おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ディマジオ (20世紀少年 第744回)

 先日サッカーの話題で脱線したばかりだが、今回と次回は野球の雑談。次回の最後で漫画に戻る予定。今年の野球シーズンが始まる直前に松井秀喜が現役引退を表明した。現地の夕方、日本では朝のニュースで引退の記者会見があり実況中継を観た。

 そのとき彼は、日本での一番の思い出として、巨人入団当時の長嶋監督より、高校まで守っていたサードから外野手へのコンバートを命じられた際に、「ジョー・ディマジオのような選手になれ」と言われたという思い出話を語っていた。

 ナガシマによると松井はサードとしては平凡だが、その俊足を活かせば外野手として大成するという見立てであったらしい。私は松井が三塁手として平凡だったかどうか知らないが、まさか長嶋茂雄は自分を判断基準に置いたのではあるまいな...。それはともかくコンバートは無事成功したようで、松井は外野手として職業野球選手の職を全うした。


 スポーツに関しアメリカ人は記録好きで、現地の週末の新聞は日本の正月版のような分厚いスポーツ欄だけの別冊が届き、野球に関するデータがぎっしり並んでいる。

 最後まで破られないであろう記録は何かという議論も大好きだそうで、その有力候補の一つがニューヨーク・ヤンキースの背番号5、ジョー・ディマジオが記録した56試合連続安打である。ディマジオセンターフィルダー。はるか後年、松井は同じ球団のレフトの守備についた。


 記録は破られるためにあるとは川上哲治の言葉だったか。私が子供のころにはもう有名な格言であった。人間の作った記録だから、絶対破られないということはない。

 もっとも、王選手の通算本塁打記録は当時の球場の狭さや圧縮バットの存在を考えると、抜かれる確率は低そうだ。王さんの記録で偉大なのは通算の四死球数かもしれない。ちなみに日本球界が世界に誇る大記録は、落合博満によると福本豊の通算盗塁記録であるという。素人とはてんで目の付け所が違うのだ。


 松井の骨折事故は残念な出来事だった。あれで日米連続出場記録も途絶えてしまった。まあしかし、彼には甲子園での五連続四球という凄いのがあるな。ヤンキーズの主将ジーターはこの大けがで戦列を離れた松井がファンにお詫びしたのを知り、「ケガをしてファンに謝罪する選手を初めて見た」と驚いた。

 後年、松井の力が衰え始めたころ、彼によればジーターは「おまえが日本に戻ってプレイするなら、俺も一緒に日本で野球をやりたい」と声をかけてきたそうだ。

 ヤンキーズ永久欠番ディマジオやベイブをはじめ、打撃王ルー・ゲーリックや私の若いころ活躍したレジー・ジャクソン、「巨人の星」にも出てきた捕手のヨギ・ベラマントル&マリスと大物揃いで、ファンにはよく知られているように、一桁の背番号はあと一つしか残っていない。その2番を今、デレク・ジーターが背負っている。さあ、どうする、ヤンキーズ


 記録はともかくディマジオの根強い人気は、例えば引退後十数年たった大阪万博において、アメリカ館では月の石やアポロの模型と並び、ディマジオベーブ・ルースのユニフォームが展示されたというから、やっぱり私も自転車を走らせてでも万博に行くべきであった。小学生のころすでにディマジオの名は知っていたと思う。遅くとも中2のときサイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」を聴いたときには、すでに知っていた覚えがある。

 今も実家に置いてある文芸春秋社が20年ほどまえに出版した報道写真集に、一枚だけディマジオの写真が載っている。でもユニフォーム姿ではない。ディマジオの眉は両端が下がっていて、男の一流のスポーツ選手にしては愛嬌あふれる顔立ちなのだが、写真の彼の表情は沈痛だ。隣に幼い息子も一緒に映っているこの一枚は、彼の愛妻マリリン・モンローの葬儀で撮影されたもの。


 わが生涯で最高のドライブといえば、フロリダ半島から遠洋に向かって連なるキーズという名の群島を先端のキー・ウェスト島まで往復した自動車旅行だ。なんせ大海の上をひたすら走り続ける。「12モンキーズ」でブルース・ウィリスは、ここに行きたくて果たせずに死んだ。キー・ウェストの端っこに、キューバまで何マイルという標識が立っていたのを覚えている。アーネスト・ヘミングウェイが暮らした家にも伺いました。ビールが美味い島だった。

 なぜかヘミングウェイの長編が苦手で、「武器よさらば」も「誰がために鐘は鳴る」も読み出してすぐに挫折した。だが「老人と海」は別格である。老人の知恵と勇気、技術と根性、少年との間に育まれた細やかな友情、そのすべてを載せて老漁師サンチャゴはカリブ海に船を浮かべ、島が見えなくなるほどの沖で大物との戦いが始まる。


 老人と少年はキューバ人だが、海の向こうのアメリカ大リーグが好きで、ニューヨーク・ヤンキーズの勝敗を気にしている。大ディマジオがいるから大丈夫だと出航前の老人は少年を励ます。前代未聞の漁が始まったとき、老人はときおり大ディマジオを思い出しては自らを鼓舞している。あるいは、魚を殺すことな罪なんだろうかと一人洋上で考え込む。

 その一節はこんな感じで、優れた宗教論だと思う(新宿文庫、福田恒存訳)。「罪なんてこと考えちゃいけない。第一、もう手遅れだし、そういうことを考えるために、お金を頂戴している人間もたくさんいることだ。罪のことは、そういう連中に考えてもらったらいい。お前は漁師に生まれついたんだ、魚が魚に生まれついたようにな。聖ペドロも漁師だった。大ディマジオの親父とおんなじだ。」


 今回の老人の遠洋漁業は、経済活動という面では大成功とはいえなかった。ただ、数日後の夜かれが疲労困憊の体で持ち帰ったトロフィーは漁師仲間を驚嘆させ、少年は感激と安堵のあまり泣いた。恒存さんが「剛毅の文学」と呼んだこの小説は、サンチャゴの小屋の中でこんなふうに終わる。「老人はライオンの夢を見ていた」。

 以上はすべて、ジョー・ディマジオの名が出てくるロックの曲の感想を書くための前置きにすぎません。1980年代に発表された「Centerfield」というシングル曲で、ジョン・フォガティという歌手のヒット・ナンバーだ。これはソロになって出したものだが、ジョン・フォガティはケンヂがコンチに贈ったアメリカン・ロックバンドの雄、栄光のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのリード・ボーカルだった男だ。



(この稿おわり)





花園神社のお祭り(2013年5月26日撮影)




 「おれは大ディマジオを漁に連れ出したかったんだ。なんでも親父は漁師だったっていうじゃないか。きっと貧乏だったんだろうな、おれたちのように。だから、ものがわかるはずだ」
 「大シスラーの親父さんは貧乏じゃなかった。あの親父さんもぼくくらいの年のときには、もう大リーグに入っていたんだよ」
 「お前ぐらいの年ごろには、おれはもうアフリカ通いの横帆を張った船の水夫になっていたっけ。夕暮れになると、砂浜を歩くライオンが見えたものさ」

   ”The Old man and The See”  Ernest Hemingway






































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