天下の列に並んだ。ドンキーとケンヂは新幹線代が出なかった。そして、オッチョとマルオとヨシツネは、大阪にいるオッチョのおじさんの家に泊まり、2日間の予定で万博に出かけた。

 そのときの様子を、ショーグンが角田氏に話している場面が第7巻に描かれているが、第12巻ではヨシツネの思い出話として再び出てくる。オッチョによると、「二組の今野のところに”万博組”の奴から暑中見舞いが来た」そうで、「8月31日まで大阪にいる」らしい。「ほら、山根っているだろ? あいつから」とオッチョは言った。嫌味な暑中見舞いだな。


 二組の今野とは、コンチのことだろうか? 彼の本名は第21巻に出てきて、本人がそう名乗っているから間違いなく「今野裕一」である。オッチョが「コンチ」とは呼んでいないところをみると、別の今野か? そういえば、オッチョとコンチはほとんど接点がない。首吊り坂と秘密基地の旗揚げの日に一緒にいるだけで、会話を交わしている絵はなかったと思う。

 健康優良娘のコイズミに「熱射病で倒れた?」と訊き返されて、さすがのヨシツネ隊長も顔を赤らめている。先日はユキジに、フナの解剖の途中で気分が悪くなって保健室に連れて行かれた過去を暴露されたばかり。続けての失点である。

 せっかくカウボーイ・ハットで熱中症対策をしていたのに、「いいな...」と山根を羨ましがりつつ、ヨシツネ少年は行列の中で倒れた。当時、暑い日は帽子をかぶれとはよく言われたが、水分補給なんて誰も考えなかった。少年たちも水筒を持っている感じではない。ペットボトルなど、名前すら無かった。ヨシツネ少年は唇が渇ききっている様子であり、明らかに水分不足だ。可哀そうに。


 ともあれ、8月31日まで大阪にいたのであれば、山根は29日深夜の首吊り坂には参加していないとユキジは結論を出した。そのとおりだろう、多分。もっとも、31日まで大阪にいたと言い張っておきながら、首吊り坂にも参加していた子もいたのだが...。それよりも、ついでに思い出したというユキジの話が面白い。

 夏休みが明けて、万博組が土産話で英雄になるはずだったのに、その直前、首吊り坂の屋敷で幽霊を見たというケンヂとオッチョがクラスの注目を浴びてしまい、学級委員のグッチィら万博組は、たいへんなジェラシーを示していたとユキジは語る。ヨシツネは気付かなかったという。古今東西、加害者側は鈍感だったり忘れっぽかったりするのだ。


 前にも書いたが、ケンヂは万博に行けず、オッチョはヨシツネが倒れたため、その後は落ち着いて楽しめなかったはずである。首吊り坂の冒険は、非万博組による景気づけの夏祭りだったのかもしれない。幽霊と万博のどちらを見たいかと訊かれたら判断に迷うが、貴重価値という点では断然、幽霊であろう。

 「そしてあの時、なんだかクラスの男子の様子が変わった...」というユキジの最後の一言が不気味な余韻を残す。どう変わったのか、誰が変わったのか、変わってどうなったのか、ここではほとんど手がかりがない。この年の2学期に何が起きたのか、第16巻以降で詳しく検討せねばなるまい。


 手がかりらしきものと言えば、ユキジの主観と記憶によると、「あのとき、確かにケンヂとオッチョが一躍スターになった」という点である。これに嫉妬した万博組との間で人間関係が悪化したと考えるのが自然だと思うので、おそらく読者の中には実名で登場した万博組が、”ともだち”ではないかと考えた人も多かろう。

 二人しかいない。一人は山根であり、もう一人はグッチィ。元学級委員と当時現職の学級委員。山根と”ともだち”の関係は、後に詳しく語られるが、しかし私の知る限り、これより先、グッチィの名も、それらしき人物も全く登場しない。ユキジが感じた男子の様子の変化は、何か別の要因によるものかもしれない。例えば、山根の口調を借用すると、「万博組にさえ、なりそこなったというべきか」。


(この稿おわり)




桜の季節が終わるとき(2012年4月26日撮影)