おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

リオデジャネイロ・オリンピック  (第1055回)

 リオの夏季オリンピックが終わりました。季節も時差も正反対の開催地とあって、調整もさぞや大変だったと思うが、選手や関係者のみなさま、ご健闘お疲れさまでした。前回大会ほどテレビを観る機会は作れなかったけれど楽しかった。

 中学で卓球部、高校で水泳部(主に平泳ぎ)に在籍していたので、選手としては二流どころか、そんな言葉は無いけれど四流か五流ぐらいだったが、水泳と卓球を放映していると、つい見入ってしまう。


 今回は最初に何気なくテレビをつけたら、男子400メートル個人メドレー、それも決勝戦の入場シーンで、ちょうど萩原と瀬戸がプールサイドに入って来た。この二人が快速で戻って来たから、この大会はもう大丈夫だと一人で決めた私。

 次にTVをつけたときは、女子卓球の個人戦をやっていた。石川は今一つ調子が良くなくて、福原はこれまで観てきた中でも(20年間か25年間ぐらいあるよなあ)、屈指の切れの良さだったように思う。二人とも最後は団体でよく戦った。平野から伊藤まで、世代交代が理想的に進んでいる。これからも楽しみだ。


 男子の卓球は準決勝で水谷が、優勝した中国の馬龍(いい名前だぜ)と繰り広げたラリーの応酬が圧巻だった。賛否両論あったガッツポーズは、昔から卓球ではごく普通のことで、むしろ卓球に限らず、試合終了後に勝者が敗者を労わったり、敗者が勝者を祝福したりするシーンを、ほとんど放映しないスポーツ・マスコミの手抜きが問題である。

 さらに言えば、録画のダイジェスト版を観ていると、日本人選手の大活躍場面とメダルの数の国別比較しか報道しない。予選で去った選手の試合や、優勝した外国人選手の演技などは殆どやらない。国家を歌わない選手は国民ではないと山ゴリラが言う。かれらは本気で国威発揚の場だと思っているらしい。


 女子の水泳は、まず平泳ぎ200の金藤の予選を見た。インタビューでは顔色も良いし、溌溂としていたので、この苦労人も今回は結構やるんじゃないかと思っていたのだが。日本人選手が水泳や陸上の短距離で、あれほどの圧勝を見せるというのも、そうあることではない。

 平泳ぎやバタフライの選手は、上半身を使うのでフェルプスや北島もそうだったが、筋肉のみならず骨格のレベルで肩や胸が発達する。でも金藤は上背があるからかもしれないが、けっこうスラリとしており、水の抵抗はそれだけ弱いはずだ。練習方法に工夫があったなら、研究に値すると思う。


 同じような体型は、鉄棒や吊り輪をこなす男子体操の選手にもよく見られ、今回でいえば白井が如何にも如何にも体操選手である。でも内村は金藤同様、そうでもない。北京大会のころだったか、中国はパワフルなスペシャリストを育成し、個人種目と団体の役割分担という国家戦略で来た。

 これに対して内村は、体操は美しくないといけない、体操は総合競技だと主張し、反発していたものだ。今回わたしたちは、その有言実行が結実した成果を見せてもらったことになる。内村は声も良い。あれほどのレベルまで練習すれば、肺活量も鍛えられるのだろうな。

 モントリオールでコマネチが十点満点を連発し、満天下の喝采を浴びていたころ、ひとりチャスラフスカは、「体操競技はアクロバットではない」と切って捨てた。彼女の訃報が先日、届いたが、内村を観てくれただろうか。さぞかし喜んだろうと思うんだが。


 あと4年で東京オリンピックの予定だが、人気のスポーツはチケットが手に入りそうもないから、マイナー競技を観に行きたい。私のいうマイナーとは、テレビ中継の解説者が、試合内容を解説する前に、競技のルールを説明しないといけないようなもの。太田も室伏も、ひょっこり戻ってきてくれないかな。

 今大会ではカヌーの羽根田が大健闘だった。ずいぶん長いこと一人、海外で修行なさったそうではないか。こんな場面のおすそ分けに立ち会えるのも、オリンピックならでは。有難い。彼ならカヌーで、リオから東京まで戻ってこれるだろう。


 金藤の金メダルは、女子ブレストの200史上で三人目。二人目はもちろん岩崎で、彼女もしかし変わらないな。一人目は、私が青少年だったころまだお元気でご存命だった前畑秀子沢木耕太郎の力作「オリンピア」によると、彼女が出場した1936年のベルリン大会は軍国主義時代とあって、死んでも勝て、負けたら帰るな、などという電報や手紙が殺到したらしい。

 極度の緊張にさらされた前畑は、それでも予選で世界新記録を出した。まずは一つ実績を挙げたかと思いきや、準決勝でライバルのドイツ選手ゲネンゲルが世界新を更新し、優勝候補の筆頭になる。これを聞いて興奮したか、決勝戦の会場には、アドルフ・ヒトラーが観戦に来た。


 総統の目の前で、前畑は開催地の強敵を破って優勝している。レニ・リーフェンシュタインは、記録映像「美の祭典」に、前畑とゲネンゲルのレースを加えなかった。まあ、アウェイだし、主催者が「あれ」ではねえ。この二人のレコード・ホルダーはずっと仲が良くて、一緒にテレビに映っていたのを覚えている。

 前畑はプールに居る間、自分の勝利が信じられず、控室に戻ってようやく放送を聴いて納得したそうだ。選手村に帰ると、宿舎で働いていたドイツ娘たちが、彼女を温かく迎えてくれた。夕食の食卓には彼女たちの手で美しい花が飾られていた、と前畑は書き残している由。来る東京大会、こんなオリンピックにしませんか。





(おわり)





かすかだが夏に東京から富士と筑波が見えるのは珍しい。
上: 富士山、クレーンの右。
下: 筑波山、クレーンの左
(いずれも台風一過、2016年8月25日撮影)









 For many a lonely day,
 sailed across the milky seas,
 never looked back,
 never feared,
 never cried.

    ”'39”  QUEEN


































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