第22集の第7話にはヨシツネによる革命の宣言らしきものが出てまいります。革命というのは辞書類によると大別して2種あり、一つは日本語の革命の元になった漢語の易姓革命で、中国では国家が変わり皇帝の姓が改まる(改易の易ですね)こと。もう一つは英単語の「revolution」の略で、こちらは支配者階級が入れ替わることをいう。
産業革命はどうなの? ともあれ私は経済学部の卒なのだが、その大学では7割か8割の講義やゼミがマルクス経済学であった。よくまあ、あんなものを国立大学で税金使って教えたものだな。おかげで社会に出てから何の役にも立たない。笑いをとることしかできませんというとみんな笑う。
だが、今の世界なり日本なりの経済社会を見ていると、マルクスの思想は復活するかもしれないとも思う。現に蟹工船が売れた。死ぬまで働けと公言する経営者が、国会議員になりたがっているらしい。現場を見たことはないが、アメリカの大学ではマルクスは政治学として教えられているそうだ。孫子はアメリカでも大変有名で、アメリカほど敵を知りたがる国もないだろう。
マル経は当時のインテリの象徴だった。日本だけでなくヨーロッパもそうだった。日本でポルポト派と呼ばれているカンボジアのクメール・ルージュのメンバーは1950年代のヨーロッパに国費留学し、真っ赤に染まって帰ってきたのだ。それはともかく、なぜか日本のマル経学者は明治維新を市民革命と認めなかった。
その理由を誰から聞いても理解できなかったため、ゼミで明治維新は市民革命だと思うと発言したところ、文字どおり黙殺されました。先日、都内で70歳くらいの学者の講演を聴いていたら、明治維新は革命ではないから維新というのだと主張しておられた。率直に申し上げるが、病院に行った方が良いと思いました。
フランス革命と明治維新が大好きだったから高校生のころから何十というこれらに関する本を読んでいる。全身で明治維新は市民革命だと思う。他方、最近あれは徳川と薩長の権力闘争に過ぎないと主張する学者もいる。権力闘争であること自体は間違いない。だが、一方で関ヶ原とは本質的に違うとは思わないのだろうか。
そういう人たちは西郷隆盛も大久保利通も桂小五郎もみんな武士にすぎないという。彼らがその身分を捨てたことをどう考えているのだろうか。本家本元のフランス革命とてアベ・シェイエスは聖職者、ミラボーやラファイエットは貴族で第三身分ではない。ロベスピエールは弁護士であって、ブルジョワジーとは言い難い。誰が主導したかは問題にならない。
昭和のころから現在にいたるまで、日本の経験の浅い政治家は「何とか維新」と名乗って気勢を挙げるのがお好きなのだが、革命が成就したら支配者階級である自分たちがギロチンにかけられるおそれがあるはずなのに、西郷や大久保や高杉のごとく死の覚悟はお持ちなのだろうか。まあいいや。
支配者階級の交代劇は明治維新だけではない。私見によれば、最初の革命は貴族政権から武家政権への移行で、大ざっぱにいえば平清盛が着工して源頼朝が竣工した。また、憲法の文面だけとらえれば明治憲法の主権は天皇にあり、でも現在では国民にあるのだから、これも革命と言えないこともないのではないかと思うのだが誰もそう言わない。戦争責任というややこしい議論を避けているのだろうか。
前置きの長いこと。117ページ目の四角い建物は、例のロボットの隠し場所である。どうやら建物は2棟あるようで、一方にヨシツネ、ユキジとゲンジ一派。他方にロボットと敷島博士、神様とオッチョというシニアな顔ぶれ。ヨシツネの演説が始まる。マイクがないので後ろのほうは聞こえるかという質問から始まった。「なるべく大きな声で」と注文が返ってきた。
隊長が「みんなに集まってもらったのはほかでもない」と言っただけで、若者たちは「武力革命ですね」、「いよいよやるんですね」と盛り上がっている。気勢が挙がらないのはヨシツネのほうで、「まあ、こういうのをいわゆる革命というのかもしれない」と定義づけに苦しむ。壇ノ浦の義経はクーデターだったが、今回は主権を”ともだち”から、国民が取り返すのだぞ。
「やりたくはないんだが」と革命の指導者が述べた例は歴史上、希有のことであろう。でもヨシツネは「時間がない」のでやるしかないという。”ともだち”が宣言した一週間も、あと三日しかないらしい。また、かつてあれほど暴力行為を避けていたヨシツネが、カンナのフェスティバル作戦について「悲観的だ」と述べているのも興味深い。立場・信条が入れ替わったか。
でも、やっぱりヨシツネは「私はその、戦うのは嫌いだ」という。一同、反応のしようがなくて黙って聞いている。ヨシツネは20世紀最後の日のことを思い出した。「君らの身が危ないと思ったら、一目散に逃げて...」と言いかけたところで泣いちゃった。大勢の人々が逃げる暇もなかったことに思いを寄せたか。でもこれでは集会の目的が果たせない。ユキジが代打に立った。
(この項おわり)
最近ごく一部ながら復活した緑の山手線。個人的には濃いオレンジの中央線快速と黄色の各駅を元に戻してほしい。あれが並んで走っているのを見るのが好きだった。
(2013年6月11日撮影)
食べかけのレモン 聖橋から放る
快速電車の赤い色が それとすれ違う
「檸檬」 グレープ
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