おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

水分補給 (20世紀少年 第743回)

 泥人形に向かってコンチが銃を向け、「誰だ」と叫んでいる。ともだち歴3年、氷の女王一派はもちろん、ヨシツネやカエル帝国まで銃器を所持している。銃規制などなくなっているのか。この下書きを書いている今日、アメリカで銃規制派のニューヨーク市長に猛毒入りの脅迫状が届いたとのニュースが届いている。大統領にも前に届いた。

 銃規制に反対するアメリカ人は護身用と主張するか、あるいは憲法で権利が保護されていると述べるか、もっともらしいことを言う。たいていの男の本音は当人が軍需産業で生きているか、あるいは撃ちたくてしょうがないかのどちらかに過ぎないだろうというのが、私のアメリカ駐在の実感です。女性はよく護身用といって小さなピストルをハンドバッグに入れて持ち運んでいたようだが実戦向けとは思えない。


 アメリカから帰国してしばらくしてから日本人留学生の悲劇が来た。場所はジャニス・ジョプリンの遺作「ミー・アンド・ボビー・マギー」の旅が始まるルイジアナ州バトンルージュだった。この「犯人」は法廷で正当防衛を主張したらしく、刑事裁判では無罪になっている。威嚇射撃もせず、象も撃ち殺せる44マグナム(ジェド豪士談)で相手の胸のど真ん中を撃っておいて無罪。

 被告の人生がその後どうなったか知らない。この事件で私が心底、腹を立てたのは彼の行動そのものよりも、事件後に独占的に本件を作品化したいというオファーが映画会社や出版社から殺到したという報道に接したときだ。

 アメリカ映画でよく見かける「Based upon a true story」というのは、こういう風にセリにかけられて作られる。NHK大河ドラマは、それさえ表示しない。場面設定や時代交考証が変だと指摘されるたびにフィクションだとお逃げになるのに。


 さて、泥人形さんは誰とも名乗らず、「水をくれ」と一言お願いしただけで前のめりにバタリと倒れてしまった。正義の味方になると決めてから、最初の言動がこれである。どうやら気を失ったらしい。人間は健康なら、水さえ飲めば20日くらい生きのびる可能性があるそうだ。

 いざというときに溜めておいた皮下脂肪を使い、続いて津面は使わずに済む筋肉を使い、いわば自分を内部から食べて生きるわけだ。だが水さえないと三日くらいしか持たないらしい。


 他方、われわれの体は新陳代謝や消化吸収の結果出てくる老廃物や有毒物質を汗や尿で外に出しながら生きております。したがって水を使わずに体内にしまっておくことができない。寝ている間にも汗をかく。一日3リットルくらい水分を摂らないといけない。

 ケンヂは三日三晩も山の中で、しかもじっとしておらず転げまわって汗をかくわ涙を流すわで水の使用量が大きく、体が乾燥し切ってしまったのだ。丸三日で止めといて正解だった。


 コンチは泥人形が悪人ではないと判断したらしく、ケンヂに軽食と飲料を提供している。お互い元同級生とも知らず、「命拾いした。恩にきるよ」、「気にすんな。どうだい、もっと食うか。」などと穏やかに話をしている。コンチは手にトーストとコカ・コーラの缶を持っているのだが、ケンヂがもう十分だと断ったので自分で食べている。極度の空腹時に大食すると胃腸がショックを起こして死ぬことすらあるらしいからケンヂはここでも賢明であった。

 ケンヂのペットボトルが空になっている。ようやく落ち着いたところで、コンチは相手にどこから来たのか、今まで何をしていたのかと当然の質問を投げかけている。ケンヂは言い淀んでおり、コンチも言いたくなけりゃいいと気を使っている。でも一宿一飯の恩の半分はすでに受けた。「三日三晩、泣いてた」とケンヂは正直に言う。「つらいときはそれが一番だ」とコンチは言った。


 西暦が終わったときや、それ以降もコンチがどんな人生を送ってきたのか殆ど描かれていない。彼とて転校先の北海道に住み着いて家族や友人もいただろうに、幸運だったのか1%の免疫所有者だったのか、ただ一人生き残ったらしい。いきなりケンヂに銃を向けているあたり、オッチョと同様、多くのゼツボウも見てきたに違いない。「つらいときはそれが一番だ」というのは体験談だろう。そう簡単にさらりと言えるセリフではない。

 「...で、今はどうだ」と追加質問をしてみると、相手からは「水分補給した。もう大丈夫だ。」としっかりした返答があって一安心。ふふんと笑うコンチであった。ようやく人心地ついて、ケンヂはこの部屋に音楽が流れているのに気が付いている。しかも、それは馴染みの曲だった。小6のときヨシツネが探していたころのケンヂも、中学生のとき姉ちゃんがギターをもらってきてくれたころも、ケンヂはラヂオでCCRを聴いていたのだ。


 「いい曲、流れてるな、CCRだ」とふんぞり返った物凄く偉そうな態度でケンヂは言った。「ああ。”雨を見たかい”だ」とコンチが応えた。小学校のとき級友に教わったのだという。CCRクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの略称であることを。ずっと北海道からかというケンヂの質問に、コンチは中学のときからずっとと答えている。

 続いて「今はここで音楽流しているってわけか」とケンヂは珍しく口数が多い。さすがに人恋しかったか。コンチは「ああ」と答えて、聴いている奴がいるかどうかもわからないがと言っている。このあとおそらくお菓子工場で13番に会うまでコンチも会話の相手がいなかったはずだ。ケンヂはここで黙った。CCR、中学、北海道。どこかで聞いたような。


 かれこれ10年ぐらい前、糸井重里が雑誌の連載エッセーで、先日自宅のそばに「ちり紙交換の車」(これはまだどこかにあるか??)がきて、流していた音楽が「雨を見たかい」だったので感激したと書いていたのを覚えている。この「雨を見たかい」というのは、生まれてからこれまで雨を見たことがあるかという質問ではない。「The Rain」と定冠詞がついていて、歌詞を読むとある種、特別な雨なのだ。

 それは私が幼いころ大人たちが「狐の嫁入り」という優雅な名で読んでいた天気雨とも呼ばれる気象現象である。晴れた日に雨が降るのだ。どこからか強い風に飛ばされてくるのだろう。この曲の歌詞のとおりで、雨粒がキラキラと光り輝きながら落ちてくる。私はこれが大好きだった。CCRは嵐のあとに降るんだと歌っている。全体に必ずしも嬉しそうな歌詞ではないが、ともあれケンヂにとっては三日三晩続いた台風一過の日、いい曲を聴けて良かった良かった。



(この稿おわり)





雨の季節を告げる花々(2015年5月30日撮影)





 Yesterday, and days before, Sun is cold and rain is hard.
 I know. Been that way for all my time.
 'Til forever, on it goes through the circle, fast and slow.
 I know. It can't stop, I wonder.

 
 昨日も、それまでの日々も 太陽は冷たく 雨が激しく降る
 いつもそうだったし これからもそうだろう
 時には速く 時にはゆっくりと でも同じことの繰り返し
 そう なぜなんだろう 終わることがない


       ”Have You Ever Seen the Rain?”

            Performed by Creedence Clearwater Revival




本日の東京スカイツリー。上半分は雲の中。東京は雨です。














































.