おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

解散 (20世紀少年 第646回)

 祖父は私の英雄でした。でも、もう一人、心の英雄がいます。彼はこう言いました。自分の命が危ないと思ったら、一目散に逃げてくれ。頼むからみんな死なないでくれ。この言葉を最後にみんなに伝えます。みんな、ありがとう。これで解散です。

 ユキジはそう言って道場を閉めた。柔道の極意というよりは人生訓のようだが、彼女はもうこれ以上、彼らを鍛えてさらに強くするだけの時間の余裕がないのだ。道場を閉鎖した理由は、彼女の心の英雄が残したもう一つの言葉、関係のない人を巻き込まないでくれという指令に拠るものだろう。


 かつて、ユキジは弟子たちを柔道以外のことに巻き込んでいる。東京に雨が降ったあの夜、新巻鮭の男が歌舞伎町の中華街に逃げ込んだとき、ユキジは黒帯の門下生を包囲作戦に投入している。しかし、これから彼女が行おうと決意している戦いは、それよりはるかに危険な作戦であり、一目散に逃げないといけなくなる恐れの高いものなのだ。

 一人残って泣いている大垣師範代に、ユキジは「青の6号」の面倒も頼んでいる。これまでの生活を完全に遮断するほどの決心なのだ。それにしても、なぜ「青」なのだろうね。犬を食べる国では赤犬(放火犯のことではない)が美味いといわれていると聞いたことがあるが、青犬とは寡聞にして知らない。先輩の3号犬は「ブルー・スリー」だったが、6号は「ロッキー」が愛称らしい。

 やっぱり犬名からしても、ユキジは根っからの格闘家なのだな。前回、書き漏らしたのだけれど、柔道の立ち技は時に番狂わせがあるそうだが、寝技は強い方が必ず勝つらしい。しかも保身に優れ、すなわち勝っても怪我をするということがない。ユキジは確実かつ無事に勝つため師範代を寝技で屠ったのだ。


 愛犬をも手放すほどの事情とは何かと師範代は館長に問うのだが、ユキジは「やらなきゃいけないことがあるの」と答えるのみ。師範代はショックのあまり、ドンキーのように鼻水まで垂らして泣いている。大垣さんは食い下がろうとしたが、ユキジは「来たわね」とだけ言って会話を断ち切った。やらなきゃいけないことを抱えた物騒な連中が来たのであった。

 3人連れはカンナとヨシツネとオッチョである。この顔ぶれが出そろったのは万博の開幕式以来か。ユキジが「ヨシツネから話は聞いています」と言っているところをみると彼女とヨシツネは連絡を取り合っていたらしい。カンナとオッチョは久しぶりかもしれないのだが、再会を喜んでいる雰囲気ではない。例の20世紀少年茶碗でお茶が出ているが誰も飲まない。


 ユキジは”ともだち”と決着を付けに行くそうねとカンナに言った。カンナが「止めないで」と言ったところをみると、彼らはユキジを説得に来たのだろう。しかしユキジは「止めないわ」と意外なことを言って、カンナを驚かせている。さらに「私も行くわ」と言ったから、今度はヨシツネは勿論さすがのオッチョまでひどく驚いている。

 ケンヂの「遺言」を守り、ひたすらカンナに「ムチャしないで」と言ってきたユキジである。二人の大ゲンカを覚悟で3人はやってきたに違いない。なぜユキジは行くのか。それは後ほど確かめよう。ところで、ユキジがカンナに同行するにあたって一つの条件が提示された。その前に会う人がいるんじゃないのかとユキジはカンナに説いている。


 そしてユキジが差し出した写真は、このすぐあとに出てくるけれども市原弁護士がお役所から入手したキリコの顔写真であった。エプロンをしているのかな。2年ほど前のもので、表情は穏やかである。このころキリコは大変な目に遭ったばかりで、この先どんな運命が待ち構えているか分からなかった時期のはずだが、よほど親しい人に撮ってもらったに違いない。ケロヨンか。

 その前に会っておくべきだということは、生還が困難なミッションであることを意味する。実際、4人の意見は割れて、会議は紛糾するのだが、その場面の前に第2話「聖母の時間」には珍しいというより唯一のキリコとユキジが会話を交わすシーンが出てくる。キリコは中学生、ユキジは小学生。もう半世紀ほど前のエピソードである。とにかくユキジが可愛い。




(この稿おわり)





大洗海岸にはハマグリの保護区があります。 (2013年2月18日撮影)































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